新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月30日 その2 未だに収束しない迷惑メールの襲来

2020-06-30 09:45:48 | コラム
新型コロナウイルスよりも手強いか:

このところ、休みの日がなく大量に送られてきている。25日が147本、26日が145本、27日が172本、28日が191本、29日には209本と大台を超えていた。そこで本日だが、恐らく最多記録を更新されたと思う232本という具合だった。有効な対策がメールアドレスの変更だとは承知しているが、変更してしまった後で皆様に通知することを考えるときに躊躇ってしまうのだ。

今日までの所では、OCNのブロッキングサービスで通知されてくる一覧表を見て、誤って迷惑メールにされているものを受信トレイに移転して残りは一括で削除するだけの手間だ。それは長時間を要する作業ではないが、それをしなければならないのが忌々しいだけだ。私の信念では「明けない夜はない」のだから、何時かは終わると思っているが甘いのかな。この見えざる敵は何処の国にいるだろうか。

6月29日のPrime Newsより

2020-06-30 09:21:30 | コラム
“The Room Where It Happened”論だった:

この今や話題となっているジョン・ボルトン氏の500頁超という著作が取り上げられ、佐藤正久参議院議員、古森義久産経新聞論説委員、島田洋一福井県立大教授という選りすぐりの論客が分析された。古森、島田の両氏は既に読み終えておられたようだが、アメリカから取り寄せられたのだろうか。私には古森氏が「留学した際の宿題を思いだした」と言われたのが印象的だった。往年の上智大学ではそういう類いの「とても無理だ」と思わせられるような宿題が出されていたのだった。

古森氏はボルトン氏に取材で会っていたし、島田氏は5~6度語り合う機会があったそうだったので、ボルトン氏の人柄を語るのには適切だったのだろうと思って聞いていた。

司会の反町がいきなり結論めいたことを古森氏に言わせたのが、この本は煎じ詰めれば「暴露物」的であり、「トランプ叩き」になっているという点だった。だが、トランプ大統領の実像は冒頭にボルトン氏が書いていたような「物事を良く知らない人」というのは就任初期のことで、大統領の職務に馴れるに従って他者の言うことを聞くようにもなったし、粗暴な人物という面があっても、ある面では緻密な所もあったので、決して一概には決めつけられないという記述もあったそうだ。

トランプ氏とボルトン氏とは大統領就任以前からの知り合いで、就任後は何度も何度も補佐官就任の依頼があったのだが、ボルトン氏は国務次官の経歴がある以上、それ以下では受け入れないと拒否していたというのも面白い話だと思って聞いた。また、事、安倍総理との間柄となると、古森氏の記憶では15回ほど安倍総理の名前が出てきていたし、外国の首脳で彼ほどトランプ大統領が信頼し、共にゴルフまで楽しむ間柄にあった者はいないという親密さだったそうだ。非常に結構なことで、1年3ヶ月先に安倍総理の後継者になる人は大変だろうなと思わせられた。

私がなるほどと思った点は「諸外国の首脳に対してトランプ大統領の評価というか信頼度は厳しいのだが、特に文在寅韓国大統領については手厳しく、最早対DPRKとの仲介等の件については全く役に立たないと切り捨てられていたという事」だった。金正恩に対しては過剰としか思えない社交辞令的に持ち上げるのが気になったと言うし、習近平に対して再選に役に立つからアメリカの農産物を買えば次なる関税を課すのを見送るからと求めたが、結局は実現しなかったという実態まで述べられているそうだ。

ポンペイオ国務長官等のトランプ大統領が使っている閣僚がこの本を嘘が多いと批判しているのは、彼らの立場上当然のことであり肯定する訳がないとの意見が出た。この点は当然だろうと私にも理解できる。ボルトン氏は兎に角トランプ大統領は再選を目指しておられ、私でさえ記憶していることで、当選の直後から第2期の選挙向けのスローガンを公表していたというエピソードもあった。それは確か「アメリカを引き続き偉大に」というものだったと思う。

私にはこの“The Room Where It Happened”がどれほど来たるべき11月の選挙に影響するかなど解る訳がないが、同じ暴露本と言ってもこれまでに何冊か出てきた本とは根本的に異なって、トランプ大統領の近くにいた補佐官が回顧したことなので、ものが違うと古森氏が指摘していたのは尤もだと思う。そういう点では興味は感じるが英語で500頁を越える本を日本語に訳せば何百頁になるかと思う時に、矢張り見送っておく方が視力温存の為にも良いかなどと考えていた。何れ、アメリカの元上司や同僚や知人たちに感想を問い合わせようかと考えているところ。


6月29日 その2 新宿区民は不安なのだ

2020-06-29 15:12:25 | コラム
東京都の感染者数は増加の一途:

非常に遺憾なことに我が新宿区は、この期に及んで増加する一方の東京都内の感染者の中でも、世田谷区を抜き去って断トツの累計で660人に迫る第1位なのだ。しかも、新宿区には小池都知事が君臨されている都庁があるだけではなく「夜の街」とかで「接客を伴う飲食業の牙城である、感染者を続々と産み出している歌舞伎町まで抱えている」のだ。事情通によれば、その夜の街・歌舞伎町で働いている者たちはその圧倒的多数がここ百人町というか近隣に住んでいるのだそうだ。良く考えなくとも、日頃から十分に注意して行動せねばならないことは明白だと思わせられる。

東京都内では小池都知事の発案で「ステップ」だったかが3段階だったかのロードマップが設定され、その状況次第で「東京アラート」なる何のことだったのかと、何名かの専門家が疑問を呈した「警戒警報」が発令され、レインボーブリッジを赤い電飾で飾って見せたのだった。だが、私が不勉強だったのかあるいは都知事が何ら具体的な警戒の詳細を発表されなかったのか定かではなかったが、「アラート」が出たら外出禁止するとか、得意の英語擬きで“Stay home”せよとの具体的な指示はなかった。そして全て解除したと思えば、若者までを巻き込んでこの感染者の著しい増加傾向だ。

一方では事前に何らの相談も予告もなしに専門家会議の廃止を記者会見で語ってしまった西村康稔担当大臣は、「現状では緊急事態の再発動は考えていない」と語ったし、専門家会議の件では「言葉が足りなかった」と反省して見せた。だが、今やこれまでのように「専門家会議に諮問して」が出来ないだろうから、せめて小池都知事でも呼びつけて「チャンと制圧対策を立てよ」と言うくらいの大臣の地位の重みを見せても良くはないのか、大臣なんだから。

私が見る限り、西村氏の顔付きというか表情は日増しに厳しくなってきて、この未曾有の難局に如何にして対処すべきかという苦労のほどを如実に示していると思っている。私はこの人物を小利口であり上ばかり見ているとして評価していない。特に何かと言えば「専門家会議」を利用するか、その所為にしようとする小狡さには嫌悪感すら覚えていた。だが、結構なことに、彼が如何に責任回避の言動ばかりしていても、小池都知事が無意味なカタカナ語を連発しても、我が国は事新型コロナウイルス制圧対策に関しては、世界でも群を抜く好成績をもたらしていたのだ。

「気を緩めるな」という非難を浴びたことを言ったのは西村康稔担当大臣だし、空疎なロードマップを案出したのが小池都知事だ。小池都知事の場合には彼女の対策が功を奏したのではないと私は見ている。だが、都内の感染者が右肩下がりだったという時期も確かにあった。そこに選挙が迫ってきて都知事は連日のようにテレビに登場して誇らしげに何かを語っていた。しかし、ウイルスはそれほどお人好しではなかったようで「小池都知事さん。気を緩めても良い時期ではありませんよ」と言わんばかりに、浮かれている20~30歳台の若者に牙をむいて食い付き始めたのだった。

実は、私はずっと安全策で3月から休会にしてきたスポーツジム通いを7月から再開しようと、手続きをした途端に50人超えの感染者がこの近所の夜の街を中心に急増したのである。何も都知事の責任であるとまで言うつもりはないが、彼女も好い加減に目を覚まして「どうです。私はインテリで英語を良く承知しているでしょう」と言わんばかりのカタカナ語の乱用を謹んで、しっかりと感染症対策に取り組んで欲しいのだ。小池百合子さんも「この世には自分の正体を見破っている都民もいるのだ」と悟るべき時が来ているのだ。


我が国のマスコミは未成年と熟年者の活躍が好みのようで

2020-06-29 09:58:18 | コラム
藤井聡太七段が棋聖に王手:

兎に角、テレビも新聞も挙って藤井聡太七段がタイトルを獲得するだろうと大盛り上がりである。私に言わせて貰えば、対局中の昼食に何を頼んだかまで写真入りで報道するのは空騒ぎでしかないと思う。彼等の好みは何も将棋に限ったことではないが、年端も行かぬ子供たちが大の大人を尻目にと言うか、大人を退けるのが大好きなニュースであって、何が何でも優先して報道してくれるのだ。長幼の序が重んじられ、企業の世界では未だに年功序列が生きている我が国にあっては、彼等にとっては「下克上」はとてもおいしい話題のようだ。

私は何も未成年が大人や老人を退けることに興味がない訳でもないが、我が国には古くからの言い慣わしで、神童が「二十歳を過ぎればただの人」というのがある。現にそういう例は枚挙に暇がないほど出ていた。それでも彼等は懲りずに、未成年の台頭を取り上げて賞賛するのだ。藤井聡太七段の場合は順調に来ているのだし、棋聖の他にも挑戦権を取りそうなので尚更だ。私が不思議でならないことは、彼等は未成年を褒め称えるが未だ嘗て「負かされている大人がだらしがない」という類いの報道はしない点だ。「子供に負けて悔しくないのか」と何故訊きに行かないのだろうか。

そうかと思えば、彼等はスポーツの世界でも40歳を過ぎても一向に本格的に衰えることなく、現役の第一線を維持している選手を褒め称えるのも好みのようだ。昨夜もNPBの野球を見ていると現役最高齢の43歳の投手が中継ぎで出てきたら矢張り礼賛だったし、彼の他にも40歳超の選手の一覧表まで出てきた。私は何も彼等を引っ込めろとは言わないが、そういう年功経験豊かなプロの野球としては高齢者にレギュラーの地位を取られている若手が不甲斐ないという論調の方を待っているのだ。例に挙げては悪いが、何時まで経っても福留が出てくる阪神には魅力を感じないのだ。

ここで目をアメリカに転じてみよう。私が思ってもいなかった転進をした1970年代の初期には、かの国には“Forty out”という言い方が普及していた。この意味は「企業の幹部を目指すならば、40歳にしてそこに至っていない者は去れ」ということだった。現に、私が42歳で転進したウエアーハウザーでは、CEOのジョージに次ぐ#2の地位にあった上席副社長は私と同年齢だったが、その地位に到達したのは36歳だったそうだ。ジョージの社長兼CEO就任は39歳だったと聞かされていた。凄い世界に来てしまったのだと驚かされた。

私が何度か生涯最高の上司と称える副社長兼事業部長は州立大学の4年制を出ただけで、言わば別会社の地方の工場から引き上げられた上に大抜擢されて本部長に就任したのが39歳だった。MBAでもない者としては異例に近い出世だった。副社長に任じられたのは42歳だったが、当時のアメリカに広まっていた物の考え方では「遅い出世だ」となってしまうのだった。別な見方をすれば、Ivy League等の私立大学でMBAを採った者たちが採用されてきて、30歳台で俗に言う「スピード・トラック」に乗ってドンドンと出世していく世界だった。

そのアメリカが当方がリタイアした1990年代半ばとは異なる雰囲気が醸し出され始めているようなのだ。確かにGAFA等の創業者は若くして成功して名も為したし材も為したが、政界では70歳を超えたトランプ大統領が出現していたし、来たるべき11月の大統領選挙に民主党から打って出るジョー・バイデンは既にして77歳である。我が国のマスコミが「ようこそ、出て下さいました」と称えそうな高齢者であるが、今までの所では年齢をそれほど話題にしていない。

私は新型コロナウイルスにこれほど世界中が掻き回され混乱させられ、あまつさえ変化を強制されているかの感が濃厚なこの時代に、何十年も前のAIもなくデイジタル化もされていなかった時代の高齢者が出てくるべき時かという気がしてならない。その点では我が国の安倍総理の後継者候補として取り沙汰されている政治家たちは皆が60歳台に入っている。思い切っていえば「過去の経験が物を言える時代ではないときに・・・」なのだ。東京都知事の選挙に打って出た有力される候補の一人がやっと46歳である。往年のアメリカだったならば「アウト」の年齢なのだ。


6月28日 その2 何故通勤時間帯の満員電車の中では

2020-06-28 14:41:39 | コラム
何故感染者が出ていないのか:

先日、私はこのような(伝聞ではあるが)説を採り上げていた。即ち、早朝のラッシュアワーの満員電車よりも、バスでの感染者の例があったという話である。当然かも知れないが「何故そうなったのだろうか」との疑問も寄せられた。私はお医者様が指摘されたことだし、疑問を呈するだけの知識も何もある訳でもないので、そのまま引用しただけだったと言えば無責任かな。

そこで、無い知恵を絞って出来る限り考えて見た。導き出したのはこういう考え方だった。それは「早朝の通勤電車に乗っておられる会社員の方々は推定非感染者であり、皆が十分に注意して乗車されるのだろう。当然のことでマスクも着用しておられるだろうし、手も洗ってこられただろうし、吊革にも英語で言う「ハンド・レイル」にも触られないだろう。ましてや、恐らく何処の誰とも知らない他人同士が乗り合わせているのだから、大声で口角泡を飛ばしてというか、マスクを通過して飛沫を何メートルも先まで吹き飛ばすような会話などする訳がないと思うのだ。

当方は最早超満員の通勤電車を利用しなくなってから30年以上も経っているので、現在の通勤時間の実態を知る由もない。だが、当時でも一部の外国人を除けば、社内で大声で語り合っている者を見かけた(聞いた)ことはなかった。であれば、通勤時間帯の満員電車の中でもウイルスの感染者が出ないという可能性があるのかなと考えた次第だ。一歩を譲れば、もしも不幸にも車内で感染したとしても、感染経路不詳に区分されるのではないのだろうか。一方のバスの車内では空間も残されているし、盛んに話をしておられる高齢者は特に多い。

ザッと、こんな風に考えて見たのだが、諸賢は如何にお考えになるだろうか。