外務省の平壌での交渉に思う:
伊原局長は”strong bargaining position”を取れたのかと思った。
私は拉致家族被害者の会が「もう少し強く出て欲しかった」と嘆き、事前に実りが少ないのではと懸念したように、あの平壌での徐大河委員長まで素顔を見せた会談での伊原局長の姿勢には、テレビ画面に見る限りでは「何としても北朝鮮を説き伏せて結果を出す」という強気の姿勢が見えず、ただひたすら紳士的で「論争と対立」を避けようとしていた綺麗さがあったとしか私には思えなかった。(失礼!)
私は仕事の性質上、20数年間我が国の得意先である有力な企業を代表する方々と、時には誇張した表現をお許し願えば、「命の遣り取り」のような厳しく恐ろしい交渉を何度も何度も繰り返してきたものだった。と言うことは我が国には多くの国際交渉の歴戦の猛者がおられ、それほど難しい交渉でも一歩も引かずに、言わばアメリカ式の「これを言うことで失うものはない」と押して出られたり、論争を怖れずに突っ込んでこられるのに幾度も出会ったのだった。
私が失礼を顧みずに言わせて貰えば、伊原局長が外務省で高官になられる前に我々がビジネスの世界で経験してきたような対外的なきつい交渉を経験して来られたのだろうかという疑念である。私にはテレビカメラが入っていた間の局長の顔からは飽くまでも礼儀正しい外務省的な優しいというか何かを懸念したかのような穏やかな表情しか読み取れず、「国の為に何としてでも」という風には感じ取れなかった。勿論、私が読み違っていたのでカメラ不在の場では眦を決して交渉されたと思っているが。
掲題の”bargaining position”とは、ジーニアスには「(交渉・取引上)の立場、状況;発言力」とある。我々は単に”to take bargaining position”と言えば「交渉で有利な立場に立つ」という意味で使っていた。それを一層明確に言いたければその前に”strong”か”better”をつければ良いだろう。これを採って交渉を進めるのが重要な成功への鍵となるのだ。
そのポジションを取って交渉を有利に進める為には「先手必勝でまくし立てて、相手に反論する機会を与えない」であるとか、それこそ「論争と対立を怖れることなく、自己(あるいは自国か自社)の立場から議論を推し進める」という方法が普通だ。即ち、勝つか負けるか、当方の言い分を通すかが、国際的な交渉であり、妥協や中間点を採るなどということを最初から頭の中に置いてかかってはならないのだ。
そういう難しい交渉の場に責任者ないしは担当者として数多く経験すれば「外国人何するものぞ」という慣れと度胸が備わってくるものだ。即ち、話し合いの間に譲ってはならない一線が何処にあるかが自然に読めるようになり、相手の論旨の綻びも見えてくるものだ。感情論にも流れていかなくなるものだと私は考えている。
故にと言うか何と言うか、伊原局長がこれという拉致被害者の家族を納得させられるような結果を持ち帰らなかった(あるいは結果は出してあっても公表は控えたのかも知れないが)のは、この”bargaining position”を取り切れずに寧ろ国際的交渉に馴れた狡猾な北朝鮮側に押しきられたのではないのかと懸念するのだ。私の推測がが間違えていれば良いのだが、彼等は伊原局長の上品さに付け込んだのではないかとすら疑っている。
私は北朝鮮側は遺骨採取や日本人妻問題を優先していたと述べても何ら失うものがないと読み切って出てきたのではないかとすら疑っているのだが、読み違いであって欲しい。次回の交渉では是非とも「これで失うものなどない」という姿勢で出て、何としても”bargaining position”を採って議論を進めて貰いたい。
伊原局長は”strong bargaining position”を取れたのかと思った。
私は拉致家族被害者の会が「もう少し強く出て欲しかった」と嘆き、事前に実りが少ないのではと懸念したように、あの平壌での徐大河委員長まで素顔を見せた会談での伊原局長の姿勢には、テレビ画面に見る限りでは「何としても北朝鮮を説き伏せて結果を出す」という強気の姿勢が見えず、ただひたすら紳士的で「論争と対立」を避けようとしていた綺麗さがあったとしか私には思えなかった。(失礼!)
私は仕事の性質上、20数年間我が国の得意先である有力な企業を代表する方々と、時には誇張した表現をお許し願えば、「命の遣り取り」のような厳しく恐ろしい交渉を何度も何度も繰り返してきたものだった。と言うことは我が国には多くの国際交渉の歴戦の猛者がおられ、それほど難しい交渉でも一歩も引かずに、言わばアメリカ式の「これを言うことで失うものはない」と押して出られたり、論争を怖れずに突っ込んでこられるのに幾度も出会ったのだった。
私が失礼を顧みずに言わせて貰えば、伊原局長が外務省で高官になられる前に我々がビジネスの世界で経験してきたような対外的なきつい交渉を経験して来られたのだろうかという疑念である。私にはテレビカメラが入っていた間の局長の顔からは飽くまでも礼儀正しい外務省的な優しいというか何かを懸念したかのような穏やかな表情しか読み取れず、「国の為に何としてでも」という風には感じ取れなかった。勿論、私が読み違っていたのでカメラ不在の場では眦を決して交渉されたと思っているが。
掲題の”bargaining position”とは、ジーニアスには「(交渉・取引上)の立場、状況;発言力」とある。我々は単に”to take bargaining position”と言えば「交渉で有利な立場に立つ」という意味で使っていた。それを一層明確に言いたければその前に”strong”か”better”をつければ良いだろう。これを採って交渉を進めるのが重要な成功への鍵となるのだ。
そのポジションを取って交渉を有利に進める為には「先手必勝でまくし立てて、相手に反論する機会を与えない」であるとか、それこそ「論争と対立を怖れることなく、自己(あるいは自国か自社)の立場から議論を推し進める」という方法が普通だ。即ち、勝つか負けるか、当方の言い分を通すかが、国際的な交渉であり、妥協や中間点を採るなどということを最初から頭の中に置いてかかってはならないのだ。
そういう難しい交渉の場に責任者ないしは担当者として数多く経験すれば「外国人何するものぞ」という慣れと度胸が備わってくるものだ。即ち、話し合いの間に譲ってはならない一線が何処にあるかが自然に読めるようになり、相手の論旨の綻びも見えてくるものだ。感情論にも流れていかなくなるものだと私は考えている。
故にと言うか何と言うか、伊原局長がこれという拉致被害者の家族を納得させられるような結果を持ち帰らなかった(あるいは結果は出してあっても公表は控えたのかも知れないが)のは、この”bargaining position”を取り切れずに寧ろ国際的交渉に馴れた狡猾な北朝鮮側に押しきられたのではないのかと懸念するのだ。私の推測がが間違えていれば良いのだが、彼等は伊原局長の上品さに付け込んだのではないかとすら疑っている。
私は北朝鮮側は遺骨採取や日本人妻問題を優先していたと述べても何ら失うものがないと読み切って出てきたのではないかとすら疑っているのだが、読み違いであって欲しい。次回の交渉では是非とも「これで失うものなどない」という姿勢で出て、何としても”bargaining position”を採って議論を進めて貰いたい。