新宿区百人町の夜の賑わいに仰天した:
2006年1月の第1回目の心筋梗塞から回復し退院して以来、主治医に指示された訳ではなく、自発的に夜間の外出と外食はしないようにして来た。理由は言うまでもない事で我と我が身の「安全保障」である。細かいことまで言えば、明るいうちに会合などで出掛けて夜間に帰宅することまでは禁じてはいなかった。
その自主規制を破って、先日の未だ日が落ちていない午後6時に外食に出掛けて見た。目的は午後5時半頃にしか開店しない台湾料理の麗郷だった。この店は渋谷の名店である麗郷の支店だ。以前はランチもやっていたが、何時の頃からか夕方からのみになっていた。折良く、長男も訪れたので家内と3人で出掛けた。場所は大久保通りの新大久保駅の脇の路地を入った所で、徒歩12~13分という辺り。
些か驚かされたのは、新大久保駅の横の路地を一寸入った辺りから多くの韓国、タイ、ベトナム等々の料理屋がほぼ飲み屋の如くになって、大繁盛していたことだった。店内も街も老若男女の日本人と異邦人で街がごった返していた。大久保通りの山手線外側は昼間では大勢のアジア諸国の若者たちとイスラム教徒が我が物顔で闊歩しているのだが、午後6時を過ぎればその様相が一変していたのだった。
「なるほど、夜間出歩いて見ないと、自分が住んでいる街がどれほど変化するかも解らなくなってしまうのか」と痛感したのだった。しかも、またもや「ほんの風邪だ」などと言われるようになったCOVIDが言うなれば「リバウンド」したかに見える今日この頃でも、人々は蔓延防止等云々」や「緊急事態」の重しがなくなれば、かくも群を為して夜の外飲を楽しむのかと、認識させられた。老爺心からは「この様子では、本格的なリバウンドにならねば良いのだが」とも懸念していた。
だが、あれほど多くの人たちが楽しんでいれば、菅前首相が提唱された「経済を回す」との目論見が、今頃になって現実的になってきたのかとも思わせられた。ここ百人町のような、私流に表現すれば「近代化に取り残され、鄙びてしまった我が街がこれほど賑わうのであれば、本当の都心である銀座や六本木や渋谷や日本橋界隈では、さぞかし大型の車輪で経済を回していることだろうな」などと考えながら、人の流れを避けて7時頃に帰宅したのだった。
でも、偽らざる所を言えば「あんな状態で、外食と外飲みの人たちに依存しているかの如きこの街は健全なのか」と危惧していたのだった。更に言えば「給与も上がりもしない状況で、夜の街が賑わって来れば経済が回り景気が回復するものなのだろうか」などいう疑問も感じていた。