内側から見た日米の会社比較論:
事の始まりは今日の産経から尾形氏が田久保忠衛氏の
<20年ほど前に、ブレンジンスキーが「日本はアメリカの事実上の保護国だ」と言った。それから脱却するのか、もっと後退するのか、日本はその分岐点にある。(田久保忠衛氏)>
を引用されたことから始まったのでした。私はこの田久保氏の意見については反論はしませんが、下記のように考えを述べていったので、参考までにご紹介します。
<私の感覚では、彼らの内側で彼らの為に22年半も働いていた実感から言わせて貰えば、「彼らはと言うかアメリカは我が国を良い意味での子会社だと思っている、乃至は親会社として振る舞っている」のだったと思います。別な見方では「ビジネスの世界では我が国を非常に恐れており、決して保護しているなどとは考えていない者が多かった」となります。
更に見方を変えれば「アメリカは偉大なる田舎者集団ですから、我が国で一般的に想像しているような国際人は極めて少数派で、我が国については言うに及ばず、海外の諸国についての知識の持ち合わせもなく、また情報が少なく、一般的には国外の情勢を良く解っている人は少ないと言えます。日本とは如何なる国かを真に認識し理解している者は支配階層でも限定されていたと思います。念のため確認しておけば、私は出来る限りアメリカ人の視点に立って言っています。>
と反応しました。私は更に、
<「我が国はアメリカの保護国と言うよりも「優良子会社であったと実感してきました」と応じ、「アメリカ側に立ってみれば親会社として振る舞う場面が多かったと感じていた」と補足しました。即ち、これは「健全経営で少なくとも親会社が投じた金額を銀行預金にしたよりもより利回りである配当をする会社」ということだと思っております。長年旧Kパルプ社の直轄の販売代理店である子会社におりまして、親会社が何を狙って投資したのかかを聞かされました。
私は良い子会社に育てていくのが親会社の役目であるのですが、決して望んでいたほどには保護はされませんでした。メーカーとして他の販売先(資本関係のない代理店)の手前、我々だけを特別扱いにはしなかったのだと解釈していました。
私がアメリカの会社2社に在籍している間に、日本という子会社は成長し過ぎて色々な分野でアメリカの脅威にもなったし、競合関係にもなっていったのでした。その為にある種の敵愾心のようなものも芽生えました。事実、アメリカは我が国に完全に追い抜かれた自動車のような産業界もあり、1970年代末期だったかにNBCが「日本に出来る事が何故我々に出来ないのか」という長時間番組を放映し、大反響を呼びました。我々も社内で何度も見せられましたし、アメリカでその番組を見損なった知人の退役中佐は出張してきた際に、我が家まで来て一緒に見たほどでした。>
とのような見方を追加しました。更に良き子会社とはとして、
<何時だったか、1995年に紙業タイムス誌に載せた1990年に本社事業部全員に聞いて貰ったプリゼンテーション「日米企業社会における文化比較論」をご覧に入れた記憶もあります。私はアメリカの会社が日本に進出して望んでいたような成功を為し得なかったことの最大の理由は、「雇っている日本人の質がそれほど高くなかったこと」にもあると思うのです。しかも、英語が出来る者が実力があると錯覚していました。ここでは、自分のことは棚に上げて語っています、念のため。
私は日本の会社で将来性を嘱望するような優れた材であれば、容易には手放さないと思っていますし、そう認識もしております。何人かから「貴方は向こうの会社が合っていたようだ」と言われましたが、そこにも誤解があると思うのです。生活の手段として採用して貰えたのであって、その環境に如何に順応していくか、評価されるかは簡単なことではありませんでした。
更に、「上記のようなことで、往々にしてアメリカの会社の日本における出店(営業所か支社)にはまがい物の英語を話し、『日本人の皮を被っているアメリカ人擬き』と私が極言したような者が多いと思っています」と後難を恐れつつ持論を展開しました。一般論としては、上司と本社に逆らえず「会社の代弁をするだけ」の社員ばかりが多かったようでした。本部が望む社員とは「客先に本社の意向を余すところなく伝えて、反論を許さず、従わせるのが重要な任務を遂行する者」だったのです。
それは「お客の代弁をするような(customer first)日本人社員」は本部では余り評価せず、不快に思っていたのでした。この辺りが、私がこれまでに何度も採り上げてきた“representation of the customer to the company”なので、“representation of the company to the company”型と対比されて歓迎されるのです。遺憾ながら私は屡々上司に直言するような全社のような不良社員だったので、M社の本部からは競合する他社の日本人マネージャーを例に挙げて「君も少しは彼を見習えば良い社員になれる」と苦言を呈されました。
しかし、良く考えるまでもアメリカの会社に雇われている以上「何処の誰から給与を貰っているのかを認識する時」に、会社の意向を得意先に忠実に同意させるあるべきだったと言えるのです。しかし、客先では会社の意向を伝えに来るだけの営業担当者は「当時者能力に欠けると歓迎しない」と評判は悪くなるものですが、それは仕方がないことだとは解っておりました。その辺りを表す表現が“From where your pay check come from?”に日米間の文化の相違が凝縮されています。
パルプのような原料を製紙会社お買い上げ頂いていることは、そのメーカーの製紙会社としての生殺与奪の権利を握っているようなことですから、北米のパルプメーカーの会社に逆らうお客様は希でした。話の方向がやや変わってしまいましたが、我が国では通用する“representation of the customer to the company”の姿勢は客先には評価されても、アメリカの会社では職(雇用)の安全性を損なう危険性があるのです。