新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

恵 隆之介氏との意見交換

2015-07-31 13:17:40 | コラム
恵 隆之介氏より、以下のご意見を賜りましたので、私からの返信とともに紹介します。

>引用開始
日本海軍の武士道:

平成16年6月、取材のため渡英した際、マレー沖海戦、戦艦「プリンス・オブ・ウエルズ」元乗務グラム・アレン大尉から「日本国民へ感謝と敬意を伝えてくれ」と言う前置きで次のことを託されました。

「1941年12月10日、マレー半島クワンタン沖で日本海軍航空隊と約2時間の交戦の後、乗艦は沈みはじめた。すると日本海軍航空隊は一切の攻撃を中止、護衛駆逐艦による救助活動を一切妨害せず、また同海域からシンガポールに帰投する間、上空護衛をしてくれた。日本の武士道に我々は救われた」拙著の主人公サムエル・フォール元少尉は著書「マイ・ラッキイ・ライフ」巻頭に「自分を救ってくれた工藤俊作少佐に捧げる」と明記しております

予科練出身の方から伺ったのですが、入隊直後に、教官から「①非戦闘員を撃つな、② 病院船および一般商船を攻撃するな ③ 敵のパイロットを撃つな」と厳しく教育されたそうです。「これで戦争ができるのか」と思うほどだったそうです。

その他、マレー沖およびジャワ沖海戦生存者を取材したのですが、異口同音に、帝国海軍に敬意を表しておりました。アレン大尉の件は録画しておりますのでいつか公表しようと思っております。
>引用終わる

私からの返信:

良いお話しをお聞かせ下さいまして誠に有り難く厚く御礼申し上げます。私は長い間アメリカの大手紙パルプ林産物会社に勤務し対日輸出に従事した経験から言えるのですが、我が国の「綺麗さ」、「公正且つ公平さ」、「他者への配慮」(=気配りと気遣い)は文化であり美徳であって西欧諸国には求められないことであると信じております。

その点はご指摘の「教官から「①非戦闘員を撃つな、② 病院船および一般商船を攻撃するな ③ 敵のパイロットを撃つな」と厳しく教育されたそうです」に如実に表れてい
ると痛感します。しかし、自分が忌避するカタカナ語で申し上げますとその「フェアープレー」の精神が溢れた綺麗さは欧米人に動もすると付け込まれていると思っております。経験的にもそれが弱点であり、彼らの交渉の際の狙い目であったと思っております。

この問題点は語れば尽きませんので簡単に言えば、目下進行中のTPP会議についてマスコミは何かといえば「妥結するか」だの「妥協点を模索する」だのと観測記事をぶち上げますが、ものを知らないのも甚だしいと嘆いております。彼らの使命は「相手をこちらの思うように押し切って目標を達成すること以外に何があるのか」にあるので、妥協点や落としどころを探ることなど許される訳はありません。彼らはその為にはフェアープレー等考えていないとさえ言えます。

私は我が国が採るべき策としては「我が国の美徳と何処まで公正且つ公平に徹する文化の国だ」と言うことを欧米や北のアジアの2国に徹底的に知らしめることに努力するべきだと考えております。彼らはフェアーではないので、我が国も同じようにフェアーではないと思っていると言って誤りではないのでしょう。

因みに、世界的なサッカーの大会で何時もフェアープレー賞を取ってくるのは我が国だという事実も「この文化の違い」を悲しいほど表しております。それを知らないのがマスコミであるのも困ったことです。フェアーに試合して負けては何にもなりません。

2月の入院中にアジアカップのサッカーの決勝戦 オーストラリア対韓国 をテレビ観戦しましたが、両国の民族性を表した凄惨な当たり合いのゲームになっていました。あの様子では仮令我が国が決勝に残れても、綺麗事のサッカーでは鎧袖一触だったと思いながら見ておりました。

私は我が国が彼らと同様にフェアープレーの精神を棄てろとは言いませんが、そういう相手にはそういう対策を立てて望むべきだと言いたいのです。この度の世界遺産登録で韓国が示した態度などは始めから読んでかかるべきで、外務省の弱腰と甘さが悲しいほど表れていました。あれは私に言わせて貰えば、彼等は我が国の綺麗事外交に付け込んできたという単純な出来事でした。

諸外国と亘り合うことはただ単に外国語が操れるだけでは不十分です。彼我の文化と思考体系の違いを読み切って初めて対等に近いところまでいけます。後は「論争と対立」を怖れないことです。我が国の方々はこの点が実に弱いとアメリカの会社の日本駐在員としては何時も切歯扼腕でした。「こんなヘナチョコ外人に譲らないで下さい」と心の中で叫んでいました。


7月30日 余談のその2

2015-07-30 16:34:23 | コラム
Masと呼んでくれると有り難い:

私の名前はローマ字にすれば”Masaaki”となります。そこで、ニックネームというか、愛称を”Mike”にしたらどうだと勧めてくれたアメリカ人も同胞もいました。それは彼らの中にいれば必ずニックネームで呼び合う文化があるからですし、マサアキは長過ぎるというのです。愛称は大体一音節の愛称が多いようです。例えば、”William”が”Bill”で、”Robert”が”Bob”や”Rob”に、"Richard"が"Dick"になるような具合です。

しかし、「お前は骨の髄まで日本人だ」と言われた私は断固アメリカ式愛称を拒否して、”Masaaki”の最初の三文字を採って”Mas”と名乗ることにしました。これは日系人で”Shigeru”という人が”Shig”だったことをヒントにしました。一寸難しかったのは”a”を”cat”のようにして「ミャス」と呼べというのかと尋ねられた点でした。「そうではない、Masaakiの最初の部分を詰めた感じで言ってくれ」などと説明してから実際にやって聞かせたりしたものでした。愛国精神も疲れるものだと知った次第でした。

7月30日 その2 本日の余談

2015-07-30 12:36:02 | コラム
嘗てアメリカ在住が40年を超えたという方とこちらで雑談中に、偶々”Michael”の読み方の話になりました。私は何気なく我が国では「マイケルとカタカナ表記されているが」と言うと、「貴方ともあろう人が間違っている。この発音は”マイクル”に近いのだ」と直されてしまいました。それは承知していましたが、私はカタカナ表記の何ものをも特定しないおかしさを語ったつもりでしたので、やや毒気を抜かれた思いでした。

因みに、Michaelのニックネーム(言うか略称)は”Mike”ですから、マイク眞木と名乗る歌手は最初から略称を名乗っていた訳ですね。良く考えると、このスペリングを最初に「マイケル」と読んだ先人は如何なる根拠でそうしたかが不思議に思えてなりません。ミチャエルだっておかしくはないと思ってしまうのですが。

本日の感動

2015-07-30 09:03:27 | コラム
産経が「ハディド氏再提案」との見出しをつけた:

これは本30日の2面に”新国立「白紙」IOC了承”という記事の言わば補足で、ハディド氏」としてあったのだった。私は「流石に産経、良くやってくれた」と当たり前のことなのに、何と感動までしてしまったのだった。本当のことを言えば「こんな事で感動するのが情けないのだ」となる。それほど多くのマスコミはこの程度の基本的な文化の違いが解っていないのだ。

我が親愛なるマスコミ界では私が何度も繰り返して指摘してきた、この手の名字(the last name)と名前(first name)の混同が余りにも激しいので、今朝の産経のような普通の表記が非常に新鮮に感じてしまうのだ。

我が国の名字を先に表記する文化と西欧の”first name first”の文化を我が国では何もマスコミだけではなく、至る所で混同し「マイケルさん」だとか「ポールさん」だとかいうおかしな表記を平然として行ってきたのである。だが、何故か「バラクさん」というのは見たことも聞いたこともない。

このくらいの相違点は英語を学び出せば直ぐに出てくることで、中学校に在学中にでも承知しているべきだと私は固く信じている。だが、実態はそうは行かないのだ。テレビなどに登場する所謂文化人の方でも平気で「ザハ氏」等と言っている始末だ。一体学校で何を勉強してきたのかと問いたい。文科省は国立競技場新設問題で失態を演じたと局長まで更迭されたが、この程度の文化の違いを教え損なった責任は誰が負うのか。

このくらいの基本的な事柄が徹底出来ていない状態で、小学校低学年から英語を教えると決める神経が解らない。駄目な教師が小学校から教えるというのだから、結果は始まる前から解っているのはないのか。

マイケルさんに話を戻そう。時たまマイケルが名字のことがあるのが英語のいやらしさだが、ここでのマイケルはほとんどの場合マイケル・ジャクソンなのだから救いがない。もうお察しの向きもあるだろうが「ポールさん」はポール・マカートニーのことらしい。何度も指摘したが、マイケル(Michaelも発音はマイクルが近い)やポール(Paul)等というファーストネームを持つ人はいくらでもいるので、こう言っただけでは何処の誰とも特定しないと知れ。

以前にも指摘したが、このような過ちをマスコミ等が犯し続けても誰も疑わず、それを真似してテレビに出てまで使うような文化人を産んだ英語教育担当者は、少しは反省せよと再度言っておきたい。最後に笑えない錯覚の話で結んでおきたい。

技術者のGeorge Smithさん(仮名)は日本市場担当になって躊躇なく名刺の裏に「ジョージ・スミス」と印刷した。そして何処に行っても、何時まで経っても「ミスター・スミス」と呼ばれ続け、「俺はこれほどお客様と親しくなってもファーストネームでは呼ばれないので仲間ではなく余所者扱いだな」と嘆いていた。すると、ある工場で新任の課長が彼の名刺を矯めつ眇めつ眺めてから「ジョージさん」と呼びかけてきたのだった。

彼は感動した「この人は初対面でも俺をファーストネームで呼んでくれた。やっと彼が私を親しい間だと認めてくれたのだ」と泣きそうな思いだったそうだ。だが、私は単なる課長さんの勘違いで先に出ていた方が名字だと思っただけだと信じていた。だが、私はスミスさんにその点を告げる気にはなれず、喜びに浸らせて上げた。

そして余計なお世話だと承知で、後刻課長さんに確認すると「エッツ、彼の名字はジョージさんではないのですか。知らなかった」で終わったのは言うまでもないこと。あーあ。

本日帰京しましたが

2015-07-29 15:45:29 | コラム
確かに帰京致しましたが、本格的投稿は一日お待ち下されば有り難いのです。今は試しに打ってみましたが、まるで指が動きません。以下は取りあえず御無沙汰のお詫び代わりの駄文です。

気になる事柄:

ザハ・ハディドはどっちが名字:
この方の表記を平気で「ザハ氏」とされる方が多いの気になります。マスコミは間抜けですから何度言ってやっても欧米人の名字と名前の区別がつかないので仕方がないのですが、結構な知性の高い方が「ザハ氏」と表記されるのは如何なものかと思います。先日、中近東駐在経験者(アラビア語が解る人)に確認してみましたが、「ハディド」が名字だそうです。こういうおかしな表記は何とかならないものでしょうかね。

それにしてもマスコミは学習しない連中の集まりだとウンザリです。マスコミ以外にもおられるのはどうもね。偶には少し調べてから記事にしたらどうでしょうか。

飛行機は危険だ:
次は調布で小型機が墜落した件。誠にいたましい事件で犠牲者には心からお悔やみ申し上げます。しかし、都心を離れた間中、テレビのニュースはこの件の特集ばかり。これが非常に気になることで、普天間の件や嘗て私が何度か例に挙げた住宅公団に工場の敷地の一を売却した製紙工場がその後に建ったアパートの住民に製紙の工程で出る排気と臭気が大気汚染であると訴えられ、遂に工場を廃棄したという話を想起されられます。

即ち、早晩羽田を離発着する飛行機が新宿や渋谷の上空を飛行するとして、何時か墜落したら大事故になるとの仮定の論理が罷り通って「オリンピックの為に一般市民の生活が危機に曝されるはいかん」という大衆運動が起きないという保証はない気がします。確かに飛行機は墜落することはありますし、その際は大事故が起きて死傷者が出ることは既に世界でも立証されています。

しかし、その確率と自動車事故発生の確率の何れが高いかは専門家の意見を待つまでもないでしょう。でもマスコミは当分の間羽田発着便の危険性を暗示し続けるだろう気がしてなりません。私は彼らはこれこそが自分たちの尊い使命だと信じているのだろうとすら考えています。しかも、この種の報道は直接に危険性云々に触れなくても、一定以下の民度の方々は「そうだ、危険だ!」と気が付かれるでしょう。マスコミは「してやったり」でしょう。