新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

アメリカの大学の情報管理

2014-07-29 06:48:12 | コラム
個人のPC持ち込みも使用も禁止:

私は以前からアメリカの大学では個人のPCの使用を禁じられていると承知していました。一昨年まで8年間アメリカの私立大学4校のビジネススクールで8年間教員を務めていたYM氏は、先週23日の講演会で下記のように実体験を語りました。

先ずStanfordで「学内にネットに繋がるPCを持ち込んで使用しないこと」を厳しく通告されたそうでした。「もし、どうしても使いたければ、大学が許可した絶対安全な場所に設置されたものだけを認める」のだそうです。その場所とは極端に言えば、特定の部屋の天井から釣る下げてある箱のような床面と接触していない場所を想像すれば良いのだそうです。

実は、私はこの件は2003年から2年間イリノイ大学に研究留学された某有名私大のT教授も同じことを伺いました。即ち、私とのEmailによる連絡は自分のアパートに戻った時にしか出来なかったので返信が遅れがちの理由を説明されて確認出来ました。何故禁じられているかは説明の要はないと思いますが、一流大学は常にハッカー等に執拗に狙われているということでしょう。

また、2005年に出会ったオレゴン大学から明治大学に留学していた男子学生(偶然にもW社の木材部門の管理職の息子でしたが)と語り合った際にも「この個人のPC使用禁止はその通りであり、そのためにアメリカでは古き良き習慣である手紙を書くこと("Good old custom of writing letter has revived." という表現だったと記憶します)が復活した」と言ったのです。

この辺りに我が国とアメリカとの情報の取り扱いの違いが見えてきます。CIAやNSAのような組織があるアメリカでは非常に厳しく管理・運営されていると思うのです。


諸外国では我が国ほどの食の安全が期待出来るのか

2014-07-28 08:11:25 | コラム
見ぬこと清し(潔し?):

目下中国のアメリカ系の食品会社(福喜と書いてフシと読ませるらしい)の安全管理が大問題を起こしているようだ。この問題が発覚したのが潜入取材だったという辺りが不思議な興味をそそる。中国の衛生と清潔に対する観念とその基準が、我が国とは大いに異なることが良く解る事例だ。

その昔、明治38年(1905年)生まれの母親が屡々指摘していたことが「見ぬこと清し」だった。その意味は「お客から(ないしは家族からとも言えるか?)見えない厨房で行われていることは全て清潔に調理されたとの善意の暗黙の了解で食べているのだ」ということだと教えられた。これをここでも当て嵌めれば「アメリカ系の会社で作られた物ならば清潔だろう」と勝手に思い込んでいたのではないか、となりはしないか。

私は中国を2001年に上海、2002円に北京(万里の長城)と上海、2005年上海と蘇州と合計3回もパック旅行で訪れていた。そして純真無垢(ここでは "naive" でも誤りではないかも知れない)にも「中国の食べ物は安価で美味だ」と満足して帰ってきた。2005年には中国人ガイドに「団体を離れて行動して事故が起きた場合の全責任は我々にある」との誓約書を書かされてまでも家内と共に単独行動で有名な小籠包の店に出掛けていった。美味だったし信じられないほど安かった。

その他にも商社の駐在員に教えられた名店にも行ってみたが「その価格では信じられないほど美味だった上海料理」が楽しめた。兎に角、何処で何を食べても価格を考えれば失望感がなかった。しかし、今にして思えば「見ぬこと(見ることが出来ない?)こと清し」だったのだろうか。北京のかの有名店での北京ダックなども堪能したものだった。

東南アジアに目を転じよう。以下は清潔との関連は確実には解らないが、危険性が高いだろうとは感じていたタイ国でのことだ。1992年に得意先の創立記念旅行に参加を要請されて生まれて初めてタイに行った時のことだった。先ず、チャオプラヤ川が市民の水浴びの場であり、洗濯や手を洗う場であり、沿岸に建つ家の排泄物まで飲み込んでいることに驚かされた。

タイ国生まれの日本人ガイドには「何処に行っても見かける無数の屋台では衛生観念とは無縁の料理が提供されているので絶対に手を出さないように」と聞かされていた。ホテルの添乗員の部屋には多くのミネラルウォーターのペットボトルが並び「これ以外は飲まないように」と警告された。
私は一応警戒態勢を採っていたつもりだが、初めての本場のトムヤムクーン等の激辛の味を無邪気に楽しんだ。

3日目辺りからややおかしいなと感じたが、そのまま帰国して家に一泊?してアメリカ出張に家内と共に向かった。と言うのは、本社での日本からの団体のアテンドは到着した翌日の金曜日1日だけのことで、日曜日からは休暇を取ってヨーロッパ旅行に行く予定だったのだ。しかし、何としたことかタイ国の料理の影響で土曜日は朝から晩まで手洗いの中で苦しんで過ごしたのだった。

そこで、某商社の駐在員にお助けを願って下痢止めを提供して頂いて何とか治まって、無事に日曜日の朝06:30発のフライトでパリに向かった。しかし、パリでは安全策を採ってまともなフランス料理に手を出すことなく、所謂乾燥食だけで3日滞在して兎に角観光だけをして、次ぎの目的地に飛んでいった次第だった。残念無念の思いが残った。

次なる経験は1997年7月に2度目のインドネシア出張をした時のことだった。同年の1月の初インドネシア出張の時には何とか無事に過ごせたのだったので、些か油断があったのかも知れない。初めての時に驚かされたのが駐在員が行く先々のレストランで、先ずウエット・ティシュを取りだしてテーブルの上の全食器と箸からナイフやフォーク等も拭いてしまったことだった。彼は「これは常識で店側も気にしないからドンドンやるように」と指示した。

また、飲み物は瓶でも缶でも直接口をつけずにストローを使用することで、ストローも疑ってかかり、拭いてからが無難だと教えてくれた。この時は無事に1週間の出張を終えて帰国した。なお、タイ国もインドネシアでも水を飲むことは禁止で冷蔵庫の氷も絶対に飲み物には入れないことは常識だった。

そこまで承知していても2度目のインドネシアではジャカルタの次ぎのスラバヤでやられた。いや、何でやられたかは解らなかった。同じ食事を続けて来た2人の同行者は無事で朝から予定通りに工場訪問に出掛けたが、当方は午前中一杯を手洗いの中で過ごしたものだった。食の安全が確保されていない国に駐在した人たちに聞くと「赴任後の一ヶ月は下痢との戦いで、この難関を通り越して初めて一人前だ」なのだそうだ。

それでは短期の旅行者が無事に切り抜けるのは至難の業ではないかと思わざるを得ない。私は何故か5回も訪れた韓国と中国では無事だった。アメリカはレストランで水が出てくるので、それは少なくとも安全の保証のシグナルだと思っている。それに在職中の22年間に50回以上出張していても無事に過ごせた。あるいはアメリカの食べ物に対すいる適性は、習うよりも既に我が国で馴れていたためかも知れない。

もしかすると、我が国にはマクドナルド等の無数のアメリカのファストフードチェーン店が広まっているので、「我々の胃腸がアメリカ化されているのかも知れないのかな」などと詰まらないことを考えているのだが。何れにせよ「外国に行ったならば、そこでは我が国ほどの食の安全は確保されていないのだ」と疑ってかかって良いだろうし、どのように食材が確保され調理されているのかは見えないのだから。必要なことは「性善説を信奉しているのは我が国だけのこと」という認識かも知れない。

ビーフステーキ談義

2014-07-27 10:07:45 | コラム
ビーフステーキ(beef steak)の思い出:

アメリカでは確かにビーフステーキ(=beef steak)は良く食べた。これは必ずしも「それが美味である」とか「好みであるから」という理由ではなかった。では何でかと言えば、カイロプラクティックの野路秀樹先生に「牛肉は人を駆り立てる要素がある食べ物だから、長期の出張中に疲労感が出てきたら食べると良い」と教えられていたからだった。

それは裏を返せば「しょっちゅう食べていない方が良い」という忠告でもあったと解釈している。それは必ずしも「食べ過ぎを回避せよ」という意味でもないと思う。

既に述べたように私は「アメリカのステーキが美味くない」というのは必ずしも正しい説だとは思っていない。勿論、人にはそれぞれの好みがあり、我が国で一般的な綺麗なサシが入った軟らかい肉が良い人もいれば、アメリカ風の量が多くて少し噛み応えがある肉を良しとする人もいるものだ。

1975年だったかに、都内で時間の関係で今となっては懐かしき"Volks"に何の事前の説明もせずに、ボスを案内したことがあった。彼はそのステーキにたれをかけて食べていた私に「何という無駄なことをするのか。これほど柔らかくて美味い肉はそのまま食べてこそ価値が解るのだ」と言って賞味していた。これぞ毎度お馴染みの(食の)文化の違いだと痛感した。

アメリカではヒレ(fillet)よりも脂身があって噛みやすいと思っていたサーロイン(sirloin)を多く食べていた。量は黙っていれば概ね1ポンド(0.4536キロ)だと思っている。これは我々にとってはかなり多めで、馴れないうちは食べきるのに苦労したものだった。しかし、気力を回復する効果があったと信じている。

Tボーン・ステーキ(T-bone steak)も時偶楽しんだ。これはT字型の骨の両側にサーロインとテンダーロインが付いているもので、1人で食べきるのはかなり大変だった。しかし、これらのステーキの値段は先ず我が国で食べるもものの50~60%であるから、その数量からすれば割安だと思っている。

アメリカのステーキでも「これは美味だ」と味わったのが「シャトーブリアン」(chateaubriand steak)で、確か2人以上いないと注文出来ないと記憶する。初めてその機会を得たのが、ワシントン州にある軍隊の基地内の将校以上専用のOfficers Clubだった。その威容にも圧倒されたが、「ナルホド勧められただけのことはある」と味わった。

次ぎはステーキ関連の話しであるが、味のことではない。1980年代に入った頃にカリフォルニア州のナパヴァレーにサンフランシスコ営業所長の別宅に案内された後で、その地方のレストランに食事に行こうとなった。そこは予約無しに訪れたのだったが、「幸運にも丁度テーブルが空いたところだ」と何故か所長夫妻は感激していた。そこは石焼きステーキのレストランで、結構美味いステーキと(当時は少しは飲めたので)カリフォルニアワインを堪能した。

しかしながら、夜だったので自分がどのような建物にいたのか知らないままに食事の後でサンフランシスコ市内に向かった。すると、そこには空港があって多くの小型機が離着陸していた。ナパヴァレーのローカル空港だった。所長夫妻は「あの飛行機は石焼きステーキを食べに来る人たちのもので、飛行機で来るほど価値があると言うほどの人気だ」と説明してくれた。矢張りアメリカはスケールが大きいのだとひたすら感心させられた。しかし、このレストランは今や廃業したと聞いている。惜しいことをしたものだ。

イタリアに話しを移そう。1999年にたった一度だけ訪れたイタリアだが、出発前にイタリア駐在経験がある商社マンに「何処で何を食べれば良いか」と教えて貰った。その時に貰ったメモに "Bistecca alla Fiorentina" とあった。即ち、「フィレンツエに行ったらお試しを」ということだった。パック旅行で、フィレンツエではホテルの外に食べに行く時間の余裕がなく、ダイニングルームでそのメモを見せて注文した。

この「ビステカ・アッラ・フィオレンティーナは言うなれば T-bone steak のイタリア版で、肩ロースのステーキのことだった。その量は家内と二人に丁度適量(大量?)で味は流石と思わせてくれた。貴重な経験だった。

最後に、アメリカのステーキの悪用法(?)をご紹介しよう。それは(ここだけの話だが)アメリカをご案内して差し上げるお客様の中には我々アテンド(attend)即ち「お世話する」側を苦労させて下さる方がおられることがある。そのような場合に最後の夜などに「折角お出でになったのだからアメリカのステーキを賞味されては如何」とお薦めする。

さらにその前に私は通常「ハーフ・サイズ」を注文するシーザーサラダ(Caesar salad)や、大きなバケツが出てきたかと思わせられる「アサリの酒蒸し」(steamed clams)を前菜に注文して差し上げるのだ。ここまでで先ず100%以上の満腹となる。そこで500グラムのステーキが出てくるのだ。しかもその前に「アメリカでは食べ残しは非礼である」などと申し上げておく。

そしてお客様が全部食べきるために悪戦苦闘される様子を横目に見て、自分の適量のステーキを楽しんでいたものだった。これは決して意地悪ではなく、これらの三品はどれをとってもアメリカならではの美味い食べ物で、我が国では味わえないものだと確信している。もし問題があるならば、一寸分量が多いことくらいかな。

オバマ大統領は戦後最悪か

2014-07-26 15:02:58 | コラム
貴方はGeorge Bush Jr.大統領の存在を忘れてはいませんか?

今週の水曜日の会合の後の喫茶店での二次会で、何時も個性豊かな意見を述べる会員が私に「貴方もオバマ大統領の能力そのものと併せて統治能力が史上最悪と言うが、それは間違ってはいないか。またはGeorge Bush Jr.の悪政をお忘れではないか」と語りかけてきた。やや虚をつかれた感があった。

彼は「確かにオバマ大統領は誰がやっても上手く行くはずがない時に、政治・経済・軍事・外交・防衛の「ど」が付く素人でありながら当選を果たし、その直後からリーマンブラザース・ショック等の事態をさらに悪化させた悪条件を背負った。そして、その事態への対応は全く不手際だったし、オバマケアもあの体たらくだ。だが、良く考えて頂きたい。イラクに侵攻したのは誰だったか。アメリカを史上最悪の不況に追い込む素地を造っていったのはどの大統領だったかについての意見が欠落してはいないか。

私はオバマ大統領が最善の選択ではないことに異論はない。だが、George Bush Jr.がオバマ大統領との対比での評価を問われれば、少なくとも「それ以上ではあり得ず、それ以下の評価をしても誤りではないかとも考えている」と言うのだった。

共和党派の会社に長くお世話になり、しかも在職時のオウナー・ファミリーの当主でCEOだったGeorge Wが、パパ・ブッシュとYale大学の同期生だったという親密な関係だったことの影響もあって、私はどちらかという前に明らかに共和党政権には点が甘かったと言えるとか、秘かに小さく反省していた次第だ。でも、オバマ大統領はふらつき過ぎだ。