オバマ大統領がいきなり「シンゾー」と呼んだ:
23日夜の何処かの局のニュースには、オバマ大統領が「次郎」の前で待つ安倍総理に「ハーイ。シンゾー!」と声をかけたと報じていたが、私にもそう言われたと聞こえた。だが、今日まで、あれほど「ロン/ヤス関係」の素晴らしさをウンザリするほど伝えてきたマスコミは、この記念すべき?お声がけの貴重さをほとんど報じていなかった気がする。何でだろう。このような呼びかけを"First name basis (terms)"というが、私は大統領がいきなりこうしたことは意外だった。
今日のような国際化の時代にあって、英語教育の必要性と重要さをあれほど騒ぎ立てている我が国では、一向に掲題の"first name basis (=「ファーストネームで呼び合う間柄」という訳もあるようだ)の意味が正しく理解されていないようだ。念のため言っておくと「ファーストネームとは奇妙なマスコミ用語の『下の名前』のことを指す」のである。
我が国では初めて知り合った者同士がいきなり「それでは。太郎」や「何だい。二郎」のように名字ではなく名前で呼び合う習慣はない。先ずは相手の名字(="last name or family name"で良いのだが、UK式では"surname"何でいうのもある)の後に年齢や上下関係に基づいて「さん」だの「君」だのを付けるのが礼儀だろう。一寸前の当世風な表現だったならば「ため口」というのもあるが。
しかし、英語の世界では親しくあろうとなかろうと、ファーストネームか、またはそれを基にした"nickname"(=愛称またはあだ名)で呼び合うことが普通だと思っていて良いだろう。私はこの世に蔓延る「英会話」の本に「初対面の外国人とは(または、人とは)先ず名刺を交換し、相手の姓名("full name")を読み上げて『これで宜しいのでしょうか』と確認せよ」とあったと記憶する。私はそれで良いと認識している。
さらに「その相手が例えば"John Henry"という人だったならば、"How may may I call you, Mr. Henry or John?"のように尋ねるか、"Would you mind, if I called you John?"のように訊いてみなさい」ともあった。尤もである。これは相手次第であ、中には(その人の地位によっては)ファーストネームで呼ばれることを好まず、名字にMr.を付けて呼べと要求する人もいるので、要注意である。
しかし、上記のように"nickname"が存在するので、人によっては名刺に名前の代わりにこれを記載していることがある。上記のJohnでは"Jack"、"Johnny"、"Jay"というようなバリエーションがあるので厄介だ。他にもこのような例を挙げておくとRobertは"Bob"(決して「ボブ」ではなく「バ」を少し伸ばしてアクセントを付けて「バーブ」に近くなる)、"Bobby"や"Rob"がある。女性では"Elizabeth"がBess"、"Bessie"、"Beth"、"Betty"、"Liz"等々と限りなく変化していくので困る例もある。
即ち、既にお察しの向きもあるだろうが、実質的には何のことはない"on a nickname basis"が実態なのである。故に、ファーストネームまたはニックネームで呼び合うことが親しさの段階を表すとは限らないのだ。かの英語世界では単なる習慣であるし、「それで読んで下さい」か「それで呼び合おうではないか」との合意の下に成り立っているだけのことだと考えて誤りではない。
だが、我が国の文化にはそういう習慣がないので、ほんの数分前まで見ず知らずの間柄だった人を、いきなり"Hey, Jack."と呼びかけるのは失礼ではないかと危惧するので容易ではないし、経験上もそうだった。何が言いたいのかと言えば、ロナルド・レーガン大統領と中曽根康弘元総理の間柄を「ロン/ヤスと呼び合うような親密さ」と表現するのは如何なものかと言うこと。
思うにレーガン大統領が「Ronaldでは他人行儀だ。同盟国の最高責任者としてニックネームで呼び合おう」と提案したのではないかと疑っている。
Roaldのニックネームが"Ron"で中曽根康弘元総理の場合は康弘を短縮して"Yas"としただけではないのだろうか。かく申し私はMasaakiを短縮して"Mas"をニックネームとしていた。多くの方から"Mike"か"Mick"のような形を推薦して頂いたが、元々親が付けてくれた名前を短縮することに執着した次第だ。
最後にW社での経験談を採り上げて、「ファーストネーム・ベーシス」の微妙な点を説明しておこう。W社第8代目のCEOにしてW家第4代目の当主Georgeは堅苦しさと儀式を好まず、社内の誰にでも「ジョージ」と呼びかけることを求めたそうだ。皆それに従って気安く(怖れつつ)「ハイ、ジョージ」と呼びかけていたらしい。私は1978年に初対面のジョージの三日間の京都から兵庫県三木市出張のご案内兼通訳をやらざるを得ないことがあった。
付き添ってきた本社副社長兼事業部長に必ず「私がご案内役ですと挨拶に行く時には、ジョージと呼べ。彼は儀式ばることが嫌いだと聞いているだろう」と念を押された。だが、現実に彼の前に立って「ジョージ」と呼びかける時には動悸がしていた。だが、その一度だけで馴れた。しかし、その後で本社のSenior vice presidentの案内をしたことがあったが、何も考えずにファーストネームで呼び続けていた。
だが、彼は本社内では「名字の前にMr.を付けて呼べ」と要求するので有名な人だったらしい。それを知らずに終日ファーストネームで呼びかけていたと後で知った事業部長に「よく怒られなかったな」と感心されてしまった。申し上げたいことは相手に「何れをお好みですか」と確認する作業を怠ってはならないという点だ。また、ファーストネーム・ベーシスが親しさを表すものではない場合もあるのだということもお忘れなく。
では、オバマ大統領の「シンゾー」な何を表しているのだろう。既にロン/ヤス関係を凌駕したのだったら素晴らしのだ。