君は欠席が多かった:
大学2年の時だったと記憶するが、上智大学でも「英会話」という単位があった。その時はアメリカ人の神父になる修行中の若手の先生が授業を担当された。私は不勉強で知識がなかったが、修行中であってもローマンカラー(解りやすく言ってみれば、詰め襟の学生服を裏表を反対にしたような襟のこと)を着用して神父様と同じ格好をしていた。昨日も触れたが、この時間ではKing’s Englishの発音にすると「古い」と言って直されてしまうのだった。
自慢話と思われても結構だが、私はこの頃では既に自分の思うことというか言いたいことを、ごく普通に英語で表現できるようになっていた。だから、授業中に最も活発に会話していたと自負していた。即ち、言うなれば愚かにも良い成績が取れていると確信していた。ところが、1年が終わって成績表を見れば「70点」しか貰えていなかった。しかも授業中にろくに話していなかった者たちの中には「100点」という評価を得ていた者もいたのだった。納得できなかったし、同級生にも「君が70点ではおかしい」と言ってくれた者もいた。
そこで勇気を出して、その担任のアメリカ人の先生の研究室を訪問して「何故私が70点で、○○君は100点なのか。理解できません」と図々しくも抗議したのだった。先生はノートを開いて一瞥して一言「君は欠席が多かったから。○○君は皆勤だった」と言われた。返す言葉もなく退散した。それは既に述べたように、彼らの評価の基準は平生点、発言の頻度と内容、テストの成績、レポートの提出の有無、出席点を何の主観も交えずに算術平均して成績を出すのだから、欠席が多ければ70点になるのは当然だったということ。
実は、私は色々な事情があって当時としては珍しいアルバイトをして学費を稼ぎ出していたので、欠席が多くなりがちだった。ところが当時の上智大学ではそのことには救済措置があった。それは「教務課にアルバイトをしている旨を届け出てアルバイト届の用紙を貰い、それに雇用主の証明印を貰えば、1/3以上の欠席があっても受験資格停止にならない」という温情があったのだ。今となっては記憶はないが、仮令届けがあっても最大何日までしか欠席を認めないとの規定はあった。私はこの規定に救われて70点を頂戴できて単位が取れたのだった。
ここでの教訓はヨーロッパやアメリカの大学(学校でも良いか)では、学生に求められている全ての項目を満たすような勉強の仕方と授業を受ける姿勢がないと、単位を取れないとか落第させられるような仕組みになっているということである。即ち、膨大なレポートを提出するような宿題を「そんなことは無理だ」なという自分勝手な理由で出さなければ、その分は「0点」の評価になって全体の成績を下げてしまうのだ。そういう文化であるから、欠席が多い者は仮令届けが出ていても、皆勤した者よりも成績が悪くなるのは当然であるという世界だ。
もう一言追加すれば、提出したレポートの質も勿論評価の対象になるが、提出したことによって初めて評価の対象になるという世界なのである。この失敗から学習したことは、後年アメリカの会社に転じた時に大いに役に立ったのだった。上司から与えられた難題を「そんなことを得意先に言える訳がない」などいう手前勝手な理由で実行しなければ、評価は立ち所に下がって翌年の給与の査定にマイナスの影響をもたらすと、予め解っていたのだった。要するに「オリンピックではないが、何事で参加しないことには評価の対象にならない」のがアメリカの文化なのである。
少しく強引な言い方になるが、「韓国のように度重なる言いがかりや虚言を弄する相手に対して、静かなる無視で対応し続けていれば、無反応即ち自国の言い分が受け入れられた」と解釈されてしまう危険性があるのだ。我が国には不当な言いがかりに対しては言いたいことがあるのだから「兎に角、何が何でも良いから先ず反論しておくこと」が必要であるというのが肝腎な点なのである。
大学2年の時だったと記憶するが、上智大学でも「英会話」という単位があった。その時はアメリカ人の神父になる修行中の若手の先生が授業を担当された。私は不勉強で知識がなかったが、修行中であってもローマンカラー(解りやすく言ってみれば、詰め襟の学生服を裏表を反対にしたような襟のこと)を着用して神父様と同じ格好をしていた。昨日も触れたが、この時間ではKing’s Englishの発音にすると「古い」と言って直されてしまうのだった。
自慢話と思われても結構だが、私はこの頃では既に自分の思うことというか言いたいことを、ごく普通に英語で表現できるようになっていた。だから、授業中に最も活発に会話していたと自負していた。即ち、言うなれば愚かにも良い成績が取れていると確信していた。ところが、1年が終わって成績表を見れば「70点」しか貰えていなかった。しかも授業中にろくに話していなかった者たちの中には「100点」という評価を得ていた者もいたのだった。納得できなかったし、同級生にも「君が70点ではおかしい」と言ってくれた者もいた。
そこで勇気を出して、その担任のアメリカ人の先生の研究室を訪問して「何故私が70点で、○○君は100点なのか。理解できません」と図々しくも抗議したのだった。先生はノートを開いて一瞥して一言「君は欠席が多かったから。○○君は皆勤だった」と言われた。返す言葉もなく退散した。それは既に述べたように、彼らの評価の基準は平生点、発言の頻度と内容、テストの成績、レポートの提出の有無、出席点を何の主観も交えずに算術平均して成績を出すのだから、欠席が多ければ70点になるのは当然だったということ。
実は、私は色々な事情があって当時としては珍しいアルバイトをして学費を稼ぎ出していたので、欠席が多くなりがちだった。ところが当時の上智大学ではそのことには救済措置があった。それは「教務課にアルバイトをしている旨を届け出てアルバイト届の用紙を貰い、それに雇用主の証明印を貰えば、1/3以上の欠席があっても受験資格停止にならない」という温情があったのだ。今となっては記憶はないが、仮令届けがあっても最大何日までしか欠席を認めないとの規定はあった。私はこの規定に救われて70点を頂戴できて単位が取れたのだった。
ここでの教訓はヨーロッパやアメリカの大学(学校でも良いか)では、学生に求められている全ての項目を満たすような勉強の仕方と授業を受ける姿勢がないと、単位を取れないとか落第させられるような仕組みになっているということである。即ち、膨大なレポートを提出するような宿題を「そんなことは無理だ」なという自分勝手な理由で出さなければ、その分は「0点」の評価になって全体の成績を下げてしまうのだ。そういう文化であるから、欠席が多い者は仮令届けが出ていても、皆勤した者よりも成績が悪くなるのは当然であるという世界だ。
もう一言追加すれば、提出したレポートの質も勿論評価の対象になるが、提出したことによって初めて評価の対象になるという世界なのである。この失敗から学習したことは、後年アメリカの会社に転じた時に大いに役に立ったのだった。上司から与えられた難題を「そんなことを得意先に言える訳がない」などいう手前勝手な理由で実行しなければ、評価は立ち所に下がって翌年の給与の査定にマイナスの影響をもたらすと、予め解っていたのだった。要するに「オリンピックではないが、何事で参加しないことには評価の対象にならない」のがアメリカの文化なのである。
少しく強引な言い方になるが、「韓国のように度重なる言いがかりや虚言を弄する相手に対して、静かなる無視で対応し続けていれば、無反応即ち自国の言い分が受け入れられた」と解釈されてしまう危険性があるのだ。我が国には不当な言いがかりに対しては言いたいことがあるのだから「兎に角、何が何でも良いから先ず反論しておくこと」が必要であるというのが肝腎な点なのである。