新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

英会話の成績が70点

2019-11-30 11:43:59 | コラム
君は欠席が多かった:

大学2年の時だったと記憶するが、上智大学でも「英会話」という単位があった。その時はアメリカ人の神父になる修行中の若手の先生が授業を担当された。私は不勉強で知識がなかったが、修行中であってもローマンカラー(解りやすく言ってみれば、詰め襟の学生服を裏表を反対にしたような襟のこと)を着用して神父様と同じ格好をしていた。昨日も触れたが、この時間ではKing’s Englishの発音にすると「古い」と言って直されてしまうのだった。

自慢話と思われても結構だが、私はこの頃では既に自分の思うことというか言いたいことを、ごく普通に英語で表現できるようになっていた。だから、授業中に最も活発に会話していたと自負していた。即ち、言うなれば愚かにも良い成績が取れていると確信していた。ところが、1年が終わって成績表を見れば「70点」しか貰えていなかった。しかも授業中にろくに話していなかった者たちの中には「100点」という評価を得ていた者もいたのだった。納得できなかったし、同級生にも「君が70点ではおかしい」と言ってくれた者もいた。

そこで勇気を出して、その担任のアメリカ人の先生の研究室を訪問して「何故私が70点で、○○君は100点なのか。理解できません」と図々しくも抗議したのだった。先生はノートを開いて一瞥して一言「君は欠席が多かったから。○○君は皆勤だった」と言われた。返す言葉もなく退散した。それは既に述べたように、彼らの評価の基準は平生点、発言の頻度と内容、テストの成績、レポートの提出の有無、出席点を何の主観も交えずに算術平均して成績を出すのだから、欠席が多ければ70点になるのは当然だったということ。

実は、私は色々な事情があって当時としては珍しいアルバイトをして学費を稼ぎ出していたので、欠席が多くなりがちだった。ところが当時の上智大学ではそのことには救済措置があった。それは「教務課にアルバイトをしている旨を届け出てアルバイト届の用紙を貰い、それに雇用主の証明印を貰えば、1/3以上の欠席があっても受験資格停止にならない」という温情があったのだ。今となっては記憶はないが、仮令届けがあっても最大何日までしか欠席を認めないとの規定はあった。私はこの規定に救われて70点を頂戴できて単位が取れたのだった。

ここでの教訓はヨーロッパやアメリカの大学(学校でも良いか)では、学生に求められている全ての項目を満たすような勉強の仕方と授業を受ける姿勢がないと、単位を取れないとか落第させられるような仕組みになっているということである。即ち、膨大なレポートを提出するような宿題を「そんなことは無理だ」なという自分勝手な理由で出さなければ、その分は「0点」の評価になって全体の成績を下げてしまうのだ。そういう文化であるから、欠席が多い者は仮令届けが出ていても、皆勤した者よりも成績が悪くなるのは当然であるという世界だ。

もう一言追加すれば、提出したレポートの質も勿論評価の対象になるが、提出したことによって初めて評価の対象になるという世界なのである。この失敗から学習したことは、後年アメリカの会社に転じた時に大いに役に立ったのだった。上司から与えられた難題を「そんなことを得意先に言える訳がない」などいう手前勝手な理由で実行しなければ、評価は立ち所に下がって翌年の給与の査定にマイナスの影響をもたらすと、予め解っていたのだった。要するに「オリンピックではないが、何事で参加しないことには評価の対象にならない」のがアメリカの文化なのである。

少しく強引な言い方になるが、「韓国のように度重なる言いがかりや虚言を弄する相手に対して、静かなる無視で対応し続けていれば、無反応即ち自国の言い分が受け入れられた」と解釈されてしまう危険性があるのだ。我が国には不当な言いがかりに対しては言いたいことがあるのだから「兎に角、何が何でも良いから先ず反論しておくこと」が必要であるというのが肝腎な点なのである。


上智大学の4年間に学んだ事と文化比較論

2019-11-29 15:58:36 | コラム
ローマ教皇の来日の機会に回顧すれば:

既に指摘したことだが、教皇の来日を信者なのか一般人なのか知る由もないが、あれほど多くの人が集まって歓迎したのには、私は寧ろ違和感にとらわれて見ていた。キリスト教国でもない我が国で何の為にあれほど教皇が移動される度に大騒ぎをしてスマートフォンで写真を撮りまくるのかと、あの光景は異常だと感じていた。また、如何なるメディアも「カトリックとは」といったような解説もせず、付和雷同的な報道をしていたのも軽佻浮薄だと思って眺めていた。そこで、私が経験した限りのイエズス会(「キリスト教でも良いか?」の大学での経験を回顧してみよう。

私は愚かにも1951年に何も知らずに上智大学(Sophia University)に進学したのだが、そこで身を以て体験したことはといえ、ばカトリックのイエズス会の神父様であり教授たちの想像もしていなかった規律の厳格さだった。唯々驚くだけだった。先ずは通学には制服と制帽着用のことと就学規則に定められており、毎朝校門に教授(=神父様)たちが立って見張っておられた。その規則の違反者はその場で学生証を没収され、会計課に行って罰金50円だったかを納めて返して貰う規則になっていた。その他にも喫煙には厳しい規則があり、教室内は厳禁で見つかれば学生証取り上げだった。

当時は教授陣にはドイツを主体にしたヨーロッパ人の神父様が多く、英語での講義も多かった。その為に英語を聞くのに慣れていなかった地方から来た学生は苦しめられたいた。また、ヨーロッパ人の教授たちはKing’s Englishの発音だったので、American English系の発音で読んだり話したりすると「下品だ」と叱られることがあった。ところが、アメリカ人の教授にはKing’s Englishにすると「古い」と直される事もあったので、発音には注意しなければならないのだった。ではあっても、両方の英語の相違点を学べたことになったのは幸運か。

特に脅威を感じたのが膨大な量の宿題だった。それは教室にガラガラと音を立てて教務課の担当者が分厚い原書を山積みにしたカートを運んできて全員に配り、教授から「この本を来週までに読んで、感想文を提出せ」と言われるか「何ページから何ページまでを読んで概要を纏めたレポートを提出せよ」と命じられるのだ。その重さと厚さから「到底出来る訳がない無理な話だ」と誰しもが思う。だが、要点は「感想文かレポートを出したか否か」が問題であって、1週間内に出来る訳がないと提出しないと、この面では「0点」の評価となり、落第への一里塚となるのだ。それを知らずに提出しなかった者は馴れるまでは多かった。

この点に関しては40歳を過ぎてからハーバード大学のビジネススクールに進学した畏友YM氏にも尋ねてみた。彼もハーバードに来るようなアメリカ人たちにもこのような無理筋の宿題が課されると、院生たちは何名かが組んで適当にページ数を割り当てて分担し、出来上がったものを纏めて一本のレポートに編集して切り抜けていたと聞いた。要するに、アメリカやヨーロッパの大学や大学院では膨大な量の宿題が出るのは普通のことであり、それをやり遂げたかどうかが評価の対象になるので、不参加では「0点」なってしまうという教訓でもある。この辺りは我が国の勉強との相違点ではないだろうか。

また、当時の上智大学の規則では授業には出席するのは当然であり、もしも欠席が1/3を超えると試験を受ける資格を失うと定められていた。特に1年生の場合は必須科目である宗教学や哲学を落とすと有無を言わせず落第と定められていた。中にその厳格さの為か落第した者は非常に多く、また規則の厳しさに耐えきれずに止めていった者もいた。我々の学年では300人入学して卒業できたのは180名という状態だった。尤も、神父様たちはこの厳格さは当然と思っておられたようだ。換言すれば「入学は出来ても、卒業は難しい」大学だったということ。

ここで再びYM氏の話に戻れば「スタンフォード大学でも何処でも、アメリカの大学院では、教授の評価の点数、出席点、レポートの点、試験の成績、講義の中での討論の発言の点等々を各教授が学務課とでもいう担当部署に何の感情も交えずありのまま提出し、それを何の手も加えずに算術平均して成績を出すのだそうだ。故に、レポートを提出したかしなかった等々は成績に大きく影響することになる」のだそうだ。即ち、自分から高額な授業料を払って入学した大学や大学院で、授業をサボることなどあり得ないという意味であるようだ。

このようにアメリカの大学の規則の厳格さの実態を知って解ったことは、ヨーロッパとアメリかでは「大学で学ぶということは、このようにキチンと規律正しい姿勢でなければならない」ということだった。その点をマスコミが同じイエズス会の「フォーダム大学に留学された小室圭氏の勉強や宿題や予習・復習で大変だ」などとさも驚いたような報道をしているのを見てチャンチャラおかしいと笑わせられた。「そのことくらい心得て報道せよ」と言いたいのだ。私の得意の表現を用いれば「これぞ、我が国との文化の違いである」となる。彼らの厳格さは何もカトリックの会が運営する大学だからではないと思う。

私はこの上記のような点から見れば、不真面目な学生だった。即ち、良い(悪い?)仲間に恵まれて当時の上智大学では少数派になる麻雀ばかりやっていた。それだけではなく、アルバイトで学費を稼いでいたし、サッカー部を背負って立っていた(?)有力な部員だった事であり、非常に多忙な大学生だった。それ故に、神父様たちとの接触は最低限だったと思う。それでも、何とか無事に規定の単位を取得して卒業できた。上記のようなカトリックの厳格な規律の下で4年間を過ごして「文化の違い」を学習できたことが、39歳にしてアメリカの会社に転進しても、それほど異文化に強烈に面食らわずに済んだと思っている。

現在の上智大学には往年のような厳しさはなく、教授陣も神父様が少なくなったと仄聞している。そのような変化が良かったのかどうかなど知る由もないが、最早私が入学した頃のように上智大学生と知るや「矢張り、お経などは唱えるのですか」などと尋ねられることはないだろう程の、有名な存在になったのは誠に結構な事であると思う。その人気たるや、英文学科などは入学試験の点数だけで合否の判定すれば、女子だけしかいなくなってしまうとの話も聞いたことがあった。矢張り、時代が変わったのだろう。


11月28日 その2 原子力規制委員会に思う

2019-11-28 15:14:48 | コラム
安倍内閣はトランプ大統領並みに前政権のレガシーは廃止したら如何か:

私は悪夢の民主党政権の紛う事なき負の遺産である原子力規制委員会などを、安倍内閣が何故存続させているかが解らないのだ。その委員会はこの度女川原発の第2号機を安全とあると決めたようだ。一見良い話のようだが、実態というか現実はそうではない雲行きではないかと危惧する。

私はこの委員会の判定以上に問題だと思うことがある。それは「地元民の再稼働賛成を得られるか」という難関が何時も残っているから言うのだ。確かに福島での前例を見れば「これが我が地元でも発生すれば大変な事態になる」と地元と首長が危惧するのは理解できないでもない。だが、現実では、かの委員会ですら安全と承認した原発を、原子力発電が如何なるものかを熟知している訳でもない地元民が、権威あるはずの規制委の決定に反抗するのは矛盾ではないかと思う。地元民には火力発電依存が地球温暖化の一因であることよりも、万が一の際の自分たちの安全を優先して考えているのだろうと思う。

それに反対の声を首長なり誰なりが上げる背景には、私が想像を逞しゅうすれば、反対する扇動役、即ち原発反対派の存在があるのだろうし、小泉純一郎元総理のような偉い方が「原発反対の旗を高く掲げておられる」というようなことの影響も出てくるだろう。何十年前だったか、アメリカのオレゴン州ではでは原子力発電所の導入反対派に「電気がなくなるのと、万一の災害の危険性の何れを採るか」との論旨で、地元を説得したそうだ。だが、何とこの原発は後に停止されていた。

だが、今やこのオレゴン州におけるような説得法は福島の現状を見れば、とても有効とは考えられなくなっているだろう。私は地元に言い聞かせるべき重要な点は「福島の例に懲りて、火力発電に過剰に依存するように変更した結果として、地球温暖化を促進したような形となった。そして、今年のように我が国を襲った台風が異常にまで増えて全国各地で大きな災害を被ることと、原発は温暖化を促進することがない事の何れを採るか」だと考えている。だが、地元民がこの論法を何処まで受け入れるかには疑問の余地は残る気がする。

私には原発の再稼働が小泉環境大臣の所管の件であるとは思えないのだ。経産省が推進すべき案件だと思っている。だが、ミーハーの範疇に入るような一般の地元民には、梶山経産相の一言よりも小泉環境相の発言の方が影響力がありそうで怖い。

私は電力供給事情を思う時に、非常に単純な考え方をすれば、都内を一寸移動すれば解ることで異常ではないかと思うほど所謂「タワーマンション」の新増築の数の多さに圧倒されるのだ。また、オフィスビルはと見れば、ここというビジネス街や中心地には、住友不動産は気が触れたかと思うほど大型の物件を建てまくっているのだ。私はこれらの建物は全て新規の電力需要者だろうと思って眺めている。私はこれらを手がけている不動産業者たちは電力の需要と供給をどう考えているのかなと、疑いたくなってしまう。それだけではなくて、上下水道の設備だけでも大変だろうなと思っている。

火力発電の燃料については化石燃料の代替に木質バイオマス燃料の電力会社向けの輸入も促進されていると聞かされている。これは確かに有効な対策の一つであると思う。ではあっても、その程度で我が国の火力発電依存による地球温暖化に歯止めがかかるとはとは、現時点では考えられないのだ。私が最後に問いかけたいことは「このままでは来年も再来年も大型台風が襲ってくる危険性を回避できないとしたら、貴方は如何に対応すれば良いと思いますか」である。だが、これとても即効性は余り期待できないのではないかな。


「閃き」を信じるべきだったと悔やむ

2019-11-28 08:34:33 | コラム
直感としても良いかも知れない:

私は去る22日の韓国の「GSOMIAが失効停止を条件付きで延期する」と発表する5時間ほど前に、「韓国は破棄するだろう」と仮定して論じていた。今になって繰り言を述べても詮ない事だが、この一文を書いている時には得意とする「閃き」というか直感的には「破棄はない」と出ていたのだった。だが、どう考えても文大統領のこれまでの徹底した反日的な振る舞いと南北統一による高麗連邦の創設の理想に燃えている実績を見れば、理論的には破棄しかないと考えるのが妥当であるとの考え方に自らが負けて「破棄」を選んでしまったのだった。

その何時間か後になって「破棄しないと記述しておけば、どれだけ格好良かったか」と悔やむことになってしまった。私は事がスポーツの勝ち負けを常に試合開始前の閃きで予測してほとんど外れたことがなかったという「確固」たる実績を誇ってきた。だが、この場合の閃きと韓国の国家としての方針というか態度を予測するのでは性質も重みも全く異なる。それ故に「閃き」よりも理屈を優先してしまったのは、残念なことだった。私はこういう優柔不断なところが自分の弱点だと以前から自覚している。

ということは「自分は二つに一つという決断を迫られた場合に、直感を捨ててどうしても理屈と理論と確率を優先して判断してしまう傾向がある」と承知していながら、「閃き」で人生の重要な決断までもしてきたことを忘れて、理屈にすがってしまうのだとの反省でもある。換言すれば、私にとっては選択肢が多い決断を迫られる方が容易であって、二者択一の決断の方が遙かに難しく、また往々にして「閃き」を軽視して読み損なってしまった実績もあったということ。一瞬、頭の中が真っ白になって、判断能力というか理性などが何処かに飛んでしまう状態になるようだ。

重大な物事というか事案の判断などということは、かくも難しいものだと思って事に当たってきた。1971年に全く予想も夢想もしていなかったアメリカの会社からの勧誘があった時などは、将にこれ以上はないという人生を賭けてしまうかも知れない難しい「二者択一の決断」だった。この際は、後になって思い当たったのは「30秒ほど考えて、自分の為になるなるという閃きを信じて、行きます」と答えたこと。「17年も育てて頂いた会社にどれほど迷惑をかけるかなどということよりも、自分の為と大変な挑戦を敢えて仕掛けよう」ということだけしか脳裏に浮かばなかった。

ここまでで何か言いたかったかと言えば「何か決断をする時には閃きという名の直感を採るか、理論・理屈・成功か不成功かの確率と周囲に与える影響等々を慎重に考えて時間をかけて決断するか」という点である。私は人生においては「自分の方に向かって流れてきた事の有り難さを尊重してして、これが自分の運命である。それを受けて未来を切り開けるかどうかは自分の能力次第」と割り切って、会社を変わるというようなこれ以上ないような重大な運命を受け入れてきた。

「その運命などは何時何処からどのような形で自分に向かってくるかの予測など出来る訳がないし、その運の是非や質をどのように判断するかが当人の実力次第である」と認識してきた。「予期していなかった方角から私に向かってきた運命には逆らえない」という閃きに従ってきたと言えるだろうか。

今回のGSOMIA云々の読みは人生の重大事では勿論なかったが、「閃き」を妙な理性と理屈が曇らせてしまったのだと反省している。事相手が韓国となると、この先には未だ鋭意交渉すべき難航が予測できる案件が山積している。ではそれらの諸問題がどのように進み、解決されるかされないかについては、何の閃きも来ていない。だが、韓国だけを相手として話し合って行きだけでは、事は捗らないとの予感がある。即ち、海外向け情報発信を強化して、諸国を味方につける努力をしないことには、先日のTIMEの記事のような基本的な誤解と誤認識が世界に蔓延しかねないと危惧する。

11月27日 その3 ローマ教皇の来日に思う

2019-11-27 14:12:42 | コラム
教皇様は言わばカトリックの総本山の最高権威者であらせられる:

私にはあの教皇が通過される沿道に群衆が集い、スマートフォンなどで写真を撮ることに狂奔している光景には限りない違和感を覚えていた。あの人々は果たしてカトリックの信者なのだろうかと疑ったという意味だ。彼らは教皇のファンなのであろうか。教皇自身はの歓迎振りどのように感じておられたのだろうかとすら考えていた。

教皇は各地で核兵器の廃絶を説かれた。これは持論であり、何ら反対することがない正論であるとは思う。だが、畏メル友のO氏は「ローマ教皇はそれを仰るのであれば、中国に向かってこそ仰って欲しい。」との主張しておられたが、私は大賛成であるし、少なくも我が国に向かって仰せになることではないのではないかと受け止めていた。それを如何にも重大な発言の如くに伝えるマスコミは、キリスト教というかカトリックが何であるか解っていないようだと感じていた。

私は教皇が所属しておられたイエズス会が運営する学校に4年も通っていたので、一般の方々よりも神父様たちが何をどう考えておられるかは少しは承知していると自負している。神に身を捧げた神父様たちとは如何なる方たちかを知らずして、気安く報道するなと言いたくなる。後難を恐れずに言えば神父様たちは「神に全てを委ねた非常に屈託がない生活をしておられる、純粋で純真な方たち」なのだ。神を信じない人たちは哀れだと思っておられるのではとすら感じたこともあった。即ち、俗世界の風に当たられる機会は少ない日常を過ごしておられると思う。神学生の人たちも同様に生真面目で純粋な学生だった。

私は教皇を尊敬するのは本来はカトリックの信者の人たちだけだとすら信じている。キリスト教の信者であるのかどうかも疑問に思える人たちが、教皇の通過を沿道でスマートフォンで写真を撮って騒ぐのには限りない違和感しかなかった。カトリックが何たるかも知らず、教義を承知しているとは思えない人々が騒ぎ立てるのには、私には異常だとしか見えなかった。カトリックでは「神は厳然として存在するだけではなく偏在され、誰の頭と心の中にもおられるのであり、その神に心を上げて語り合のが祈りであり、人々は死ぬまで完成を目指して努力するのだ」辺りが最低限の知識として心得ている人たちがどれほどいたのだろうか。

私はキリスト教の信者ではないので、お出でになったことは非常に有り難いことだろうとは思っていたが、それ以上でも以下でもない思いであの過密ではないかと思わせられたスケジュールで駆け巡られた教皇を尊敬申し上げていた。マスコミはあれほど過剰に報道するのであれば、少しは「カトリックとプロテスタントの違いくらいを専門家を呼んで解説して貰えば良いのに」と考えていた。あれではプロ野球の優勝テイームや相撲の優勝力士のパレードと同じのミーハー向けの騒ぎと同じだ。教皇を何と心得ているのかな。

何処の局だったか「信者の数が今や南米が最大で、ヨーロッパでは減少しつつある」と指摘していたのは意外であり興味深い数字だったが、その程度では何の解説にもなっていない。この機会にせめて世界の三大宗教の違いでも解説するくらいの啓蒙活動をしても良いのではないか。野党の後押しをして「桜を見る会」報道で浮かれているよりも、この方が余程知的ではないのか。尤も、マスコミに知性を求めるのは「木に登って魚を求める」ようなものか。