90歳を常に意識していた1年だった:
「人生とは自分で何歳まで生存していると予定して、自分の計画を立てられるものではないだろう」とは思っていた。だが、「人生僅か五十年」と言われていた時代に育ったので、90歳にまで到達できると予測した事はなかった。だが、実際にその90歳になってしまった2023年の1年には、常に90歳を意識していた。「もしかして90歳ともなれば、何かが変わるのではないか」と期待したこともあった。
90歳の日常:
実際には90歳として見えてきた景色には、何らそれまでと変わったことはなかった。相変わらず、朝は4時には起床して食事の支度をして、新聞を早読みして、6時半頃にはブログの更新に取りかかり、月水金にはバスでシルバーパスを利用して9時19分のバスに乗ってジムに向かうのだった。
ジムでは10~15分の準備体操を兼ねてストレッチ、インドアトラックでの100mを70~85秒でのウオーキング、20分間のマッサージ・チェアからジェットバス入浴という決まり切った課程を終え、11時37分のバスに乗って帰宅である。
情報源の減少:
だが、1年が終わろうとして気が付いた重要な変化があった。それは、友人や知人との接触が減少したためか、情報源を失っていたことだった。在職中から営業を担当する者として「情報の重要性」を過剰なまでに意識していたので、その蒐集(収集)と他社への提供、提供したことから返ってくる未知の情報がどれ程重要な任務であるとすら認識していた。常に豊富な情報を持っていられるように努力していた。
気が付けば、その情報源が今や長年の付き合いがある数人の有識者、例えば8年間もアメリカの有名私立大学のビジネススクールの教員を務めたYM氏や、仏文学者のTK博士、ある有名な多国籍企業の役員だった某氏、リタイアしてしまった商社マン、某大学の教授や教員等々に加えてアメリカでは元の同僚と某IT企業の管理職(ハーバードのMBA)である。懐かしき日本の会社時代の仲間たちは、何と私よりも若かったのに皆故人になってしまっていたのだ。
老化現象:
次に大きな変化として意識したことはと言えば、87歳に達したというYM氏も同じような感想を漏らしていたが「何か耐久消費財のような物は買わないようにしているし、非耐久消費財であろう衣類は今となっては買う必要(必然性?)がなくなったこと」なのである。身だしなみをキチンとしておくことは忘れてはいないが、今さら新たに何か目新しい物を買うのを躊躇うのだった。
次は一昨日辺りから悩まされている事。医学的には何ら問題がないと検査して頂いてあっても、体中の節々が痛んで立ち居振る舞いに困難が生じている状態。YM氏も同じようなことを言うが、何の言われもなく突然よろめくし、僅か1~2cmの障害物を乗り越えられずと言うか足が上がっておらずに躓くのである。愚かにも「こういう現象は一過性であり、何れは解消される」と思い込んでいたが、これぞ「筋肉の老化現象」だったようだ。
私的な悩みを言い出せばキリがないのでこれくらいにしておこう。
外側乃至は世間の変化:
外側というか世間にも変化があって、悩ましい材料も増えたので困る。90歳に見えた幾つか例を挙げてみれば「岸田総理は幾ら激励しても一向に財務省の代理人から脱却して民の竈から煙が上がるような、自分自身の政策を打ち出せずにいること」が最たるものだろう。
マスメディアも褒められた存在ではないようだ。自分たちで「岸田内閣頼りにならず報道」を続けて民心を誘導した上で世論調査をするのだから、内閣支持率が下がるのは当然だろう。
マスコミを批判:
彼らは困ったもので、朝日新聞に影響されたのか「政治資金収支報告書不記載」を裏金呼ばわりし続けるだらしなさで、全く頼りに出来ないのも不満材料。彼らは世界史をキチンと学習してこなかった連中の集団のようで、「2000年前に奪われた聖地を取り返そうとする考え方」を持ち続ける者たちが争っているにも拘わらず「イスラエルが非道で残虐、ハマスとパレスチナが可哀想報道」を垂れ流し続けているのにもウンザリなのだ。
91年目への希望:
困った事柄を言い出せば止まらなくなるが、2024年には世の中が良い方向というか、少しでも誰しもが暮らしやすくなるように、失った30年?状態から脱却抜け出せるようにして貰いたいのだ。更に「習近平さんの尖閣諸島の領有宣言」を取り消させて欲しいのだ。矢張り、ここでも岸田総理とその内閣の奮起一番を期待する以外にないのだ。