デイビッド・アトキンソン氏は菅首相のブレインであるとか:
何処かのテレビ局でアトキンソン氏をこのように報じていたのに興味を惹かれた。アトキンソン氏はこの半年ほど頻繁にテレビに登場されるし、President誌上でも独得の意見というか所信を発表しておられた。その他でも週刊新潮ではかの佐藤優との長編の対談でも、ほぼ変わらぬ独得の所信を語っておられた。
私が後難を恐れずに言えば「アトキンソン氏は我が国のマスメディアが歓迎し尊重する、我が国に対して忌憚のない批判なり意見なりを遠慮会釈なく公表する外国人の1人であり、特にその上手だと礼賛する以外ない日本語の能力が、一層その存在を輝かしきものにしている」のである。私は初めてアトキンソン氏がテレビに登場した時には「何故、我が国の外国語教育では、この次元までに達するように外国語を教えられないのか」と、寧ろ慨嘆させられたのだった。彼のように立派に日本語を操る外国人が多いのは、本当に情けないことだと思うだけだ。
聞けばオックスフォード大学での専攻は「日本学」であって、経済学ではなかったようでありながら、1990年に日本に来られたからはゴールドマンサックスなどでアナリストとして活躍され、現在は小西美術工藝社の社長を務めておられるそうだ。
アトキンソン氏の主張は徹底していて、その要点を簡単に(乱暴に?)纏めてみれば「日本の生産性が世界的に見て低水準にあるのは、およそ日本には3万6~8千もの会社があるが、そのうちの90%以上が従業員3~20人程度の中小企業である。日本の生産性が世界的に見て低水準にあるのはその中小企業の為である。その中小企業を政府が法律的に保護してしまった。この点を改善する為には中小企業を整理統合する必要がある」なのである。この他にも彼は「最低賃金の引き上げ」も強力に主張している。
その主張というか意見の正当性は兎も角、あれほど明確に数字を挙げて、見事な日本語で所信を披瀝されると相当以上の迫力が出てくる。黙って聞いていれば「なるほど、それでは我が国は速やかに中小企業を整理統合して労働生産性を高めていかないことには・・・」と考え込まされてしまう。何しろ、アトキンソン氏は「3名やそこらの従業員では現状維持が精一杯で、技術革新にまでは手が回らず、新規投資も覚束ないので成長性も乏しい」と手厳しいのだ。
最低賃金の引き上げと聞い、て誰しもが思い浮かぶだろうことは「韓国の文在寅大統領の一気呵成の16%引き上げによる大失態」である。引き上げが不要とは言えないが、慎重に事を運ぶ必要があるくらいは私にも解る。それにも増して難事業なのは中小企業の整理と統合である。優れたアイデアであるとは思う。だが、現実を見れば、それぞれが少人数であっても永年の鍛え上げられた余人を以て代え難い独得の技術を有し、言わば大企業には真似が出来ない高度な製品を作り続けてきた。その職人さんたちをどうやって整理・統合せよというのかなと思って聞いていた。
その時にふと考えたことは「都内の何処でも良いから一つの行政区画というか区の中の各種の中小企業を束ねる『○○区中小企業ホールデイングス会社』を区役所が株主となって設立し、無数の独立した中小企業をその下にぶら下げる」という方式だった。R&Dのような組織は各社の社長さんたちが兼務し、月に何度か会合を開いて、意見交換をすれば良いのではないかなどと空想した。総務や経理には区役所から専門家出向すれば済むことだ。そしてその者たちが銀行や信金等の機関と融資等々の相談を担当すれば何とかなるだろう。
上記が暴論であるとは百も承知だ。私が何故そんなことを言うのかと言えば、アトキンソン氏の主張というか批判には尤もな点が多々あると思う。だが、これまでに聞いた限りでは「外国人の目から見た、良くある我が国への傾聴すべき批判の部類であっても、具体的に如何なる手を打てば現状を打開して、生産性を高められるかの指摘がないのだ。ただ単に中小企業の数を減らせだけでは、減らされた企業から職を失うだろう者が出てくるので、その救済策まで考えてきてくれないことには、単なる批判だけに終わるのではないだろうか。
現在の大企業対下請けの世界は私が昭和30年に社会に出た頃から存在していて、当時は「二重構造」などと呼ばれていた。私が若い頃に担当した分野には印刷業界があって、大印刷会社は自社の工場の規模でも賄いきれないほどの受注をして、それを傘下に組織した中小の印刷屋さんに任せていた。中には親会社よりの遙かに優れた技術を持つ下請けがあって、難しいというか高度の美術印刷のようなものを専門にする、得意先を持たない下請け賎業の業者まであった。要するに得意先は親会社だけという意味だ。
このような印刷業界が今日どのような構造に変化したかなどは、私が知るところではない。言いたいことは「各産業別にこのような親対子の組織が出来上がっているだろう我が国の産業界の形態をアトキンソン氏は何処まで把握しておられりのかなと言う疑問を感じたのだ。その組織というのか形態を誰がどうやって変更して整理・統合すれば、我が国の生産性が著しく飛躍できるのかなと、私は考え込まされた。世はICT化とデイジタル化がこれでもかと言うほど進んでしまった。そこに腕一本で稼いできた中小企業をどうやって組み込ませるというのかとの疑問でもある。
私は何もアトキンソン氏の主張を否定しようというのではない。尤もな点が多々あると認めた。だが、問題は本当に菅総理がアトキンソン氏をブレインとして活用されていくお考えがあるのだったら、余程慎重に中小企業の在り方とその改革に手を付けて行かれる必要があるかと思うのだ。その為には先ず、下請けの組織として使っている大企業にも意識改革が必要になるのではないだろうか。私の短い経験の範囲内では、アメリカには我が国のような組織化された下請けの中小企業は存在していなかった。第一、彼等は自社で販売し、代理店等の販社には依存しない仕組みになっていた。
何処かのテレビ局でアトキンソン氏をこのように報じていたのに興味を惹かれた。アトキンソン氏はこの半年ほど頻繁にテレビに登場されるし、President誌上でも独得の意見というか所信を発表しておられた。その他でも週刊新潮ではかの佐藤優との長編の対談でも、ほぼ変わらぬ独得の所信を語っておられた。
私が後難を恐れずに言えば「アトキンソン氏は我が国のマスメディアが歓迎し尊重する、我が国に対して忌憚のない批判なり意見なりを遠慮会釈なく公表する外国人の1人であり、特にその上手だと礼賛する以外ない日本語の能力が、一層その存在を輝かしきものにしている」のである。私は初めてアトキンソン氏がテレビに登場した時には「何故、我が国の外国語教育では、この次元までに達するように外国語を教えられないのか」と、寧ろ慨嘆させられたのだった。彼のように立派に日本語を操る外国人が多いのは、本当に情けないことだと思うだけだ。
聞けばオックスフォード大学での専攻は「日本学」であって、経済学ではなかったようでありながら、1990年に日本に来られたからはゴールドマンサックスなどでアナリストとして活躍され、現在は小西美術工藝社の社長を務めておられるそうだ。
アトキンソン氏の主張は徹底していて、その要点を簡単に(乱暴に?)纏めてみれば「日本の生産性が世界的に見て低水準にあるのは、およそ日本には3万6~8千もの会社があるが、そのうちの90%以上が従業員3~20人程度の中小企業である。日本の生産性が世界的に見て低水準にあるのはその中小企業の為である。その中小企業を政府が法律的に保護してしまった。この点を改善する為には中小企業を整理統合する必要がある」なのである。この他にも彼は「最低賃金の引き上げ」も強力に主張している。
その主張というか意見の正当性は兎も角、あれほど明確に数字を挙げて、見事な日本語で所信を披瀝されると相当以上の迫力が出てくる。黙って聞いていれば「なるほど、それでは我が国は速やかに中小企業を整理統合して労働生産性を高めていかないことには・・・」と考え込まされてしまう。何しろ、アトキンソン氏は「3名やそこらの従業員では現状維持が精一杯で、技術革新にまでは手が回らず、新規投資も覚束ないので成長性も乏しい」と手厳しいのだ。
最低賃金の引き上げと聞い、て誰しもが思い浮かぶだろうことは「韓国の文在寅大統領の一気呵成の16%引き上げによる大失態」である。引き上げが不要とは言えないが、慎重に事を運ぶ必要があるくらいは私にも解る。それにも増して難事業なのは中小企業の整理と統合である。優れたアイデアであるとは思う。だが、現実を見れば、それぞれが少人数であっても永年の鍛え上げられた余人を以て代え難い独得の技術を有し、言わば大企業には真似が出来ない高度な製品を作り続けてきた。その職人さんたちをどうやって整理・統合せよというのかなと思って聞いていた。
その時にふと考えたことは「都内の何処でも良いから一つの行政区画というか区の中の各種の中小企業を束ねる『○○区中小企業ホールデイングス会社』を区役所が株主となって設立し、無数の独立した中小企業をその下にぶら下げる」という方式だった。R&Dのような組織は各社の社長さんたちが兼務し、月に何度か会合を開いて、意見交換をすれば良いのではないかなどと空想した。総務や経理には区役所から専門家出向すれば済むことだ。そしてその者たちが銀行や信金等の機関と融資等々の相談を担当すれば何とかなるだろう。
上記が暴論であるとは百も承知だ。私が何故そんなことを言うのかと言えば、アトキンソン氏の主張というか批判には尤もな点が多々あると思う。だが、これまでに聞いた限りでは「外国人の目から見た、良くある我が国への傾聴すべき批判の部類であっても、具体的に如何なる手を打てば現状を打開して、生産性を高められるかの指摘がないのだ。ただ単に中小企業の数を減らせだけでは、減らされた企業から職を失うだろう者が出てくるので、その救済策まで考えてきてくれないことには、単なる批判だけに終わるのではないだろうか。
現在の大企業対下請けの世界は私が昭和30年に社会に出た頃から存在していて、当時は「二重構造」などと呼ばれていた。私が若い頃に担当した分野には印刷業界があって、大印刷会社は自社の工場の規模でも賄いきれないほどの受注をして、それを傘下に組織した中小の印刷屋さんに任せていた。中には親会社よりの遙かに優れた技術を持つ下請けがあって、難しいというか高度の美術印刷のようなものを専門にする、得意先を持たない下請け賎業の業者まであった。要するに得意先は親会社だけという意味だ。
このような印刷業界が今日どのような構造に変化したかなどは、私が知るところではない。言いたいことは「各産業別にこのような親対子の組織が出来上がっているだろう我が国の産業界の形態をアトキンソン氏は何処まで把握しておられりのかなと言う疑問を感じたのだ。その組織というのか形態を誰がどうやって変更して整理・統合すれば、我が国の生産性が著しく飛躍できるのかなと、私は考え込まされた。世はICT化とデイジタル化がこれでもかと言うほど進んでしまった。そこに腕一本で稼いできた中小企業をどうやって組み込ませるというのかとの疑問でもある。
私は何もアトキンソン氏の主張を否定しようというのではない。尤もな点が多々あると認めた。だが、問題は本当に菅総理がアトキンソン氏をブレインとして活用されていくお考えがあるのだったら、余程慎重に中小企業の在り方とその改革に手を付けて行かれる必要があるかと思うのだ。その為には先ず、下請けの組織として使っている大企業にも意識改革が必要になるのではないだろうか。私の短い経験の範囲内では、アメリカには我が国のような組織化された下請けの中小企業は存在していなかった。第一、彼等は自社で販売し、代理店等の販社には依存しない仕組みになっていた。