新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月31日 その2 2020年を手短に回顧すれば

2020-12-31 15:26:37 | コラム
人生の終盤を飾らせてくれない年だった:

つい先日、日本の会社時代に知り合った60年以上の付き合いがある、紙流通業界の仲間(業界用語では「同業者」を意味する)と偶然に近所のホテルのレストランで出会って「お互いにノンビリと余生を過ごしたかったのにも拘わらず、今年は非常に残念な時でしたね。こんなマスク姿で握手も出来ないとは」と慰め合ったのだった。極端なことを言えば「2020年の回顧」はこれだけで言い尽くせていると思えるほど、楽しいことが本当に少なかったのだ。

*新型コロナウイルス:
厳密に言えばその大流行は今年の春頃からだったのだが、実感としては「昨年の12月には既に武漢では海鮮市場で妙なウイルスの感染が」と報道されていたので、年明けから未だに続いており、それへの対応というか、政府が発表する対策に振り回されてきたとしか思えないのだ。不思議でならないことは「我が国での感染者の実数と,それが国民全体に占める比率、死者の数等々が全世界の各国と比較して一桁も二桁も低いにも拘わらず、世論調査をすれば『政府の対策を評価しない』という人が『評価する』を上回っている」点なのだ。

私は常に西村康稔大臣の責任回避の姿勢を非難し専門家会議を隠れ蓑にして逃げる姿勢、小池都知事のスタンドプレーと政府への反抗的な態度を酷評してきた。だが、現実には国民は政府の「要請」しか出来ない制約を良く理解して、マスク着用とソーシャルデイスタンスを忠実に守り、不要不急の外出を控えてきた。私は政府の対策の評価云々よりも「要請されただけでも、自らの安全の確保に徹していた民度の高さ」を誇りに思って良い年だったと考えている。

しかしながら、9月に安倍前総理の退陣があって菅内閣が誕生したのだが、新内閣の方針が「ウイルスの征圧に徹するのか、景気の振興に注力するのか」の何れか一方に専心するのではなく、両方を実行していこうと目指していると見える方針が、年末の時点では「二兎を追う者は一兎をも得ず」と評しても良いような形になっている点が問題ではないのかと見ている。私は菅首相は「誰が何と言おうと、私は両方を追って成功させてみせるので、ご安心を」というくらいの見得を切っても良いのではないかと考えている。期待しよう。

*景気回復未だし:
私は実務の第一線を離れて既に26年も過ぎたので景気変動の実感に乏しい。だが、安倍政権が標榜された「アベノミクス」の目玉の一つだった「デフレ脱却」と「2%のインフレ」が一向に現実のものとならなかったのは大いに残念であると思う。その原因を私なりに思い切り割り切って言えば「内部留保ばかりに逃避している嫌いがあり、昇給に踏み切れない大企業の経営者たちの質の劣化」と「金余りで不況の中で株式投資に資金が回り、日銀が買いまくる為に生じた株高」があると思っている。

更に体感論を言えば「1億2,600万人の人口の中に占める高齢者の比率が25%を超えてしまった21世紀にあっては、内需が盛り上がらないのは当然だ」という点だ。現に超後期高齢者である私は過去数年間には病院と薬代のみが主たる出費であり、その他に買う物と言えば非耐久消費財の下着程度で、最早新規に何か買わねばならないという消費への意欲は極めて希薄なのだ。そこに折角10万円の給付金を頂戴しても、何処かにウイルス感染の危険を冒してまでも、消費しに出掛けるかとは思えないのだ。菅首相、ウイルス収束こそが景気回復への王道でしょう。

*外交問題:
我が国では安倍晋三前首相が残念ながら持病が悪化して退陣され、その安倍氏の「政治と外交面における無二の親友・トランプ大統領がどうやら退陣されるようになったのは、菅政権にとっては後難を恐れずに言えば「非常に厄介な事態になった」と思うのだ。菅首相が何処までバイデン大統領と親密になられるかは、来年になってからのことだろう。思うに,バイデン氏も同様に「如何に対応すべきか」に悩む時が来るだろうと思う。敢えて我田引水式に言えば「外国人が何を考えているか」などは、通訳を介していれば余程慣れていても読み切れるものではないのだ。

中国との関係はもっと厄介だと思う。特に「習近平の国賓待遇の招待」が有耶無耶な形になってしまったことなどは,その処理は極めて難しい案件だと思う。私は習近平政権になってからの中国の露骨な我が国を思うがままに操ろうというか、属国化まで企んでいると聞かされては、余程しっかりと腹を決めて付き合っていかないことには、我が国をアメリカから切り離して行こうという策略に翻弄される気がしてならない。そこで気懸かりなことは、バイデン政権が何処まで我が国を支える手を打ってくれるかだ。民主党政権の誕生がこのような懸念材料になってしまった。

*スポーツの世界に変化の兆し:
この件は後難を恐れて広義に考えれば「人種」ということが絡んでくる事かと思う。これでは何のことが不明だが、解りやすく言おうと思えば「我が国の世界的水準にある、世界で通用する選手たちには昨年辺りからアフリカ系日本人選手たちの台頭が著しい」という点である。アメリカのプロバスケットボール界のNBAでは八村塁君が目覚ましい活躍を見せてくれたし、テニス界で世界の2大タイトルを大坂なおみさんが獲得した。100 mの日本記録を樹立したのはサニブラウン・ハキーム君だった。

オリンピックが延期となったので、未だ世界の舞台にその存在を見せていない選手たちは他にも数多く出番を待っている。例えば、先日仙台大学附属明成高校が優勝したバスケットボールには優れた将来有望なアフリカ系の選手が2名いた。女子の日本選手権で惜しくもENEOSに敗れたトヨタ自動車には、姉妹のアフリカ系の親を持つ凄い選手がいた。

*結び:
思うに、2020年という年は新型コロナウイルスの広範囲での感染によって、我が国も世界も大きく変わらざるを得ないような方向に舵を切らされた時だったと思うのだ。しかも、その切り替える方向をどちらに採るかで、一国の将来が大きく変えられてしまうと危惧するのだ。近頃「断捨離」などと言う言葉が流行っているが「何を採り、何を捨てるか、または何に将来を託するべきか」の判断を迫られると予告した年だった思っている。


12月31日 その2 2020年を手短に回顧すれば

2020-12-31 15:23:53 | コラム
人生の終盤を飾らせてくれない年だった:

つい先日、日本の会社時代に知り合った60年以上の付き合いがある、紙流通業界の仲間(業界用語では「同業者」を意味する)と偶然に近所のホテルのレストランで出会って「お互いにノンビリと余生を過ごしたかったのにも拘わらず、今年は非常に残念な時でしたね。こんなマスク姿で握手も出来ないとは」と慰め合ったのだった。極端なことを言えば「2020年の回顧」はこれだけで言い尽くせていると思えるほど、楽しいことが本当に少なかったのだ。

*新型コロナウイルス:
厳密に言えばその大流行は今年の春頃からだったのだが、実感としては「昨年の12月には既に武漢では海鮮市場で妙なウイルスの感染が」と報道されていたので、年明けから未だに続いており、それへの対応というか、政府が発表する対策に振り回されてきたとしか思えないのだ。不思議でならないことは「我が国での感染者の実数と,それが国民全体に占める比率、死者の数等々が全世界の各国と比較して一桁も二桁も低いにも拘わらず、世論調査をすれば『政府の対策を評価しない』という人が『評価する』を上回っている」点なのだ。

私は常に西村康稔大臣の責任回避の姿勢を非難し専門家会議を隠れ蓑にして逃げる姿勢、小池都知事のスタンドプレーと政府への反抗的な態度を酷評してきた。だが、現実には国民は政府の「要請」しか出来ない制約を良く理解して、マスク着用とソーシャルデイスタンスを忠実に守り、不要不急の外出を控えてきた。私は政府の対策の評価云々よりも「要請されただけでも、自らの安全の確保に徹していた民度の高さ」を誇りに思って良い年だったと考えている。

しかしながら、9月に安倍前総理の退陣があって菅内閣が誕生したのだが、新内閣の方針が「ウイルスの征圧に徹するのか、景気の振興に注力するのか」の何れか一方に専心するのではなく、両方を実行していこうと目指していると見える方針が、年末の時点では「二兎を追う者は一兎をも得ず」と評しても良いような形になっている点が問題ではないのかと見ている。私は菅首相は「誰が何と言おうと、私は両方を追って成功させてみせるので、ご安心を」というくらいの見得を切っても良いのではないかと考えている。期待しよう。

*景気回復未だし:
私は実務の第一線を離れて既に26年も過ぎたので景気変動の実感に乏しい。だが、安倍政権が標榜された「アベノミクス」の目玉の一つだった「デフレ脱却」と「2%のインフレ」が一向に現実のものとならなかったのは大いに残念であると思う。その原因を私なりに思い切り割り切って言えば「内部留保ばかりに逃避している嫌いがあり、昇給に踏み切れない大企業の経営者たちの質の劣化」と「金余りで不況の中で株式投資に資金が回り、日銀が買いまくる為に生じた株高」があると思っている。

更に体感論を言えば「1億2,600万人の人口の中に占める高齢者の比率が25%を超えてしまった21世紀にあっては、内需が盛り上がらないのは当然だ」という点だ。現に超後期高齢者である私は過去数年間には病院と薬代のみが主たる出費であり、その他に買う物と言えば非耐久消費財の下着程度で、最早新規に何か買わねばならないという消費への意欲は極めて希薄なのだ。そこに折角10万円の給付金を頂戴しても、何処かにウイルス感染の危険を冒してまでも、消費しに出掛けるかとは思えないのだ。菅首相、ウイルス収束こそが景気回復への王道でしょう。

*外交問題:
我が国では安倍晋三前首相が残念ながら持病が悪化して退陣され、その安倍氏の「政治と外交面における無二の親友・トランプ大統領がどうやら退陣されるようになったのは、菅政権にとっては後難を恐れずに言えば「非常に厄介な事態になった」と思うのだ。菅首相が何処までバイデン大統領と親密になられるかは、来年になってからのことだろう。思うに,バイデン氏も同様に「如何に対応すべきか」に悩む時が来るだろうと思う。敢えて我田引水式に言えば「外国人が何を考えているか」などは、通訳を介していれば余程慣れていても読み切れるものではないのだ。

中国との関係はもっと厄介だと思う。特に「習近平の国賓待遇の招待」が有耶無耶な形になってしまったことなどは,その処理は極めて難しい案件だと思う。私は習近平政権になってからの中国の露骨な我が国を思うがままに操ろうというか、属国化まで企んでいると聞かされては、余程しっかりと腹を決めて付き合っていかないことには、我が国をアメリカから切り離して行こうという策略に翻弄される気がしてならない。そこで気懸かりなことは、バイデン政権が何処まで我が国を支える手を打ってくれるかだ。民主党政権の誕生がこのような懸念材料になってしまった。

*スポーツの世界に変化の兆し:
この件は後難を恐れて広義に考えれば「人種」ということが絡んでくる事かと思う。これでは何のことが不明だが、解りやすく言おうと思えば「我が国の世界的水準にある、世界で通用する選手たちには昨年辺りからアフリカ系日本人選手たちの台頭が著しい」という点である。アメリカのプロバスケットボール界のNBAでは八村塁君が目覚ましい活躍を見せてくれたし、テニス界で世界の2大タイトルを大坂なおみさんが獲得した。100 mの日本記録を樹立したのはサニブラウン・ハキーム君だった。

オリンピックが延期となったので、未だ世界の舞台にその存在を見せていない選手たちは他にも数多く出番を待っている。例えば、先日仙台大学附属明成高校が優勝したバスケットボールには優れた将来有望なアフリカ系の選手が2名いた。女子の日本選手権で惜しくもENEOSに敗れたトヨタ自動車には、姉妹のアフリカ系の親を持つ凄い選手がいた。

*結び:
思うに、2020年という年は新型コロナウイルスの広範囲での感染によって、我が国も世界も大きく変わらざるを得ないような方向に舵を切らされた時だったと思うのだ。しかも、その切り替える方向をどちらに採るかで、一国の将来が大きく変えられてしまうと危惧するのだ。近頃「断捨離」などと言う言葉が流行っているが「何を採り、何を捨てるか、または何に将来を託するべきか」の判断を迫られると予告した年だった思っている。


2020年の終わりに当たって

2020-12-31 09:53:29 | コラム
年末に際して先ず回顧したいこと:

今年は年末ともなれば振り返ってみたいことが数々ある。その中でも先ずはトランプ大統領が1月20日には敢えて「仮定して」とするが、ホワイトハウスを去るものとして、その4年間を簡単に回顧してみようと思う。再度「敢えて」と言うが、あの方にアメリカの大統領が務まるのかと大いに疑問に感じていた。だが、私の持論である「誰が如何なる難しい職に就いたとしても、必ず何とかして見せるものだから案ずることはない。但し、その人物の器量と力量次第で結果が異なるだけのことだ」を当て嵌めれば、結論としては「彼なりにこなしておられた」と評価して良いと思う。

ドナルド・トランプという方は、大統領就任後の政治姿勢からして、方々から“unpredictable”だと酷評された。だが、今となって落ち着いて振り返ってみれば、彼が残した実績は「彼ならそうするだろうな」と思わせられる点が多々あったと思う。それは、不動産王でありテレビのスター的存在であっても政治の経験が全くなかったのだから、常識的な予想の範囲にはない政策を打ってこられたのだと思えば、結果論としては“predictable”だったと言える気もする。但し、insanityとまで言われた選挙の敗北を認めない言動の執拗さまでは、想定の範囲を遙かに逸脱していた。

その飽くまでも「バイデン陣営に不正があった。選挙は盗まれた」と主張し続け、トランプ氏陣営には「戒厳令を発動しても再選挙を」との強硬意見が出ていたと報じられていたような姿勢については、昨日も採り上げた親トランプ派のニューヨーク・ポスト紙の“Stop the insanity!”との社説が、一種の結論を出したと思って読んだ。

私は後世というか歴史がドナルド・トランプ大統領をどのように判断するかは予測も何も出来ない。だが、トランプ大統領が中国に対して臆することなく貿易面でも政治的にも強硬な姿勢で臨んだに姿勢は高く評価されて然るべきだと思う。同時に,合法・非合法を問わず移民、特に南アメリカ等からの者たちに厳しく当たった政策には、共感できる点がある。それというのも、ここ新宿区だけの異邦人に蹂躙されている現状から判断すれば、当然あるべき対策だと思っている。言いたくはないが、それと比較した際に「我が国は未だ外国人に甘い」と言いたくなってしまう。

私には世界最大の国アメリカで不正な選挙をしたということが未だに理解できずにいる。そこで、来年からどのように民主党政権のバイデン新大統領にたいおうするかだ。私は何らの甘い期待をすることなく、我が国に好意的に振る舞ってくれるなどという希望的観測をもすることなく、ジッと見守っていくしかないと思っている。バイデン氏が置かれた立場は,言ってみれば菅首相と同様に「誰がやっても上手く行く可能性が極めて低いこの時期に、如何なる信念を持って臨んでくるか」だと見ている。

バイデン大統領を待ち構えている難問は数々あるが「変異株の発生まで確認された新型コロナウイルスの感染の広がりを如何にして収束させるか」だけではなく、アメリカ経済落ち込みからの回復策、トランプ大統領が打ち出した強硬な対中国政策を何処まで継承できるかという難関があるのだ。私はトランプ大統領とは別な意味で「如何なる結果を出せるか」との予測が困難な大統領と言っても良いかという気がしてならない。私はこれまでに繰り返して「民主党政権は我が国にとっては『悪いお知らせ』以外の何物ではない」と,クリントン政権の例を引いて強調して来た。

私は「トランプ大統領が打ってきた数々の政策の間には一見何の脈絡もないかの如きだが、よく見れば『アメリカファースト』と、多くの評論家に皮肉を込めて言われた『自分ファースト』で貫かれているのだ」と見ていた。即ち、何としても選挙の公約だった「アメリカファースト」をあらゆる形で前面に押し出してこられたと感じていた。その点では毀誉褒貶相半ばするような感なきにしもあらずだった。だが、公約を守る姿勢等は、我が国の政治家には見習って貰いたいものだと言えるのだ。

忘れてはならないことがある。それは安倍晋三前総理が世界に較べるものがないほどのトランプ大統領との親しい関係を構築され、その協力関係の下に我が国との同盟関係をより一層強固なものにとして安定させたことだ。この点だけは是非ともバイデン政権に確実に引き継がせて頂きたいものだ。



12月30日 その2 早起きは三文の得

2020-12-30 15:49:28 | コラム
我が国には8万人のネパール人が:

昨29日の朝も4時過ぎに目が覚めて、3度寝も無理だと知って起き上がってテレビをしようこと無しに眺めていた。言って見れば「三文の得」かも知れない新知識だったが、早起きのお陰で、我が国にはネパール人たちが8万人もいると知り得たのだった。

それは、何気なくNHKのBSにしてみると、見出しのように我が国における大勢のネパール人の動静について報じていた。そこに採り上げられた一家は、父親が呼び寄せたもののようだったが、その長である父親が如何なる在留資格で来ているのかは解らなかった。その一家の長女(9歳)をネパール人学校に参観に連れて行き、是非入学しなさいと校長と共に説得するのだが、長女は「ネパールに帰る」と言い張って肯んじなかった。

そこで驚愕させられたことは、ネパール人学校にはスクールバスまであり、その側面には“International School”と表示され,所在地なのだろうが“Okubo”とあったのだ。将に「知らなかった」だったのだ。確かに大久保通りにはネパール料理屋が増えてきたし、3~4年ほど前だったかにイズラム横町の中にネパール居酒屋の1号店の如きものが出店していた。因みに、ネパールはヒンドウ―教の国にはずだ。大体このような店は同国人向けなのと承知して試しに入って見れば,何処からやって来たのかと思わせられたほどネパール人が溢れていた。

2年ほど前だったかに、ジムで顔馴染みになっていたネパール人で飯田橋付近でアジアンダイニングを経営しているという人物が、大勢のネパール人たちと共に何か作業をしていた。そこで「何をしているのか」と尋ねた。答えは「ネパールをより良く広く知って貰う為に、お祭りの準備をしている」だった。彼らが如何なる在留資格でレストランを運営できているのか知る由もないが、宣伝広報活動までする意図は理解できなかった。ただ、明らかにネパール人が増えているという感覚はあったが、全部で8万人もいて、ネパール人学校を大久保に設けていたとは想像もしていなかった。

その番組では,結局は9歳の女児は単独でネパールの帰ることになり、大勢のネパール人たちが空港まで送っていったのだった。故郷に帰ってからは祖母の家に暮らし、徒歩で1時間だったかの学校に通うようになっていた。先日は大久保ではなく百人町にベトナム人専用の恐らく非合法なのだろう床屋が出てきたいたことを採り上げたが、ネパール人学校は我が国の法律に従っているのかなと思ってしまう。私が危惧することは「彼ら異邦人に余程しっかりと我が国の法律とその規制」を知らしめておかないと、新宿区は治外法権の街と化してしまうのではないか」という辺りだ。


Stop the insanity

2020-12-30 14:58:15 | コラム
ニューヨーク・ポスト紙がトランプ大統領に告げた:

昨29日だったか、我が国のマスメディアが一斉にこのトランプ大統領のお気に入りのNY POST紙の、言うなれば驚愕的な記事を採り上げて報じた。“Stop the insanity”は「狂気の振る舞いをお止めなさい」とでもすれば良いのだろうが、それを一面の社説欄に思い切り大きな活字で掲載したのだった。確かテレビの画面にはこの一面の絵も出ていたが、いくら何でも大統領を捉まえて「精神錯乱呼ばわりはないだろう」と、思わずにはいられなかった。しかも、そこまで指摘したのがNY TIMESでもW POSTでもCNNでもないのだから、余計に衝撃的だった。

このタブロイド判の新聞が如何なる表現の仕方をしたかを検索してみれば「もう好い加減に選挙の敗北を認めなさい。さもないと貴方のレガシー(と敢えてカタカナ語にするが)が残りませんよ」という書き出しだったのだ。トランプ大統領寄りの新聞だったからこその思いを込めた言い方だとは思うが、insanityという言葉まで使ったのは「凄すぎないか」と感じた次第だった。

確かに、大統領選挙が始まる前からと終わってからのトランプ氏の振る舞いは、我が国で報じられていることが反トランプのメデイアの報道に従っていたにしても、些か度を超した奇矯なものではないのかと思って眺めていた。選挙人による投票が終わった後でも引き継ぎの手続きを進める訳でもなく、連日のようにゴルフに明け暮れているとの報道まであった。それが正しい事実に基づいた報道であれば、NY POST紙が言ったような“insanity”が必ずしも誤りとは言えないと思わせられた。

私は確かにトランプ氏をアメリカ大統領に相応しくない言葉遣いや礼儀作法を見て、元の上司や同僚や知人たちのように嫌っていたのは間違いない。だが、彼の大統領としての4年間の実績まで批判していたのではなかった。だが、選挙以後の振る舞いは些か常軌を逸しているのではないかと,苦々しい思いで眺めていた。だが、その結果がご贔屓の新聞に「精神錯乱呼ばわり」までされるに至っては、トランプ氏もそろそろ矛を収めても良い時が来たのかと思わせられた。バイデン大統領がアメリカの国益に直結するか否かは措くとしても、トランプ氏も思い切りが必要かと思っている。

私は我が国の中でもトランプ大統領の再任を望んでおられる数多くの方がおられて、デモンストレーションまでやっておられるのにも、アメリカ対中国と我が国と中国の間だけを考える時に、無理からぬものがあるかと思って望見している。と同時に、アメリカであれほど知識階層に評判が悪いトランプ大統領の我が国の支持者が立ち上がられたことには驚きを禁じ得ないのだった。見方を変えれば、私が繰り返して指摘して来た「民主党政権は我が国にとっては先ず確実に好ましくない」と認識しておられる方が多いのだろうと受けとめている。

1月20日はもう目と鼻の先だ。それまでにトランプ大統領がどのような行動を選ばれるかに焦点が絞られたのではないのだろうか。アメリカにも「立つ鳥跡を濁さず」という格言があるかと思って検索してみれば、“A bird does not leave its nest in a mess.”というのがあった。果たして、トランプ氏は跡を濁さずに「名誉ある撤退」をされるのだろうか。