「人となり」に疑問を感じていたから:
昨29日のPrime Newsでは、田崎史郎氏は「彼は冷遇されて冷や飯を食う経験をする必要がある。だが、岸田文雄新総裁が『党内の然るべき地位に起用する』と言っておられたので、その機会もなくなるだろうことが遺憾である」と、いみじくも指摘していた。要するに「挫折を味わった方が・・・」と言われたと聞いた。「菅首相に冷遇されたことが岸田文雄氏を成長させた」とまで言われた。
私は既に「ABT」と表現して、河野氏の当選は望ましくないと述べてあった。彼には確かにマスコミが言う「突破力」であるとか「実行力」のような気配はあると思う。だが、私の目から見れば人格としては未熟の嫌いが濃厚だし、自己過信の感は拭いきれない。また、彼の派手というか誇大宣伝に近いような発言は一般人には魅力的に見えるようで、その結果が人気投票じゃなかった世論調査の高い比率に表れていると思う。
私は理屈も理論も何も無視して、河野氏を評価しない理由は「あの記者会見等で見せる無礼なとでも言いたい俗っぽい表現を使えば『ぶっきらぼう』な答え方」である。例えば、好ましくないか、痛い所を衝かれた質問に対しては全く無視して「次の質問をどうぞ」を連発するとか、週刊文春に録音で暴かれたような官僚の説明に対して「日本語が解る奴を出せよ」なと言うことなどは、思い上がりも極まれりと感じた。彼がこのような態度を無礼と思っていないのであれば、それこそ「人となり」の問題であろう。
昨日も、総裁戦後の記者会見で「発起人が90人を超えていながら、実際には86票だったことは」と訊かれて「総裁選挙は終わりました。これからは前を向いて進んでいきます」と、木で鼻を括ったようなことを答え、次の厳しい質問にも同様な答え方をしていた。これを見せられては「このような未熟で礼節を知らない人物に国政を委ねようと思わなかった、自民党の議員たちの良識(派閥や2・3位連合などは忘れて)を評価したいと痛感した。
この河野氏の至らなさに輪をかけて失望させて貰えたのが、Prime Newsに登場した、麻生派代表というのか、河野氏支持というのか知らないが鈴木馨祐氏だった。反町が「総裁選挙は終わりました云々の答え方をどう思うか」と突っ込まれて、遂に「宜しくない」とは答えず河野氏紛いの質問に直接答えていないことをペラペラと喋っただけで、河野氏擁護の姿勢に終始した点だった。
ズバリと言って情けなかった。東大→大蔵省という輝かしき経歴を引っ提げて国会議員となって、これほど情けないことを恥も外聞も無く言うとは、どれほど河野氏に(まさか麻生太郎氏にではあるまいな)言い含められて出てきたのか」と疑わずにはいられなかった。私だったならば、「田崎氏と貴殿の貴重なご意見を持ち帰って、河野に伝えて反省材料にさせる」と言っただろう。
お仕舞いに、ほんの一寸だけ岸田文雄新総裁に言っておこうと思う事がある。それは「ノーサイド」と「全員野球」という比喩(なのだろう)を使われた事だ。「ノーサイド」(“no side”)とはラグビーの用語で「試合が終了したら敵も味方もなく健闘を労い合う」との美しい精神の表れであると、マスコミに尊ばれてきた。だが、聞くところでは、今やこの表現はラグビー発祥のUKでは使われていないそうで、言わば我が国独自のカタカナ語と化したとの説を聞いている。ラグビーの用語が重用されるのは、サッカー出身者としては遺憾である。
また「全員野球」と言われたのは、開成高校では野球部に所属しておられた「よすが」であろうとは思う。だが、およそ如何なる団体競技でも「全員が一丸となる」のは当然のことだと思う。言われたいことの意味は十分に解るし、時節柄そうあった欲しいとは思う。だが、サッカー出身者はここでも残念に思う偏見(?)の感ありだった。ここまでは、「決して岸田文雄新総裁を腐そうとしているのではない、期待しているのであるから陳腐なことを言って頂きたくないのだ」と言って終わる。
昨29日のPrime Newsでは、田崎史郎氏は「彼は冷遇されて冷や飯を食う経験をする必要がある。だが、岸田文雄新総裁が『党内の然るべき地位に起用する』と言っておられたので、その機会もなくなるだろうことが遺憾である」と、いみじくも指摘していた。要するに「挫折を味わった方が・・・」と言われたと聞いた。「菅首相に冷遇されたことが岸田文雄氏を成長させた」とまで言われた。
私は既に「ABT」と表現して、河野氏の当選は望ましくないと述べてあった。彼には確かにマスコミが言う「突破力」であるとか「実行力」のような気配はあると思う。だが、私の目から見れば人格としては未熟の嫌いが濃厚だし、自己過信の感は拭いきれない。また、彼の派手というか誇大宣伝に近いような発言は一般人には魅力的に見えるようで、その結果が人気投票じゃなかった世論調査の高い比率に表れていると思う。
私は理屈も理論も何も無視して、河野氏を評価しない理由は「あの記者会見等で見せる無礼なとでも言いたい俗っぽい表現を使えば『ぶっきらぼう』な答え方」である。例えば、好ましくないか、痛い所を衝かれた質問に対しては全く無視して「次の質問をどうぞ」を連発するとか、週刊文春に録音で暴かれたような官僚の説明に対して「日本語が解る奴を出せよ」なと言うことなどは、思い上がりも極まれりと感じた。彼がこのような態度を無礼と思っていないのであれば、それこそ「人となり」の問題であろう。
昨日も、総裁戦後の記者会見で「発起人が90人を超えていながら、実際には86票だったことは」と訊かれて「総裁選挙は終わりました。これからは前を向いて進んでいきます」と、木で鼻を括ったようなことを答え、次の厳しい質問にも同様な答え方をしていた。これを見せられては「このような未熟で礼節を知らない人物に国政を委ねようと思わなかった、自民党の議員たちの良識(派閥や2・3位連合などは忘れて)を評価したいと痛感した。
この河野氏の至らなさに輪をかけて失望させて貰えたのが、Prime Newsに登場した、麻生派代表というのか、河野氏支持というのか知らないが鈴木馨祐氏だった。反町が「総裁選挙は終わりました云々の答え方をどう思うか」と突っ込まれて、遂に「宜しくない」とは答えず河野氏紛いの質問に直接答えていないことをペラペラと喋っただけで、河野氏擁護の姿勢に終始した点だった。
ズバリと言って情けなかった。東大→大蔵省という輝かしき経歴を引っ提げて国会議員となって、これほど情けないことを恥も外聞も無く言うとは、どれほど河野氏に(まさか麻生太郎氏にではあるまいな)言い含められて出てきたのか」と疑わずにはいられなかった。私だったならば、「田崎氏と貴殿の貴重なご意見を持ち帰って、河野に伝えて反省材料にさせる」と言っただろう。
お仕舞いに、ほんの一寸だけ岸田文雄新総裁に言っておこうと思う事がある。それは「ノーサイド」と「全員野球」という比喩(なのだろう)を使われた事だ。「ノーサイド」(“no side”)とはラグビーの用語で「試合が終了したら敵も味方もなく健闘を労い合う」との美しい精神の表れであると、マスコミに尊ばれてきた。だが、聞くところでは、今やこの表現はラグビー発祥のUKでは使われていないそうで、言わば我が国独自のカタカナ語と化したとの説を聞いている。ラグビーの用語が重用されるのは、サッカー出身者としては遺憾である。
また「全員野球」と言われたのは、開成高校では野球部に所属しておられた「よすが」であろうとは思う。だが、およそ如何なる団体競技でも「全員が一丸となる」のは当然のことだと思う。言われたいことの意味は十分に解るし、時節柄そうあった欲しいとは思う。だが、サッカー出身者はここでも残念に思う偏見(?)の感ありだった。ここまでは、「決して岸田文雄新総裁を腐そうとしているのではない、期待しているのであるから陳腐なことを言って頂きたくないのだ」と言って終わる。