思いつく由無し事を:
4万円減税:
街の声では「電気代の補助がなくなるので『行って来い』になってしまう」とテレビが伝えている。一方では「年金生活者にとっては、次回から年金が規定通り減額されるし、介護保険料が上がるので何ら有り難みがない」との解説がある。岸田総理はそういう事態になってしまう事を承知の上で、減税が実施されるのを24年6月からと決められたのだろうと疑う事にした。
地球温暖化か、異常気象の所為か知らないが、今年の夏は猛暑による空調等によって電気の消費が増え、しかも飛躍的にという予測がある。減税案には止めどない円安にも起因する物価高等々の要素は見込まれて(織り込まれて)いなかったようだ。
自転車と電動キックボードの取り締まり:
電動キックボードの無法走行よる危険な目に遭わされたことは未だないが、自転車を運転する連中の無法振りと傍若無人の走行は出鱈目なことは今に始まって事ではない。誇張すれば、当方は何十年も前からその非道さを指摘し続けてきた。だが、我が国には自転車に乗ることが好きな連中が多すぎるし、乳幼児を抱えた若き母親たちには10数万円もする一歩間違えれば凶器になりかねない「電動アシスト付き自転車」は必需品の如きだ。
だが、これらの違反を常時摘発出来るような人員配置を、警視庁というのか所轄署が取れる訳もないだろうくらいは一般の市民である私にだって理解出来る。取り締まることも必要だろうが、自転車を無茶苦茶に乗り回す連中に交通法規を徹底して知らしめて遵守(当世では無駄に格好付けて「コンプラ」などと言うAHOも増えた)させるのが先決ではないのか。その点では電動キックボードの方が後発なだけに殆ど無法走行には遭遇したことがない。
言葉を換えれば、こういう便利なようなものを、法律を知らずにか、知っていても知らんふりをする連中が多いという事は「我が国の国民の民度が低下したことに他ならないのだ」と思うようにしている。道路交通法は「知らしむべし、寄らせるべし」ことなのだ。
火事のニュース:
当方は「朝は早(ハヨ)から」4時に起きて、各テレビ局のニュースを見ている。そこで気が付くことがある。それは、各局とも方々の地方での火事の様子を報じてくれる現象なのだ。そんな遠隔地の火事などは、それこそ「対岸の火事」よりも遙かに遠くの事件ではないのかと思っていた。どれ程意味があるのかと無視してきた。
だが、良く考えれば、1,300万人とも言う人口を抱えるここ東京には、全国から沢山の人が集まっているのだから、そのニュースで「故郷の重大事だ」と知る方々がおられるだろう事に、テレビ局が配慮しているのだと解釈することにした。矢張り、過度の「東京一極集中」によって起きる現象なのだろうと思って見て(聞いて)いる。
ショパンからモーツァルトに:
私的な話で恐縮だが、2週間程前からこのブログに取りかかっている時のBGMをショパンのピアノ曲から、モーツァルトの10枚組のCD(AVEX)に切り替えてみた。非常に心地良い音楽が聞こえてくるのだが、何故か聞き惚れずに聞き流せるのだ。結果として頭も指も快調に働くようになった。心なしかアクセスも増えてきたのは有り難いことだ。
このCDは2006年1月に最初の心筋梗塞発症で国立国際医療センター病院(当時の名称)に救急搬送された際に、紙業タイムス社のH編集長のお見舞いの品である。このCDは少し体を動かせる許可を頂いてからは、何とか電源にコードを差し込んで、Walkman紛いの機器でそれこそ朝から晩まで取替え引き換え聞き続けた。本当に心地良い音楽だった。その音楽の効果もあったのか、予告された1ヶ月よりも短い19日間で退院出来た。
その昔の同僚だった某大学管弦楽団団長でヴァイオリン奏者のAM君に「モーツァルトは本当に心地良かった」と回顧したところ「モーツァルトを聴いて気分が悪くなる人はいないでしょう」と言われてしまった。今、丁度1枚目のCDが終わったところ。矢張り、気分は爽快である。明日は久しぶりにショパンの「英雄ポロネーズ」にしようか。この曲のピアノ演奏はアルトゥール・ルビンシュタインである。