新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

往年の同僚は嘆いた

2023-08-31 14:29:48 | コラム
大谷翔平について意見を求めたのに:

在職中は苦労を共にしてきた技術者のX氏に、彼は野球には余り関心がないと知りつつも、大谷翔平の靱帯損傷の件について意見を求めるEmailを送って見た。答えは「野球界の出来事を追いかけていないので言うことはないが」と断った上で、ここに引用するような政治問題というかトランプ前大統領の問題についての嘆き節を聞かせてくれた。興味ある観測だと思う。

>引用開始
私から見れば他にも心をかき乱させる話題がある。それは前大統領が何件もの事案で起訴されたことが、連日のように過大に報道されている事態だ。

多くのトランプ前大統領支持者たちはこれらの事案についてトランプ氏は無実であると信じている。そこで、仮令彼が有罪の判決を受けても彼らは来年の大統領選挙の際には彼に投票すると思われる。

そういう連中の中にはトランプ氏が当選して刑務所の中で執務するだろうとさえ信じている。

私はアメリカ合衆国では民主主義も常識も無い国になってしまった事が信じられないのである。
<引用終わる

マスコミが報道していない物の見方であろうと思う。私はトランプ前大統領が立候補した頃から「アメリカの極少数派である知識階級と支配階層にある人たちで、トランプ氏の支持者は皆無だ」とまで指摘してきた。YM氏も「私の周囲にトランプ氏が良いと言う人はいない」と語っていた。このX氏などは「トランプ氏が当選すればdisaster(「滅茶苦茶になるか、大惨事になる」というような意味)だ」とまで予告していた。だが、当選した。

私は「トランプ氏の支持層とは如何なる人たちか」と何度も述べてきた。今やアメリカでは「彼の支持層に属する、トランプ氏自身が『労働者階層』と指摘した者たち他のminorities(少数民族)が多数派になりつつあるのではないか」と思わせられるほど増えているのである。X氏が当選を予想する根拠がこの辺りにあると思う。


8月30日のPrime Newsから

2023-08-31 07:15:27 | コラム
中国代表・朱建栄東洋学園大学教授は吠えた:

昨夜のPrime newsをある程度の興味を持ってNPBの野球と共に見ていた。それは、日頃から難儀な人物だと思っている朱建栄・東洋学園大学教授が出ていることに大いなる関心も興味もあったから。この方は一度中国に帰った際に拘束されたという異色の経歴の持ち主で、解放されて以降はまるで中国政権の裏の広報担当にでも任命されたかと疑いたくなるほど、極端に我が国を非難するだけに止まらず、中国の主張を増幅した発言を繰り返すのが印象的だった。

それだから、昨夜もあの処理水排出に対して何を言うかに興味があったのではなく、どのように我が国を批判して電話攻勢等の嫌がらせを正当化するかを聞きたかった。果たせるかな、小野寺五典元防衛大臣が条理を尽くし筋道を立てて説明しても「日本政府はIAEAに虚偽のデータを提出して誤魔化して『安全だ』と言わせたのであり、中国代表が検査に立ち会っていなっ方以上、安全性の説明など信用ならない」と繰り返して顔を真っ赤にして主張し続けた。

真面目に聞く必要もない話だが、聞いていて痛感したことは、中国政府の国営報道機関もこのような趣旨で国内にというか、人民に「日本は汚染水を垂れ流しているぞ」と言い聞かせているのだろうなと理解して妙に納得した。「中国を参加させなかった安全性の検査は認められない」には恐れ入ったが、小野寺五典氏が「それでは、検査の立ち会いをとご招待すれば参加されましたか」と切り返したことには、明確に答えていなかった。

東洋学園大学は朱教授の他にPrime Newsに出てくる度に強烈に「日本が間違っている。韓国の主張こそが正統である」と言い続ける韓国の李教授だったかも在籍されている。このような反日を言い続ける先生に教えられた学生たちは何を学びたくて入学するのかと、何時も「危ういことではないのか」と思っている。Prime Newsは彼らの言い分を聞きたくて呼んでいる訳ではないだろうが、彼らの偏った主張を信じてしまう人が少ないだろうと信じている。


8月30日 その2 大谷翔平の右肘靱帯損傷について

2023-08-30 15:03:22 | コラム
大谷翔平の故障についてアメリカの知人に感想を訊いた:

大谷翔平の右肘靱帯損傷をアメリカではどのように見ているかに興味があったので、スポーツ好きの知人に尋ねてみた。因みに、彼はIntelのオレゴン州ポートランドの事業部に勤務している。

また彼の一家はシアトル・マリナーズのホーム球場・セイフコフィールド(現T-Mobile Park)に年間指定席を持っている。私からは「エンジェルス球団が大谷を故障するまで使い過ぎたのではないかと疑っていると知らせたが、その件に関しての彼の反応は穏やかだったと思う。

以下に彼の意見を引用しておこう。

>引用開始
私も翔平の靱帯損傷は残念なことだと見ている。我々は翔平がMLBという世界最高水準の場で投げ且つ打っているのを見て充分に楽しんできた。翔平とエンジェルス球団との間に何が起きていたかまで窺い知ることは出来ない。私はプロの運動選手たちは我々一般人とは大いに異なる人種だと思っている。言うなれば、非常に競争能力が高い人たちなのだ。

彼らは常に勝たねばならないのだ。その目的のためには彼らの能力以上の力を発揮してまでも、ティームを勝利に導かねばならないのだ。その大いなる使命のために健康を損ねてしまうことも屡々あるのだ。

選手とは監督やコーチに要請されれば、試合に出て行く人たちなのだ。何故ならば、彼らはベンチに座り込んで試合を見ている事には興味がないのだから。

現時点で翔平の怪我からの回復にどれ程の期間を要するかを論じるのは、時期尚早であろうと思う。私は彼が来シーズンに何処まで回復するかを待つべきかと考えている。アメリカの野球ファンたちは彼が早期に完治することを期待している。

私はこれまでにもシアトルに行ってエンジェルスの試合を見てきた。9月初旬にもまた観戦を予定している。彼のような優れた選手を未だ嘗て見たことがないので、翔平の試合を観ては楽しんでいる。我々は彼を応援している。
<引用終わる

来週にでも、彼が大谷の状態をどのように観察したかを照会してみようと思っている。


8月29日のスポーツ

2023-08-30 08:14:20 | コラム
スポーツの面白さと恐ろしさを堪能した:

W杯のバスケットボール:
我が代表がオーストラリアに押さえつけられて100点ゲームで負けたのは残念だったが、FIBAのランキング3位がその気になって攻めてくれば仕方がなかった。オーストラリア代表は我が方が持てる力を出せないように攻守共に圧倒してきていた。

フィンランド戦が絶好のスカウティングの資料を提供したのだろう、特に3ポイントシュート攻撃という武器を徹底して押さえ込んでいたと見えた。。

それはフィンランド戦で富永と河村が発揮した3ポイントシュートをほぼ完全に封じきって点に如実に表れていたし、身長とスピードの差をこれでもかと見せつけていた。その辺りはリーバウンドの強さと、スティールにも出ていた。私に特に目立っていたことは、オーストラリア勢が嘗てサッカーで見せていた体格を活かした荒々しさまでを前面に打ち出して、身長と体格に劣る我が方を威圧していたことだった。

あのオーストラリアを本気にさせて、20点差まで追い上げた我が代表の善戦健闘を讃えたい。残る2試合を勝ちきってオリンピック出場権を取って見せて欲しい。

セントラルリーグの野球2試合:
往年の仕事仲間だったHH氏が熱烈なDeNAのファンなので、昨夜の対阪神戦は今永が何とかするかとジャイアンツ嫌いは希望を持って見ていた。一方ではDeNAに半ゲーム差まで迫ってきた読売が広島のホームグラウンドで、何処まで迫るかも注視していた。途中で知ったことは読売では岡本と復活の兆しが見えて厄介な梶谷が登録抹消だったことで、これは原監督には悪いがDeNAにとっては良い材料だと見ていた。

野球という競技の面白さと恐ろしさはDeNAの9回表と、広島の8回表の攻撃に「こういうこともあるものか」とばかりに現れていた。当方は9回にはDeNAは一頃の神通力を失った関根と、当たっていない佐野に打順が回っているので、半分以上諦めてトイレに立ってしまった。だが、戻って画面を見れば、何と2対2の同点。そこに出てきた牧が岩崎の低目の投球を掬い上げれば高く上がって、風にも乗ってホームランになった。

この予期せざる展開は「佐野が関根ではなくて安打で出ていた蛯名を置いて2ランホームランを打った」のだそうだ。勝負とはかくも少しの先も読めないし解らないものなのである。HH氏がさぞかし満足していただろうと思っていた。

読売である。チャンネルを変えた場面で投げていたのが、原監督に秘蔵の左打者押さえ込み用のみに価値がある高梨だった。その高梨は制球力に難があると見ていた。その為か何か、日ハムが手放したと勝手に決めていた。その高梨が四球で走者1・2塁にした。代打で出てきた末包は右打者。解説の赤星かアナウンサーは「右でも代えないのか」と言った時に、カメラは原監督の顔を映し出した。動かなかった。そして末包のホームラン。采配の誤りだっただろう。

広島の新井監督は8と9回の裏を島内と矢崎で抑えきって逃げ切って見せた。栗林はブルペンにも出ていなかった。読売は岡本が出ていなかったのは苦しかったようで、代打に2軍にいたとかで真っ黒に日焼けした、ソフトバンクがお払い箱にした40歳の松田宣浩を代打に出してきた。野村再生工場という褒め言葉がその昔言われていたが、原監督はそこまでの境地には達していなかったのか、松田は凡退した。

私はこの敗戦の原因は「原監督の一瞬の躊躇」というか「頼りにして重宝に使ってきた左投げの高梨の使い方を誤ったこと」にあると見ている。あの場面で右の田中千か菊池を使っていたら、末包のホームランは出ていなかっただろうが、これとても「だろう話」に過ぎない。「一瞬」の判断の誤りが試合を左右してしまう辺りがbaseballの怖さだと見せてくれた場面だった。

最後に高梨を「左投げ」と形容して「サウスポー」としなかった訳を。この言葉は戦後に「左投げをアメリカではこう言っている」と何処かで誰かが言い出して、未だに使われているカタカナ語。これをアメリカ人との話の中で使ったら「君は良くそんな古い言葉を知っているな」と褒められて笑われた。即ち、アメリカ人たちは長島名誉監督が使われる「レフティ」か「レフトハンデッド」は使うが、サウスポーを使うのを聞いた記憶はない。これは日本語なのだ。


近頃一寸気になっていること

2023-08-29 08:08:31 | コラム
細かいことが気になるもので:

これでは、まるでテレ朝のドラマで杉下右京が屡々発する台詞のようだが、近頃「如何なものかな」と気になった事柄を上げてみよう。

何故「ベースボール部」はないのだろう:
今年は慶應義塾高校の107年振りの優勝などがあって、野球の人気が大いに高まったのではないかと思っている。そこにバスケットボールの我が国の代表ティーム「暁」がフィンランドに勝って、これまた大盛り上がりだ。その時に揚げ足取りだと批判されそうなことを言うのだ。それは、部活とやらでも社会人の組織にも「バスケットボール部」や「サッカー部」や「ヴァレーボール部」や「ラグビー部」があっても「ベースボール部」はないことへの疑問なのだ。

往年には「籠球部」、「蹴球部」、「排球部」、「ラ式蹴球部」に「野球部」があったが、戦後になって何時の間にか「野球部」を除いてカタカナ表記に変わってしまった。野球は発祥の国がアメリカなのだから、真っ先に「ベースボール部」になっても良さそうなのに「野球部」が厳然として残っている。一寸気になっている。

野球のU―18代表の壮行試合:
昨夜は全国の大学から優秀な選手を集めた「大学の日本代表ティーム」との試合を、偶然にチャンネルを合わせて最後まで興味深く観戦した。この形式の試合はもう5年以上続けられているようだった。昨夜は簡単に言えばU―18の惨敗だった。それは不思議でも何でもない事で、大学生と高校生では体格と体力も違いが歴然としているだけではなく、技術の水準も異なっているからだ。

その様子を見て想起させられたことがあった。それは、嘗てはフットボールの「ライスボウル」が社会人のXリーグの優勝ティームも大学の甲子園ボウルの覇者の対戦になっていた。だが、近年は社会人と大学生の間には歴然とした体格と体力のさがあるだけではなく、技術水準も違うので学生側に故障者が出る危険があると関西学院ファイターズの鳥内監督(当時)が変更を提案して、社会人同士になっている。

確かに慶応高校の丸田を始めとして逸材が揃ってはいても、大学の投手たちが悠々と150kmの速球を投じてくることが示すように、今すぐにでもNPBに行っても通用すると思わせる完成した選手たちと、これから技術も体格や体幹を鍛えていこうという高校生との試合には激励の意味にはなるだろう。だが、技術的に何処まで意義があるのだろうかと思わせられた。企画の変更が望ましいと提起した。

トリチウム他:
これを検出不能(non detect)の程度にしか含有していないまでに処理して、海に放出したことに対して、中国が嫌がらせを仕掛けてきている。不愉快なことだ。特に迷惑電話攻勢に対しては「遺憾だ」などと言わずに中国政府に「直ちに止めさせなさい」と厳命したらどうだろう、何時だったか王毅大使(当時)が田中真紀子外相に申し渡したように。

私が取り上げるのはそのような政治の話題ではなく、何故tritiumが「トリチウムと表記されたのか」という、素朴だと信じている疑問なのである。これをカタカナ表記すれば「トゥリティアム」が近い。同様な例に、これから先に間違いなくEVの時代が来て需要が増加するだろう「リチュウム」がある。これの表記も原語がLithiumなので、発音は「リティアム」としたくなる。

「アルミニウム」もaluminum だから「アルームナム」が原語に近い。「シンポジュウム」もsymposiumだから「シンポウジアム」としたい。他にも例を挙げてみれば、私は話し合い中に「ホルムアルデヒド」と言われて、それが原語ではformaldehydeだったとは知らなかったので、どうしても訳せなかった。結果的には「フォマルデハイドのことか」と上司が察して決着した。ホルムアルデヒドはローマ字読みされていたようだった。

私が前から言おうと思っていたというか気にしていたことがある。この際に言いたいことは揚げ足取りではないと思っているのだ。即ち、「先人たちは何故カタカタ語で表記しようと時に、原語とは違うようにしたのだろうか。その狙いは何だったのか」なのだ。そこが知りたいのだ。それだけではなく、「元の英語表記の発音は調べなかったのだろうか」とも考えている。