新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月30日 その2 サッカーの情報漏洩

2018-06-30 17:00:56 | コラム
フットボールチャンネルによれば:

先日の対ポーランド戦の先発メンバーを6人変えるという話はいくつかのテレビ局で報じていたし、何名かの解説者(私は彼らはサッカー説明者に過ぎないと思っているが、この件は何時かまた述べる)たちが6人を入れ替えることと、そのポジションまで正確に予想してくれていた。私は不思議なこともあるものだと思っていたし、個人的には変更は望ましくないとも考えていた。

ところが、夜遅くなってその顔触れを見れば、予想通りだったには寧ろ呆れていた。何故、彼らが西野監督の構想を事前に知り得たのかという疑問である。この疑問はグループのリーグから勝ち上がれたから良かったと思った時点で、消えてしまった。

ところがである、フットボールチャンネルを見れば、植田路生なる者が誰が先発メンバーを漏らしたかを詳細に推理して報じていた。私はこれが正しければ、我が国のマスコミは何の為に何を報ずべきかが全く理解できていないと思わざるを得ないと痛感した。少なくとも利敵行為をしているという意味だ。まして、植田氏が推理したように内部にこのような情報を漏洩した者がいるとしたら論外である。

西野監督もとんだ敵が周囲を取り囲んでいるのだと、そのご苦労のほどが良く解った次第だ。ではあっても、対ベルギー戦に誰を使っていくかを知りたいものだという興味がある。しかしながら、こういう状態では長友が記者たちにご協力願いたいと言った気持ちは良く解る。

最近のハプニングス

2018-06-30 14:05:03 | コラム
近頃気になった出来事:

西野監督の危険な賭:

フジテレビの解説者の説明を聞いてかなり危険な賭だとは思った。実は、NHKのBSでコロンビア対セネガルの中継をしているとは全く知らなかった。と言うよりも、フェアープレーのポイントなどという制度を知らなかったとも言えるのかと思う。

ポーランド側もある程度以上我が方の意図を察したのだろうか、1点でもリードしている後数分を残して無理に奪いにいく必要も無しと判断したのだろうか、全く寄せようとか競り合いにいこうとする素振りを見せなかった。これでは実質的にストーリングをしているのと同じではないのか。だが、不思議なことにマスコミ報道では西野作戦に対して色々と非難しているが、私には「これ幸い」とばかりにストーリングに出たポーランドについては、何のお咎めもなかったのは不公平だと思っている。

結果としてこの試合の最後はスリルも何もない極めて間延びした状態になり、大いに観戦の興味を削がれたと不快に思われた方はおられただろうとは感じていた。だが、心の中では「兎に角、早く終わってグループリーグから抜け出せるように」と念じていていた。ここで、W杯の試合で不思議に思っているエキストラタイムについて。何故か後半には前半のそれに比べて長く、3~5分台になるのだった。あのポーランド戦でも後半に時間を3分も浪費した事態は生じていなかったと思っている。

この辺りが起源がUKにあるフットボール系の競技の矛盾点だと思っている。今ではその余計にかかる時間を第四の審判とやらが掲示するように多少近代化?されたが、つい最近までは主審の裁量に任されていたようだった。おかしいと言いたい制度だった。ラグビーでも未だにトライを獲られた方が次のキックオフをして、再び攻撃権を相手に与えるののは矛盾だと思っている。こういう非合理性とでも言いたい点を改善したルールで運営されているのが(アメリカン)フットボールであり「究極の球技」と言われる所以である。

第三者委員会は日本大学のガバナンス(この言葉には統治能力という意味はないと思うが、マスコミに妥協しておこう)まで云々する為に設置されたのか:
昨29日には折角そ
ういう機会があったからと、悪質タックル問題の原因究明の為に設置されたと思う委員会の記者会見を見ていた。内田前監督と井上前コーチが責任回避の姿勢を採ったと解明した辺りまでは特に新鮮味はないと思って聞いていた。だが、調査対象だった100数十名の学生全員が両名が虚偽答弁をしていると答えたという件は、私には何となく違和感が残ったのは何故だろう。

しかし、大学側がフットボール部の学生に真相を言うなと圧力をかけたと、何か新たな発見のように言われた点にも違和感があった。即ち、宮川泰介君の記者会見でも「三軒茶屋キャンパスに呼ばれて云々」と言っていたのだから。私の更なる違和感は、その辺りを以て日本大学の統治能力に問題ありとされたことである。即ち、この委員会は日本大学全体の問題点を探り出す目的だったとは知らなかったからだ。

6月中の梅雨明け
週間天気予報などを見ていると、7月に入ってからは30度台の高温で晴天の日が続くとあったので、当方の体調にとっても結構なことかと思っていた。だが、昨日から様相が変わって「観測史上初」だとかで6月中の梅雨明けだと報じられた。実は、私はこの年齢になってから、真夏のような暑さを何故かほとんど感じなくなっていたので、寧ろ30度超え何するものぞとすら考えていた。

ところが、数日前にNHKだったかで「高齢化すると体の感度が鈍って暑さを認識しなくなるので、暑さ対策である発汗もしなくなるので要注意」と言っているのを聞いて「なるほど」と思わせられた。本日も明らかに30度を超えていると承知で11時半頃に直ぐ近所まで買い物に出てみて、目が眩むほどの強烈な日差しと暑さに驚かされた。万一に備えてサングラスをかけていたので救われたが、梅雨明けの実感をイヤと言うほど味合わせて貰った。

毎年夏が来ると「今年の夏を無事に乗り切れるか」と不安に思うのだが、今年もまた辛い目に遭わされそうだと感じ取らざるを得なかった短時間の外出だった。やれやれ。

なお、掲題の「ハプニングス」となっているのは「元の英語ではhappeningは通常複数形で扱う」となっているので、カタカナ語にも複数の“S”を付けておいた次第。


6月29日 その2 ストーリング

2018-06-29 17:45:18 | コラム
負けている方がストーリングとは:

長年色々な団体競技の試合を見てきたが、負けている方がストーリング(stalling)を敢行するのは初めて見た。昨夜の我が代表の対ポーランド戦での出来事(ハプニングではない、念の為)のことである。私は解説者(多分、山口素弘と鈴木隆行だと思ったが)がかなり的確に状況を説明してくれてあったので、事態は解っていたつもりだった。彼らは最後に長谷部を交代で出したのが、全員に伝える任務を帯びていたのだろうと言っていた。

勿論、かなり危険な賭だとは思ったが、ポーランド側もある程度以上我が方の意図を察したのだろうと、リードしている方が後数分を残して無理に奪いにいく必要も無しと判断したのだろう、全く寄せようとか競り合いにいこうとする素振りを見せなかった。結果として極めて間延びした試合になり観戦の興味を削がれたと不快に思われた方はおられただろうと感じながら「早く終われ」と思っていた。

西野監督のこの作戦には当然のように賛否両論があったようだ。しかし、そういう規定がある以上利用するのはフェアーであるとは思っている。だが、私はあの6人替えにはそれほど賛成できなかった。簡単に言えば「それでなくとも決定力不足なFWにW杯初登場の武藤を出して一層不足する事態に追い込んだし、槙野如きを出した為に彼のサイドであの失点が生じたし、放っておけばゴールキックになるパスに頭を出して危険極まりないCKにしてしまった判断の悪さを見せた」辺りが不満だった。

私は矢張り「香川と柴崎を並べた上で本田を言わばジョーカーで残し、指導力がある長谷部を出しておく布陣で行くべきだった」と未だに思っている。マスコミにも「川島が良いセービングでテイームを救った」というように賞賛する傾向があるが、彼の前に出る判断の遅さと位置取りの悪さは救いようがないと思っている。補欠で連れて行った東口か誰かを使ってみる手はあったと思う。だが、それとても危険な賭だったかも知れない。

次の相手はベルギーがそうだが、夜中の11時や12時の試合開始でない方が有り難い。先ほどもソファーに横になって日大問題の第三者委員会を記者会見を見ている間に、何と昼寝になってしまった。


イエローカードの差で

2018-06-29 08:02:57 | コラム
ポーランドに負けてもグループリーグを突破:

いきなり結論を言えば「我が国独特のフェアープレーがここまで有効でものを言うとは予期していなかった」となる結末だった。

昨28日夜のW杯サッカーの対ポートランド戦は非常に不安な思いで観戦していた。それは試合開始直前になっても一向に「閃き」がやって来なかったからだ。それは通常は引き分けか負けを暗示するのだが、幾ら待っても「勝つ」という姿が見えてこなかったのだ。思うにその最大の理由は西野監督が何故か先発メンバーを6人も入れ替えただけではなく、私が評価していない川島を残し、これも駄目だと決めつけている槙野や酒井高徳を入れて、香川も長谷部も外したことにあったのだろう。

私にはその意図を全く汲み取れなかった。解説の誰かが「次を考える時に、これまでの2試合に先発した者たちの疲労感を考慮した」と言っていたが、私には取って付けたようにしか聞こえなかった。大事な一戦にそれまで補欠扱いをしてきた者たちを使う勇気と大胆さと無謀さ?を、私には評価できなかった。まさか、あの6人には折角選ばれてロシアまで来たのだから「思い出作り」で使おうかという温情かも知れないとも考えた。きつく言えば、そんな温情を考えている場合ではないと思った。

試合としては技術的に余り見るべきものがない詰まらない内容だったと思う。だが「何時我が方が1点でも取ってくれてアナウンサーが喚く『引き分けでも』に持って行けるか」だけを楽しみにして見ていた。しかし、試合が進むにつれてそれははかない希望的観測に終わるのではないかと思うようになっていた。それは武藤や岡崎には大迫程度を凌ぐ力がある訳でもなく、岡崎は兎も角、特に武藤は折角出して貰えたのだから目に物見せてやろうといったような気迫が全く感じられなかった。

ポーランドにしたところで本当にこれがFIFAの8位だったかに評価されているとはとても思えない無為無策のサッカーで、身長が高く体が大きいことを活かして比較的には小柄の我が代表たちに当たって押し倒すだけしか能がないようにすら見えた。レバンドフスキなるブンデスリーガの得点王もカメラの撮り方が下手だったせいか、何処にいるのかも解らず、ほとんど機能していなかったと思った。それでもあのFW2名と、柴崎が余り機能しないように押さえ込まれていた感があったので、引き分けでも難しいのではないかと、段々不安になっていった。

結局のところ、あの2戦で機能していたメンバーを外してしまった為に長友も活きず、酒井宏樹は攻めに回った時は相変わらず不正確な球出ししか出来ず、途中から入れた大迫も乾も機能しないうちに「イエローカードの差」でのグループ抜け出しが見えてきたので、後陣でのパス回しで逃げ切りの作戦に入ったので、テレビを通しても観客の「ブーイング」が聞こえるような展開になってしまった。こんな試合は初めて見た。

どんな形でも勝ち抜ければ良いのであって、私がW杯が始まる前に予想した「一度でも勝てれば良くやったと褒めて上げよう」どころではない成績を残したのだから「君たちは立派だった。よくぞそこまでやってくれた」と心から褒めて上げるべき結果を出してくれたと思う。昨夜のポーランドのように何処まで本気だったのかが最後まで見えなかった相手と試合をするのは大変だったと思うが、兎に角16強に残ったのは偉かったし、急に監督を引き受けた西野朗氏にも感謝すべきだと思う。


6月28日 その2 好ましくない言葉遣い

2018-06-28 16:47:00 | コラム
テレビ局の軽佻浮薄さの象徴だ:

現代ではテレビ局が使う言葉がそのまま一般人(これもおかしな言葉遣いで、我々が芸人と対極にあるとでも見做しているかと思うと腹立たしい)が知らず知らずの間に使って普及させているように見ている。テレビ局は私のような昭和一桁生まれにはとても受け入れがたい俗悪な言葉を乱発・濫用している。私には彼らテレビ局の連中の軽佻浮薄さに嫌悪感を覚えている。

今や我が代表がグループリーグを通過できるかどうかの境目にまで来たW杯のサッカーや野球の中継などで屡々聞こえてくる「ベンチスタート」か「ベンチからのスタート」という表現は、私は好ましくないと思っている。敢えてカタカナ語を使って言い換えてみれば「スターテイング・メンバーから外されたか、落とされた」と言えば良いのにと考えている。思うに、テレビ局は補欠に回された選手たちに無用な気遣いをしているとしか思えないのだ。私にはこれら二つの言い方は奇妙だと切り捨てたい。

これ以外に最近何となく流行っている表現に「真逆」というのがある。これは私が長年使っている電子辞書の広辞苑には未だ載っていない。誰が如何なる理由で使い始めたのか知らないが、「正反対」で何故いけないのか。テレビに出てくる知識人乃至は文化人風の方々も躊躇わずに「真逆」を使うのはテレビ局の意向を忖度したのかと疑っている。

他に気が付いた気に入らない言葉遣いの例を挙げてみれば、所謂「食レポ」(これなどはテレビ業界の隠語、即ちスラングだろうと思うが)などでは「野菜がゴロッと入ったカレー」などという具合に「ゴロッと」というのが出てくる。私には下品だとしか聞こえない。「~さんが完食」というのは珍しくも漢字が使われているが「全部食べました」ではいけないのかと不思議に思ってしまう。芸人どもが使う「マジっすか」や「ガチで」等も下品の部類に入れたいイヤな表現だ。正直なところ、当方には「ガチ」という言葉の意味は解らないのだ。彼らは日本中の誰でもが解ると思っているのか、それとも下品でイヤだと思う当方の感覚が古いのか。

スポーツ関連で気に入らないのが、身長が高いか跳躍力に優れている選手の動きを形容して「高さがあります」との表現だ。「身長が高いことを活かして」とか「素晴らしい跳躍力を見せた」と具体的に伝えるのがアナウンサーか説明者(解説者とも言うが)の使命ではないのか。これなどはテレビ局には「スポーツ中継用語集」でも準備されていて、出演者に使えと強制されているのか疑っている。

ヴァレーボールやサッカーで何人かの選手が並んで防御の態勢を取ることを「何人」と言わずに「~枚」とアナウンサーが言うのも気に入らない。これもその競技種目におけるスラングだと思う。それをアナウンサーが嬉しそうに使う必要があるのか。更に言えば「人間を紙のように言うな」と叱責したい。

政治の面では以前にも取り上げて批判したが、英語の”bilateral”(=2国間の)という意味の言葉を政治家どもが頭の部分だけ採って「バイで」などとカタカナ語化しているのも不見識だと非難したい。政治記者でもない私には何のことか理解できなかった。言わせて貰えば、政治家とマスコミの独りよがりだ。二国間交渉であれば、そう素直に言えば良いことではないか。これなども政界の俗語か隠語即ち”slang”であるのだから、公共の電波を使って言って欲しくない。「知ったかぶりするな」と言いたくなる。事の序で言っておくが、「一方だけ」か「単独の」は”unilateral”と言う。だが、何故か「ユニ」という隠語はないようだ。

こういう種類の俗語か隠語に属する言葉は他にも沢山使われていると思うが、今回は昨年の今頃に採り上げたものに加筆訂正してみた次第だ。思いついただけでもこれだけあった。テレビ局も芸人も政治家もこういう種類の言葉を得意げに使う必要などないと思うのだが、如何なものだろう。カタカナ語排斥論者の私から言わせて貰えば、それでもカタカナ語よりは罪は重くないとは思うのだ。