新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

75歳以上のワクチン接種会場で感じたこと

2021-05-31 11:54:53 | コラム
あらためて経験談を:

自分自身が88歳という超後期高齢者であるとは十分に承知しているが、今回はその点を忘れて、少し客観的にどういう事を感じたかを述べていこう。

この現象についての判断は控えるが、新宿区の会場では「問診と接種」が同じブースで行われていたのは意外だった。と言うのは、報道では「問診票の記入法に戸惑っていた高齢者が多かったことと、担当された医師によっては詳細にチェックされ質問等もされるので、想定外の長時間を要した」となっていた。ところが、私を担当された医師は提出した問診票をチラと一瞥しただけで「薬のアレルギーはありますか」の質問だけで、直ちに接種を開始された。報道とは異なっていた点だったが、こうすることで事は迅速且つ効率的に運んだと思う。

受付を終わってから5分後には、接種を終えて2回目の予約の日程を指示されるカウンターに進み、副反応を見守る為に15分間待機する椅子席に案内された。そこで最前列に座ったところ、係の女性に「そこは車椅子の方のために取っておきたいので、場所を変えてください」と指示された。確かに車椅子の方も歩行器の方も白杖ではないが杖をついた方が多かったのも事実。75歳以上ともなれば、この辺りが実態かと痛感した。区役所の方たちも大変気を遣っておられると解った。

私の後ろに座った高齢のご夫婦の付き添いの娘さんと思しき女性は、親御さんたちが「注射は痛いからイヤだとか何とかグズグズ言ってばかりいて、お医者様に迷惑をかけて恥をかかされた」と大声で怒っていた。聞き苦しかったが、このような付き添いの方でもいないと高齢者を流れに乗せて動かせなかっただろうと解る気がした。区役所は「如何に高齢者を扱うか」との難しい課題に挑んでいたようだと感じさせられた。だが、そう言っている自分も高齢者なのだが。

意外だったのは、各階の受付でも、次回の予約日を告げるカウンターでも、PCは置かれていなかったことだった。最初の受付のカウンターでも、予約の有無等々はPCで確認されるのだろうとは予期していたが、名前すら尋ねられずに進行した。尤も、そういう仕組みにして多くの高齢者を裁けば事がかえってややこしくなったのではないかとすら考えた。きつい言い方をすれば、未だそういうチェックをするようなコンピュータのソフトが出来ていないのかとも考えた。即ち、デイジタル化は未だしという事かとも感じた次第。

尤も、新宿区では4月中に掛かりつけの医院やクリニックで接種を受けられるような段取りが出来ていたのだったし、私も永年お世話になっているクリニックに予約を受けて頂いていた。ところが、5月の初旬には「ワクチンが配分されないので」という悲しい理由でキャンセルになっていた。私が思うには今回の接種が一段落すれば、次回にはワクチンの供給も国産も出回って潤沢になるだろうから、インフルエンザのワクチンのように、掛かりつけのクリニックで受けられるようになるだろう。そうなれば、区役所でソフトかアプリを準備される必要もなくなるだろうと推察している。


遅ればせながら第1回目のワクチン接種を受けて

2021-05-30 11:21:53 | コラム
非常に物思わせられる経験だった:

第一には高齢者を優先して接種できるように努力をしてくださった菅内閣と、東京都庁と新宿区役所の担当者の方々に心から御礼申し上げるべきだと痛感した。我々夫婦は6月中に2回目までを受けられるようになったのだ。何故そういう事を言うかと言えば、その高齢者が集うその接種会場に行ってみなければ、事の次第は解らないと感じたからだ。

私は掛かりつけのクリニックが「ワクチンが来ないから」という極めて解りやすいようで解らない理由で予約をキャンセルされた後では、区役所に電話かPCで予約を申し込む機会を逸していたのだったが、その期日を3日過ぎた後で、駄目で元々と知りつつ電話で2時間ほど挑戦して、29日の最後の一口の予約が取れるという幸運に恵まれただけだった。

その接種会場という現場で見た何とも形容しがたい状況に接して、「STAFF」と記した腕章を巻かれた女性の係員の方々の整然とした取り仕切り振りと、会場の設定から痛感したことは「矢張りインフルエンザのワクチン接種のように区役所から通知が来て、掛かりつけの個人の医院やクリニックで接種を受けられるようになるのが理想的であろう」ということだった。

現時点ではCOVID-19という未知のウイルスに襲来されて、言わば急場凌ぎの対策を取らざるを得なかった事態であり、ワクチンも輸入に依存せざる状況下にあれば、その遅れを非難攻撃するのが適切であるとは思えないのだ。とは言うが、厚生労働省の輸入業務を任せたことは適切ではないが、今に至ってもそれを非難する意味はないと思っている。

今回の経験を奇貨として、何れは実用化されるだろう国産のワクチンを十分に活用して、インフルエンザのワクチン接種のような次元にまで持っていって貰えれば最善だろうと考えた次第だ。恐らく、このウイルスを年内に完全に制圧は出来ないだろうし、空港等での水際対策が甘い以上、現行のような大・中・小の会場で接種する事態は可及的速やかに解消した方が良いと思った。

その理由を昨日の僅か1時間にも満たなかった経験から述べていこうと思う。

私は徒歩でも20分は要しない会場にバスを利用して行ったので、予約時刻の13時よりも30分近くも前に到着したが、これは予定の行動だった。即ち、週刊誌等から得た知識で櫻井よしこさんと林真理子さんは30分前に到着されて色々と(誤ったカタカナ語に言う)メリットがあったと述べておられたからだった。区役所の7階建ての地域センターの1階ロビーには男性のSTAFFが待ち構えていて、13時の予約であると確認された後で、私は1名の先客と共に用意された折り畳み椅子に座るよう指示された。

10分後に5階に上がるよう指示されて、そこでも係員の指示を待って欲しいと言われた。その辺りまでは事の実態は解らなかった。だが、5階で到着順に着席を指示されてからは、どういう事になっているのかは直ぐに解った。それは、後から後からエレベーターで上がってこられる75歳以上の高齢者たちに中には、歩行もままならずに歩行器を利用される方と、介添え役の補助でやっと到着順に座る椅子まで動ける方と、12時45分なのに13時30分や45分の予約の方々がおられたのだった。

88歳の当方はお陰様で自力で会場まで来て5階まで上がってきたが、75歳以上ともなればそうは簡単には行かないということだった。しかも、この地域センターは早稲田通りから坂道を下ったところにあるので、帰り道は坂を登っていかねばならないのだから、介添え役の補助は必須だろうと解るのだ。

13時の5分ほど前にSTAFFの女性から「先着4名様はエレベーターで7階に」と指示された。私よりも先着だった男性の老人が真っ先に乗った。ところが、4名様の指示が聞こえていたのかどうか、STAFFが制止する間もなく、5人目に老女が乗ってこられた。しかもこの方は7階で一番先に降りたので、先頭を切って検温と手の消毒に向かってしまった。

私はこういう高齢者の集団がどれほどこういう場での行動に馴れていないかと、行動の基準が把握できていないことを、嘗ては公認会計士さんたちの指導を受けに行っていた確定申告の会場で経験していた。それ故に「なるほど、矢張りここでもこういうことになるのか」とあらためて認識させられた。それは、問診と接種を受けた後でもSTAFFの指示に従って順番待ちをして2回目の予約の手続きをして貰うために着席して順番を待つのだが、ここでも無秩序な混乱が生じていたのも止むを得まいと思っていた。

最終的には副反応とやらが生じないかを見るために、胸に退散して良い時刻が記入された「ポストイット」を貼って待っているのだ。だが、その意味が理解できないご老人などは、スタスタと帰って行ってしまったりするのだった。これらの小さなと言うか大変なというか知らないが、混乱の状態を管理しておられるSTAFFの方々は、恐らく一日中の立ち仕事だろうから、さぞや大変な負担だろうお察ししながら、接種後15分ほど座っていた後で指定された時刻になり「異常はありません」とSTAFFさんに申告してから帰路についた。

早く会場に到着したので、後から来られる高齢者の様子を観察する時間があった訳だが、思うように動けなくなっておられる高齢者の方々が自力で予約を取られたとは、到底考えられない状態にあると見た。恐らく、ご家族や親類縁者の助けがあったのだろう。事実、我が家でも家内の来月2日の予約は長男のPCから確保した貰ったのだった。

冒頭に申し述べたように、6月中には夫婦で接種を終える段取りが出来たことは本当に有り難いことだと、本気で言っている。事実、昨日1回目の接種を終えただけで、何ら具体的な効果はないと承知していても、全国的に1回目を終えた人の比率が6%であり、その輪の中には入れたと知っただけでも、精神的には計り知れないほど気が楽になってきているのだ。

因みに、2回目として会場で指示されたのは来たる6月19日の同時刻で同会場である。ワクチンの効果が本格的になるだろう7月になれば、少しは強気になれて京橋の馴染みの理髪店には行けそうだと心待ちしている。菅さん、河野さん、有り難う御座いました。

余談だが、STAFFと表記された腕章には、カタカナ語排斥論者としては限りない違和感を覚えたのだった。即ち「新宿区」か「新宿区役所」としてあった方が高齢者には解りやすないのではと思うから言うのだ。


5月28日のスポーツから

2021-05-29 08:08:51 | コラム
ミヤンマー代表の登場と佐藤輝明のホームラン3本:

昨28日の夜は「報道1930」もPrime Newsも失礼して、サッカーW杯の予選とNPBの野球を見ることにした。結果としてはそれなりの収穫はあった。

サッカーW杯の予選:
対戦相手がミヤンマー代表であるとは新聞とテレビの予告で承知はしていたが、実際にミヤンマー代表がピッチに立っている姿は非常に印象的だった。正直に言えば、NHKのBSで中継するとは知らずにオリックスとスワローズの野球を見ていたら、サッカーになってしまったという具合。あの泥沼とでも形容したいようなミヤンマーから、善くぞサッカーの選手たちが我が国まで来られたものだということと、如何にも悪者のように扱われている軍事政権が選手団の派遣を認めたことにも、多少の疑問を感じていた。

今朝になってテレビのニュースで知ったのだが、スタジアムの外には在留ミヤンマー人たちのデモがあって「この選手団は正当な代表ではない」と叫んでいたようだったし、遠征に参加しなかった主力選手もいたとのことだった。ミヤンマーの全土で軍事政権に対する抗議活動が展開されているのかどうかなどは知る由もないが、あの選手たちが何処かで十分に練習を積んで来る余裕があったのかとの疑問があった。

試合の展開と結果をここに私が述べる必要もないと思う。試合が開始された直後のミヤンマー代表の動きはと見れば、到底我が代表の敵とはなれないことが直ぐに解った。最少でも10点くらいは取って勝ってもおかしくないと思っていた。要するに、ミヤンマー代表には失礼な言い方になるかも知れないが、勝って当然の試合で余り観戦し続ける意欲が湧いてこなかった。従って、技術的にも何にもこれという感想も戦評もない。

但し、非常に不満だったことがあった。それは、あれほど試合をする態勢が整っていない相手に対しても、相変わらず後ろ向きから横から横へと無人の野を横ばいするようなパス回しを続ける丁寧なというか消極的な我が代表の試合振りだったこと。あれほど動けない当たってこない相手だったならば、アナウンサー式な表現の「単身ドリブル」で相手のデイフェンスを切り裂いて突進するくらいの積極性というか「我ここにあり」的な個人の能力を見せても良かったと思って見ていた。

もう一つ気に入らないことを。それはマスコミ報道のおかしさ。彼らは何故かスペイン語を自在に操ってみせる久保建英君を、何かと言えば特に採り上げて「活躍を期待する」とばかりにインタービューすることだ。私は久保君は単独では上手いと思って評価しているが、何故か森保監督は彼を招集しても使わないか、小出しにするだけなのだ。監督という仕事をする方も「人」だから当然のように好き嫌いがある。

私にはあの監督さんは久保君のようなサッカーが彼の思い描くサッカーには不向きだとでも評価しておられるのではないかと思って見ている。それをマスコミは知らないはずはないと思うのだが、何故か「是非使ってみては」と言いたげなインタービューで示威運動をしているのは不可解だ。しかも、昨夜は久保君を使わずとも10点も入ってしまったのでは・・・。

佐藤輝明:
12チャンネルが中継していたタイガース対ライオンズの試合は二転三転で、大いに楽しませて貰えた。ここでは気の毒だったと思ったほどライオンスに陽性者が大勢出て、二軍戦かと一瞬戸惑ったほど知らない名前と顔ばかり登場していた。しかも、つい先頃8年目にやっとものになってきたかと評したばかりの高橋光成が締まりのない投球をして失点したかと思えば、味方打線が奮起して同点に追い付くという展開が続いた。だが、その中で佐藤輝明は当たればホームランという具合で大いに見る者を楽しませてくれた。

私は佐藤君は徐々に希に見る逸材という事を、これでもかと立証していると思って見ている。だが、未だ未だ外に流れる球種に弱点がありもろくも三振するかと思えば、投手が間違って多少近めに投げ込むとアッという間に片手でもホームランにしてしまう魅力があるので、タイガースの試合はその期待があって見ている。昨夜も、ライオンズの辻監督は何故僅か虎の子の2点のリードを守って逃げ切らねばならない9回に、何故ギャレットという投手を出すのかと思っていたら、同点に追い付かれた後で、佐藤輝明に途轍もない勢いのホームランを打たれて、九仞の功を一気にかいてしまった。

あれが佐藤輝明のお手柄なのか、または辻監督の投手起用の失敗なのかは軽々に断定できない。だが、球速だけはあっても精密さを欠くコントロールの投手しか残っていなかったライオンズが気の毒だったのかも知れない。だが、佐藤輝明の凄さは投手たちが余程正確に未だ彼の弱点であるインサイドを変化球などを使って攻めるか、乃至はインサイド攻めの後に外側にストライクからボールになるスライダーでも投げ切れない限り、大谷翔平君も真っ青のような凄まじい初速のホームランを打たれてしまうだろうと思う。今夜もタイガースの試合のテレビ中継はあるのだろうか。


5月28日 その2 NPBの話題から

2021-05-28 08:49:25 | コラム
佐々木朗希君と奥川恭伸君:

この高校の頃からマスコミが大騒ぎして持ち上げてきた2人のプロ2年目の投手が、昨日の交流戦でそれぞれ曲がりなりにも勝利投手になれていたのは、一応は結構なことだと思っている。「何とかそこまで来られたのか」という意味だ。私は奥川君は甲子園で決勝戦で大阪の履正社高校に負けるまでかなり何度も見ていたので、その長所も欠陥も多少は把握していた。だが、佐々木君は言わば監督さんが甲子園出場を拒否したような使い方をしたので、その素材としての将来性は先頃の初登板で一寸見ただけだったが、昨日はタイガース相手でも勝利投手になれていたようだった。

そこで、この高校野球を代表したかのようなマスコミの持て囃し方で2年目を迎えた両投手を、冷静な評論家の目で診断しようという、大それた事をやってみようと思う。勿論、彼らだろうと誰だろうと、現場で見た訳ではなく、テレビで観ただけの印象しかないと、予め予防線を張っておこう。

先ず、佐々木朗企君から。一度目の登板は幸いにもテレビの中継で見ることが出来た。解りやすく結論から言えば「素材としては評価できるが、未だプロの投手の体格になっておらず、高校の時に163 kmだったかの速球を投げたと喧伝されていたが、プロの投手としては未だ150 km台の速さでも十分に制球力が備わっていないし、球威で打者を圧倒できる次元には至っておらず、かと言って制球力で打者の欠点を突くまでの域にはほど遠い」としか見えなかった。高校で163 kmまで出たという事は「可能性」として残っているだろうが、今後の精進如何に懸かっていると見た。

次は奥川恭伸君だ。甲子園の頃から「球は速いし良い素材だとは評価するが、甲子園で勝ちたいが為に指導者が小さく纏めようとしているのではないか。高校生でありながらプロの投手のようにあらゆる球種をものにして小宇宙を形成している。私の持論である「甲子園野球の為」という望ましくない小成の例の一人だと見ていた。問題点だと思うのは「上体が突っ立って手投げの感がある投球で、その為に疲れてくると球威が落ちて、履正社に決勝戦でやられてしまったのだ」という評価。

昨日の画はテレビのニュースで少しだけ観たが、上体が立ったままのフォームは変わっていなかった。この点は最近不信に陥っているジャイアンツの菅野投手のフォームに似ているのが気になった。ヤクルトには投手出身の高津監督や伊藤智仁や石井弘寿という投手コーチがいるが、何処まであのフォームをいじるのかに奥川君の将来が懸かっているように思える。

だが、プロの水準が上がってきて、高校出身の選手たちが一本目になれるまでに時間がかかるようになってきた。西武では甲子園優勝投手の高橋光成が漸くものになってきたが7年目だし、同じ優勝投手だった今井達也だって5年目で未だあの様だ。

奥川と佐々木亮君の2人は素材として評価できるが、育てる方も彼ら自身も焦りは禁物だろう。


オリンピックの延期か中止を叫ぶのは無駄な抵抗か

2021-05-28 07:53:29 | コラム
「普通開催」まで2ヶ月を切ったオリンピック・パラリンピック:

この期に及んでも、我が親愛なるマスコミは「開催か延期乃至は中止か」などという詮無い方向に、議論というか与論を誘導しようとしているようにしか見えない。私は昨年の1年延期が決定される前には「閃きでは、どうしてもオリンピックが開催されている画が見えてこない」と言っていたが、今日では「オリンピック・パラリンピックは強行ではなく普通に開催されて、誰もいない観客席の前で選手たち(何で「アスリート」なるカタカナ語を使うのか)が懸命にメダルとやらを目指して健闘している姿が見えている」のである。

そこまで「閃き」が変わってしまった理由を述べておこう。それは他でもない「オリンピックを開催するのも中止するのも、その権限はかの『ぼったくり』のバッハ会長率いる何者も侵してはならない神聖な存在であるIOCにしかなく、菅首相や主催都市の小池知事や組織委員会にもJOCにもないのだと、元JOCの一員だった某氏がIOCの憲章を引き合いに出して、繰り返して力説されていたからだ。要するに「IOCは今や国家権力などの遙か上に位する尊い存在」らしいのだ。即ち、我が国の総理大臣でも及ばない権力を備えているらしいのだ。私はそう信じ込まされている。

その程度のことを如何に我が国のマスメディアが不勉強であり、且つ本当の事は伝えないように仕込まれていても、知らないはずはないと確信している。だが、彼らの商売からしたら「オリンピックは如何なる事があっても、例え緊急事態宣言が繰り返して発出されて有効期限内であっても、IOCは意に介せずその方針通りに開催する」と報じたのでは面白くも何ともなく、紙は伸びないだろうし、視聴率だって上がりはしないと思っているのだろう。IOCがぼったくりの商業主義ならば、マスメディアだって商売だ。松下幸之助氏は「儲けない企業は誤りだ」と言われたではないか。

故に、マスメディアは与論誘導型の調査を繰り返しては「中止と延期が過半数」との結果を出しては菅内閣を非難するし、組織委員会を虚け者の如くに報道しているのではないかと、私は見ている。「それでは、貴殿はマスメディアが怪しからんと言いたいのか」と訊かれそうだが、そんな気はない。彼らは何時まで経ってもその程度のことしか出来ない存在だと思っているし、彼らの批判ほど意義がない行為はないと先刻承知しているだけだから。

私が大変だろうと怖れていることは「開催するかしないか」ではなく、未だ未だ変異株に対する対応乃至は対抗策が不十分な我が国に、COVID-19をどれほど抑えきったか不明な多くの國から選手団の他に多くの非アスリートがお出でになって、何か集団感染(「クラスター」には集団感染の意味なんてないよ)のような事故というか問題を起こしてしまうことの方が、余程怖いのだ。その場合の責任を開催したIOCが「済みませんでした。杓子定規に開催した我が方の誤りでした」と素直に述べて補償や賠償するだろうか。考えなくても解りそうなことではないのかな。