新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月30日 その2 外国に対する理解度を考えれば

2016-06-30 17:17:48 | コラム
外国に対する理解度と認識の度合い:

少し唐突な話題かも知れないが、私のメル友の方々の間で「外国に対する理解度」が論じられていたので、私が経験した下記のようなエピソードを紹介して参考に供したい。

私がアメリカの会社に転身するきっかけを作ったのが、1969年に予想もしなかった事情で出会ったUKの製紙会社の日本代表者だった日系カナダ人のGN氏だった。N氏は我が国の輸入パルプ事業の開祖の一人として、業界では誰知らぬものなき有名人だったのだそうだが、畑違いの仕事をしていた私には言うなれば「変な外人」のような印象しかなかった。彼の先祖は滋賀県人でカナダに移住以来、一家の仕来りで日本語を守ってきたので、関西訛りを残した流暢な日本語で話し、尚且つ古き良き日本の伝統を忘れないるような人だった。

彼と私が最初にN氏に紹介されて転身したアメリカの大手製紙会社M社の日本代表者・HM氏とは、当たり前のことで親密な間柄だった。このHM氏は旧制甲南高校から京都大学の出身で、就職されたNパルプ(現王子製紙)からガリオア資金(だったか?)でアメリカに留学されてMBAを取得され、その英語力は脱帽ものだった。その実力を高く評価したM社が勧誘して言わば日本の代表者に転身させた我が国の業界では有名人だった。

ある時、私がこの両氏と会食した際にM氏が「私もアメリカ人とのつき合いが長くなって最近には漸くアメリカ人とは何かが70%は解ってきました。だが、未だに残る30%は謎です」と語った。それを聞いたN氏は軽く受け流しただけで特に何も言わなかった。だが、食事が終わってN氏と一緒に帰る車の中で「Mさんもあんなことを言っているがあれは反対だろう。この俺だってカナダ人もイギリス人もアメリカ人についても解っているのは精々30%や」と言ったのだった。

私にとっては非常に興味深いこの二人の「外国人に対する理解度」の話だった。M氏からは私はアメリカとはの他に我が国との文化の違い等を短期間に多く学び、N氏も私の人生の師と言って良いほどの人物で英語による外国人との意思疎通の方法等々、本当に多くのことを学ばせて貰っていた。その二人の権威者の間でもそれほど外国に対する理解度についての見解が違うのかと知ったのが印象的だった。因みに、誠に残念ながらお二方とも既に故人なのだ。

私のアメリカについての文化と思考体系の違いの理解というか認識度を数字で表せば精々20~30%程度だと、ずっと言ってきた。その20~30%に達するまでに10年以上を要した。両国間に深刻な違いがあると知り得るまでにそれほどの年数を要したのだった。社内でもその状態を「まるで凸凹道を歩いているようなもので、あっちでぶつかり、こっちで転んでいるようなものだった」と表現していた。その道を両国間の相互理解を促進する為には何とかして平坦な舗装通りにせねばと思いつき「日米企業社会における文化の違い論」を何とか纏めて語り始めたのは、M社に転身後の1990年だった。

故に、と言うべきか何と言うべきか、「外国の事情通であるかの如き顔をするな」と自分には言い聞かせているのだが。

U-23サッカーの対南アフリカ戦観戦記

2016-06-30 08:27:43 | コラム
綺麗な点の取り方だったのは良かった:

リオデジャネイロ・オリンピックが迫り、国内最後の対外試合ということで、中心メンバーだった何名かの負傷者がどれほど回復しているかにも関心があって、熱心にテレビ観戦した。解説が当方の好みではないおべんちゃら的な福田正博だったのが気に入らなかったが、4対1で勝ったから良しとしよう。

サッカーを見ていて何時も不思議に感じることは、出てくる選手どもが皆小さくて体格が良くないようにしか見えない点だ。特にラグビーと比較するとその感が一層深くなる。だが、実際には多くの者が180 cmを超える身長で体重もそれなりにあるようなのだ。何故だろう。昨夜も2点を取った中島も私には高校生かと見えたほど小さかったのだった。もしかすると全員が未だ身体的にも技術的にも成長過程にあり、一流選手としての風格というか貫禄が備わっていない選手たちの集団だからかも知れない。

前半には福田も危険と叫んでいたアフリカ勢の身体能力の威力を前面に出した走力や動きに、何度か「あわや失点か」の危機があったが、復活した室矢を始めとする守備陣が防いでいた。だが、不運とも見える中国人の主審の判定でハンドの反則を取られPKで失点してしまった。それを鮮やかなパス回しから中島が決めて同点に追いついた辺りで、ここまで出来るのならば安心かと思わせてくれた。

この試合で目立ったのは広島で補欠扱いでありながらフル代表でも使われている浅野だった。確かに相手デイフェンスの裏に走り込むスピードは結構だが如何せんオフサイドを犯しすぎる。私は彼はそういう面での才能もあり俊足である事は認めるが、サッカーの技術は未熟であるしオフサイド・トラップにあれほど引っ掛けられているようでいかんと思う。飛び出す際に相手をフェイントで誤魔化すような工夫が必要である。ただ早く走れれば良いものではない。フットボールには(詳細は省くが)相手のデイフェンスを突破する走法には種々の技巧がある。他の競技を見る機会を作ってその辺りを学ぶべきではないのか。

浅野君を批判はしたが、あのフル代表での判断の悪さでシュートすべきをパスにしてチャンスを潰して泣いたことが良い結果を生んだのか、昨夜の出来は「広島の補欠」の域を突破したかに見せていた。特に、4点目になった相手デイフェンスの一瞬の隙を突いた辺りは評価しても良いだろう。他には矢島も良くやっていたし、負傷上がりの室矢も「それくらいは出来て当然」の結果を見せていた。守りの方もPKによる失点はあったが、流れの中では取られなかったので、60点辺りの及第点か。

昨夜の出来を全般的に見れば、全員が敏捷性を活かして身体能力依存の傾向があるアフリカ勢を押さえ込んだのは良かった。体格と身体能力の差を補う為にはあの様なサッカーになるのだろう。だが、気になったのは中心となるような強烈な存在の者の不在だった。全盛期の女子代表のように「そこでも回すのか」と驚かせてくれた正確なパス回しまで出来る次元にもなく、体格的にもやや劣るのであれば、もっと明確な他の諸国にもないような特徴を備えて欲しい気がする。それは正確無比なパス回しかも知れないし、豊富な運動量かも知れないし、走り負けないスピードかも知れない。現状でこれという特徴がないのが気ががりだ。

オーヴァーエージで興梠他2名が入るようだが、その連中のJリーグでの働きを見る限り絶対的な切り札になってくれそうな気配はないと思う。私は昨夜の相手はやや弱かった気がしてならない。誰かが指摘していた「オリンピック本番で当たる相手はこの程度ではない」を肝に銘じて、何とか3位以内(私は「メダルを取る」というマスコミが濫用する表現が好みではない)に入って貰いたい、いや一所懸命にやって何とかして欲しいと願っている。

6月29日 その2 情けなや自民党

2016-06-29 17:39:48 | コラム
ジャニーズ嫌いの弁:

小池百合子の出馬会見を見て「善くぞやってくれた」と快哉を叫んでいた。だが、私は決して小池百合子のファンでも何でもない。このニュースを見て「これが党本部や都連等の了解を取っていないだろう」と直感したと同時に「これで桜井俊前総務事務次官の目が消えた」と思った。良い傾向である。私は桜井俊氏に如何なる能力があるのかなど一切知らない。だが、マスコミが喧伝するように自民党がジャーニーズの櫻井翔の人気に本気で便乗し活用しようとするのだったならば、余りにもさもし過ぎて胸が悪くなるのだ。

私はこれまでに何度も何度も機会ある毎にジャーニーズなる下品で育ちの悪いガキどもを集めた集団をこき下ろしてきた。あのガキどもの下品な髪型が知能程度の低い子供たちの見本となり全国津々浦々にグチャグチャ髪を流行らせ、奇妙きてれつなシャツやパンツを流行らせ、へたくそな歌を踊りながら歌う(ほとんどが口パクだそうだが)流れを創り出して、嘗ての大宅壮一の「一億総Hakuchi化」への邁進というか実現に貢献したのがジャニーズである。その集団の人気を利用しようとするのは世も末である。

落ち着いて言えば、集団の掟を無視したかの感がある小池百合子も決して褒められないだろう。だが、個人的にはジャーニーズの悪影響の活用を阻止するだろうことは認めたい。まさか小池百合子がそこまで視野に入れていたとは思えないが、私は自民も公明も同一集団内から対抗馬を出すことは醜態で、民進党以下の野党を利することになるくらいの判断は出来るだろう。現実には桜井俊氏は石原伸晃の依頼を固辞したと報じられた。小池出馬会見を知っていたのならば、党内の統制が取れていない有様を見ては嫌気も差すだろう。またも石原君の不肖の息子の不手際か。であれば、小池百合子にも責任はあると見る。

参議院選挙の各党の女性活用政策を考える

2016-06-29 16:27:14 | コラム
女性活用政策の疑問点:

28日夜のPrime Newsは興味深く見ていた。フジテレビが作成した各党の「女性活用策」のチャート(「フリップ」ではない。テレビ局は何時までこんな珍妙な言葉を使い続ける気か!)を見て私が感じたことは「言うなれば、聞こえが良い表現が並んではいるが、我が国ではこれまで女性を軽んじてきたのでここで埋め合わせを」という裏の意図が読めるような気がしてならなかった。換言すれば活用策が不備か不十分だったということ。私には疑問に思える点があった。

私は以前から安倍総理の女性活用策に対して疑問を呈してきた。それは総理が狙いとされていることが行政能力や指導者として優れた能力がある女性を昇進させて、組織なり団体なり何なりの長として活用していこうとしたいようにしか聞こえないからである。そのこと自体に対して異論を唱えないが、男性であっても優れた営業マンとして才能を発揮したものが必ずしも組織の長としては有能ではなかった(無能レベルに達した)という例などいくらでもあったではないかということを忘れてはならないのだ。

私が在職していた頃(実質的に1993年末まで)のW社の本社には800名ほどの言わばエリートを含むサラリー制の社員がいた。そこには多くの事業部の本部があり副社長もマネージャーも数多くいた。しかし、その中で事業部(divisionで良いだろう)の副社長には女性は1名もいなかったが、マネージャーは何名もいたし、その”title”を保有する女性たちは男性たちもタジタジとなるような優秀な者ばかりだった。だが、大きな組織の長はいなかったという意味である。

見方を変えれば、高学歴の持ち主で能力ある女性は確かに抜擢され相当以上の範囲の仕事を任され、十分に活躍していた。また名秘書として評判の女性も沢山いたし、私も自分の事業部の歴代の副社長の秘書さんたちの仕事ぶりには敬服し、常に依存していたものだった。より解りやすく言おうとすれば、彼女らは我々男性には持ち合わせがないような細かい気配りが出来る神経というか目配りが出来る能力があり、我々男どもの至らざる点を常に補っていてくれたのである。私は男にはそういう役目を果たせないと信じていたほど行き届いていた。

更に大きく分けて言えば、組織の長に向いている女性も、秘書向きの女性もいるということ。我が事業部には当初派遣で入ってきて副社長の秘書となった女性がいた。ところが1年ほど経った後で社員になっていた彼女は「私は秘書向きではない」と言い出して”Customer services”という言わば営業の分野で「受注・生産計画・出荷・在庫管理等を担当する営業を支える仕事を希望し、副社長もそれを受け入れた。そして、その仕事では遂にマネージャーのタイトルを獲得するほどの実績を挙げ、自分が如何なる仕事に適性があるかを見事に実証したのだった。

自分を知っていた女性も立派だが、適性を見抜いた副社長の人事も的確だったと言える。あれから既に30年は経っただろうが、彼女はその仕事の権威者として会社の内外で信頼されているマネージャーである。彼女と交代で秘書になった女性も未だに活躍している名秘書になっていた。

私のW社ジャパンの秘書にはリタイヤーするまで12年間お世話になったが、その秘書としての有能さは私如きが大過なく(小過はいくらでもあったが、彼女が見事に補ってくれた)過ごせたのは彼女のお陰である。ここに秘書の役割を長々と述べる必要はないだろうが、私は常に得意先と折衝し、本部の副社長以下及び工場と連絡を密にして、言わば「判断業務」を担当し、秘書はそれ以外の事務的なことからアポイントメント等の管理等を負担して貰ったのである。

換言すれば、彼女は私には目が届かないこと行き届かないことを補完してくれたので、私は安心して日本駐在の役目を遂行出来たのである。また、マネージャーと秘書のセットで互いに補完し合ってW社ジャパンの業務が遂行出来たのである。夫婦にも似たようなことで相互に助け合って暮らしているのではないのかな。

私は彼女に営業の仕事で私に代わって出て貰ったこともあったが、彼女はそういうことをやる為の給与を貰っている訳ではないのでそれは不当だった。だが、彼女にはマネージャーのようなタイトルはないまでも、給与ではその分を補っていくのが女性の活用の在り方の一つだと、今でも考えている。即ち、「功ある者(女性)には禄を与えよ」で遇する方が適切ではないのかと思うのだ。給与に見合うよう一層の働きを期待する方が合理的かと思うのだ。男性と同様に組織の長として活用する方が向いている能力がある女性も当然いるだろうし、秘書のような男性には出来ない面で素晴らしい力を発揮する女性もいるだろう。

その人の向き・不向きというか適性を見抜いて活用するべきことであり、アメリカでいえば事業本部長、日本の組織でいえば人事・勤労部門がそういう適材適所の人事をすべきではないのか。話は本筋から外れるが、アメリカの会社であるW社でもこれと見込んだ女性を営業職に起用したところ、外でいじめに遭って耐えきれず辞めていった例も見てきた。女性を如何にして最高限度まで活用するかはただ単に管理職や組織の長に引き上げることではないと思うのだ。現に、かく申す私は、自分で組織の長には不向きであると自負?していたので、40年間一度も部下を与えられることなくリタイヤーまで働いたものだった。

6月28日 その2 ケンブリッジ飛鳥君に思う

2016-06-28 19:24:09 | コラム
オリンピック代表に決まった:

マスコミと世間の注目がどちらかと言えば桐生君と珍しく(失礼!)慶応大学出身という山形君に集まっている最中に、雨中の100 m走の大レースを制したのがケンブリッジ飛鳥君というのがやや意外だった。だが、日本記録保持者の伊東浩司氏が「規則というものがありまして」と指摘したように、あの決勝戦で第3位だった桐生君は代表に選ばれ、第2位の山形君はこの種目では惜しくも落選だった。

そこで、父親がジャマイカ人と言うくらいしか知らなかった「飛鳥君とは」を検索してみた。すると、意外なことに箱根駅伝では伝統校であり、当方とはフットボール関連では長年の結びつきのある日本大学文理学部の出身者であると判明した。この学部には色々な強豪である運動部があるとは承知していたが、まさかトラック種目にこういう英雄がいると知らなかった。その点は本28日に暫くぶりにお目にかかった法学部の塚本教授からもあらためて伺った次第。

次にケンブリッジ飛鳥君で意外だったことがあった。それは現在の所属が「ドーム」と出ているのだが、迂闊にもそれが何処の何の会社か直ちには思い浮かばなかった。だが、何とそれは今や”Under Armour”(=アンダー・アーマー)ブランドで大当たりしているスポーツウエアーの会社だった。そうとは知っていたが、社名とブランド異なるので、直ちにピンと来なかった次第だ。アンダー・アーマーとは何かと訝る向きには今シーズンから巨人が着用するユニフォームのメーカーで、胸の辺りにある一見変形の”H”の如くに見えるロゴマークがアンダー・アーマーのそれである。それほど売れている人気ブランドだ。

念のため申し添えておくと、「よろいかぶと」や「甲冑」を意味する”armour”というスペリングはUKの英語で、アメリカでは”armor”である。また、このブランドはそもそもアメリカでフットボール向けに出てきたものでありながら、ブランド名にUK系の英語のスペリングを採用したのが興味深い。正直なところ、私は何故そうしたかまでは調査が届いていないのだが。

このケンブリッジ飛鳥君のような両親の何れかを言わばアフリカ系の人である優れた身体能力の持ち主が、これから先も色々な種目で益々増えてくるだろうと思わせてくれる。既に全日本代表級ではヴァレーボールやバスケットボールにも出てきていれば、プロ野球ではマスコミが持て囃すOkoye君もいる。このような傾向を一般的に将来楽しみと見て応援するのかどうかは、彼らが切り開いていく道だと思って見ている。