外国に対する理解度と認識の度合い:
少し唐突な話題かも知れないが、私のメル友の方々の間で「外国に対する理解度」が論じられていたので、私が経験した下記のようなエピソードを紹介して参考に供したい。
私がアメリカの会社に転身するきっかけを作ったのが、1969年に予想もしなかった事情で出会ったUKの製紙会社の日本代表者だった日系カナダ人のGN氏だった。N氏は我が国の輸入パルプ事業の開祖の一人として、業界では誰知らぬものなき有名人だったのだそうだが、畑違いの仕事をしていた私には言うなれば「変な外人」のような印象しかなかった。彼の先祖は滋賀県人でカナダに移住以来、一家の仕来りで日本語を守ってきたので、関西訛りを残した流暢な日本語で話し、尚且つ古き良き日本の伝統を忘れないるような人だった。
彼と私が最初にN氏に紹介されて転身したアメリカの大手製紙会社M社の日本代表者・HM氏とは、当たり前のことで親密な間柄だった。このHM氏は旧制甲南高校から京都大学の出身で、就職されたNパルプ(現王子製紙)からガリオア資金(だったか?)でアメリカに留学されてMBAを取得され、その英語力は脱帽ものだった。その実力を高く評価したM社が勧誘して言わば日本の代表者に転身させた我が国の業界では有名人だった。
ある時、私がこの両氏と会食した際にM氏が「私もアメリカ人とのつき合いが長くなって最近には漸くアメリカ人とは何かが70%は解ってきました。だが、未だに残る30%は謎です」と語った。それを聞いたN氏は軽く受け流しただけで特に何も言わなかった。だが、食事が終わってN氏と一緒に帰る車の中で「Mさんもあんなことを言っているがあれは反対だろう。この俺だってカナダ人もイギリス人もアメリカ人についても解っているのは精々30%や」と言ったのだった。
私にとっては非常に興味深いこの二人の「外国人に対する理解度」の話だった。M氏からは私はアメリカとはの他に我が国との文化の違い等を短期間に多く学び、N氏も私の人生の師と言って良いほどの人物で英語による外国人との意思疎通の方法等々、本当に多くのことを学ばせて貰っていた。その二人の権威者の間でもそれほど外国に対する理解度についての見解が違うのかと知ったのが印象的だった。因みに、誠に残念ながらお二方とも既に故人なのだ。
私のアメリカについての文化と思考体系の違いの理解というか認識度を数字で表せば精々20~30%程度だと、ずっと言ってきた。その20~30%に達するまでに10年以上を要した。両国間に深刻な違いがあると知り得るまでにそれほどの年数を要したのだった。社内でもその状態を「まるで凸凹道を歩いているようなもので、あっちでぶつかり、こっちで転んでいるようなものだった」と表現していた。その道を両国間の相互理解を促進する為には何とかして平坦な舗装通りにせねばと思いつき「日米企業社会における文化の違い論」を何とか纏めて語り始めたのは、M社に転身後の1990年だった。
故に、と言うべきか何と言うべきか、「外国の事情通であるかの如き顔をするな」と自分には言い聞かせているのだが。
少し唐突な話題かも知れないが、私のメル友の方々の間で「外国に対する理解度」が論じられていたので、私が経験した下記のようなエピソードを紹介して参考に供したい。
私がアメリカの会社に転身するきっかけを作ったのが、1969年に予想もしなかった事情で出会ったUKの製紙会社の日本代表者だった日系カナダ人のGN氏だった。N氏は我が国の輸入パルプ事業の開祖の一人として、業界では誰知らぬものなき有名人だったのだそうだが、畑違いの仕事をしていた私には言うなれば「変な外人」のような印象しかなかった。彼の先祖は滋賀県人でカナダに移住以来、一家の仕来りで日本語を守ってきたので、関西訛りを残した流暢な日本語で話し、尚且つ古き良き日本の伝統を忘れないるような人だった。
彼と私が最初にN氏に紹介されて転身したアメリカの大手製紙会社M社の日本代表者・HM氏とは、当たり前のことで親密な間柄だった。このHM氏は旧制甲南高校から京都大学の出身で、就職されたNパルプ(現王子製紙)からガリオア資金(だったか?)でアメリカに留学されてMBAを取得され、その英語力は脱帽ものだった。その実力を高く評価したM社が勧誘して言わば日本の代表者に転身させた我が国の業界では有名人だった。
ある時、私がこの両氏と会食した際にM氏が「私もアメリカ人とのつき合いが長くなって最近には漸くアメリカ人とは何かが70%は解ってきました。だが、未だに残る30%は謎です」と語った。それを聞いたN氏は軽く受け流しただけで特に何も言わなかった。だが、食事が終わってN氏と一緒に帰る車の中で「Mさんもあんなことを言っているがあれは反対だろう。この俺だってカナダ人もイギリス人もアメリカ人についても解っているのは精々30%や」と言ったのだった。
私にとっては非常に興味深いこの二人の「外国人に対する理解度」の話だった。M氏からは私はアメリカとはの他に我が国との文化の違い等を短期間に多く学び、N氏も私の人生の師と言って良いほどの人物で英語による外国人との意思疎通の方法等々、本当に多くのことを学ばせて貰っていた。その二人の権威者の間でもそれほど外国に対する理解度についての見解が違うのかと知ったのが印象的だった。因みに、誠に残念ながらお二方とも既に故人なのだ。
私のアメリカについての文化と思考体系の違いの理解というか認識度を数字で表せば精々20~30%程度だと、ずっと言ってきた。その20~30%に達するまでに10年以上を要した。両国間に深刻な違いがあると知り得るまでにそれほどの年数を要したのだった。社内でもその状態を「まるで凸凹道を歩いているようなもので、あっちでぶつかり、こっちで転んでいるようなものだった」と表現していた。その道を両国間の相互理解を促進する為には何とかして平坦な舗装通りにせねばと思いつき「日米企業社会における文化の違い論」を何とか纏めて語り始めたのは、M社に転身後の1990年だった。
故に、と言うべきか何と言うべきか、「外国の事情通であるかの如き顔をするな」と自分には言い聞かせているのだが。