30日の「報道1930」を聞いて:
私はこの番組はどちらかと言えば偏ったゲストを呼んでいることと、司会の松原が偏向気味なので余り重きを置いていない視聴者だ。昨30日も言わば時間潰しのような感じで聞いていたが、自民党の税制調査会副会長の山本幸三が割りに思い切ったことを言うのと、獨協大学教授・森永卓郎の発言が面白かったので、体調の不備を何とか持ち堪えて途中まで聞いていた。
私が特に面白いと感じた点は、森永教授の「我が国の企業が蓄えに蓄えた460兆円余りの内部留保は経営者たちが短期で利益を挙げねばと思い込んで積極的な投資もせず、ひたすら内部留保に回し、株価を上げて株主を喜ばせる一方で、給与水準を引き下げて(労働分配率を低く抑え)、結果的に彼らの報酬を1億円超にまで上げていった者までがいるからだ。長期的な展望がない」との決め付けだった。誠にその通りだとは思うが、私はその他にも「経営者の質の劣化がある」と喝破された、私と同年の元社長がおられることも付記しておきたい。
私が面白いと言った意味は、私が転進した1970年代では既に「アメリカの経営者というか事業部長たちの事業部運営の姿勢というか、利益というものに対する考え方だ。ご存じだとは思うが、アメリかでは早くから四半期毎の決算の結果を発表する制度になっていて、その結果次第では事業部長は言うに及ばすCEOなどもいともアッサリと追い出されている」のだった。それは予め設定された売り上げと利益を達成できなければそうなるのが、アメリカ式の経営であるから仕方があるまい。
その為と言って良いだろうが、General managerかそれ以上の役職にある者たちの間には「敢えてリスクを取って云々」というか、自分の在任中には新たな設備や合理化等の投資を避けて短期的な利益追及にひた走る傾向があった。であるが故に、何も紙パルプ産業界だけの現象とは思えないが「在任中に設備投資などを強行して利益目標を達成できなければ職の安全が確保されない」と危ぶむ者たちが、古くて時代遅れの生産設備を使い、強硬な組合の昇給の要求を受け入れでいたのでは、アジアや南米等の新興勢力に国際市場で負かされたのは当たり前だったと思う。
このような経営の姿勢だけではなく、会社とは別の法的存在である職能別労働組合を抱えているのだから、物作りの分野では空洞化が続き、アメリカで造ったのでは効率が悪い非耐久消費財を主に中国を筆頭に所謂発展途上国に依存するというか、輸出させるという状態になって行った。その解りやすくて典型的な例が、ロスアンジェスル市の郊外にあるファッション・デイストリクトである。我が国の横山町・馬喰町の数十倍のような繊維品を中心とする問屋街では、圧倒的な“Made in China”製品で埋め尽くされ、ヒスパニックと韓国人が商売をしているのだ。
話を本筋に戻そう。昨夜の結論めいたことは「内部留保を何とかせねばなるまい」とうことで、山本副会長は「自民党の税制調査会では提案しても受け入れられない内部留保税をかけよう」と語っていた。森永教授は法人税が29.4%であることは再検討を要すべき、全世界でも高過ぎる」と言い、山本太郎が言う消費税を止めようという暴論的なことも強ち誤りでもなく、ゼロにしても成り立つとまで延べていた。誰もそうだとまでは断定的に言わなかったが、私は彼らは経営者の質の低下が問題であると言いたげだったと解釈していた。
私は1994年にリタイアしてか有り難いことに色々な仕事させて頂いた。そこで出会った多くの20代後半から30代前半の若手の俊英たちは異口同音に「現在の我が社の課長以上を何とかして貰わないと我々の前途は極めて暗い。彼らはこのまま55か60歳の定年を迎えて高額な退職金を受け取って引退できるだろうが、我々がその年齢に達するまでに我が社は没落する危険性が高い」と言っていた。その憂いが一つの結果となって現れたのが、内部留保と実質賃金の止まらない低下傾向ではないのかと思って聞いていた。
私はこの番組はどちらかと言えば偏ったゲストを呼んでいることと、司会の松原が偏向気味なので余り重きを置いていない視聴者だ。昨30日も言わば時間潰しのような感じで聞いていたが、自民党の税制調査会副会長の山本幸三が割りに思い切ったことを言うのと、獨協大学教授・森永卓郎の発言が面白かったので、体調の不備を何とか持ち堪えて途中まで聞いていた。
私が特に面白いと感じた点は、森永教授の「我が国の企業が蓄えに蓄えた460兆円余りの内部留保は経営者たちが短期で利益を挙げねばと思い込んで積極的な投資もせず、ひたすら内部留保に回し、株価を上げて株主を喜ばせる一方で、給与水準を引き下げて(労働分配率を低く抑え)、結果的に彼らの報酬を1億円超にまで上げていった者までがいるからだ。長期的な展望がない」との決め付けだった。誠にその通りだとは思うが、私はその他にも「経営者の質の劣化がある」と喝破された、私と同年の元社長がおられることも付記しておきたい。
私が面白いと言った意味は、私が転進した1970年代では既に「アメリカの経営者というか事業部長たちの事業部運営の姿勢というか、利益というものに対する考え方だ。ご存じだとは思うが、アメリかでは早くから四半期毎の決算の結果を発表する制度になっていて、その結果次第では事業部長は言うに及ばすCEOなどもいともアッサリと追い出されている」のだった。それは予め設定された売り上げと利益を達成できなければそうなるのが、アメリカ式の経営であるから仕方があるまい。
その為と言って良いだろうが、General managerかそれ以上の役職にある者たちの間には「敢えてリスクを取って云々」というか、自分の在任中には新たな設備や合理化等の投資を避けて短期的な利益追及にひた走る傾向があった。であるが故に、何も紙パルプ産業界だけの現象とは思えないが「在任中に設備投資などを強行して利益目標を達成できなければ職の安全が確保されない」と危ぶむ者たちが、古くて時代遅れの生産設備を使い、強硬な組合の昇給の要求を受け入れでいたのでは、アジアや南米等の新興勢力に国際市場で負かされたのは当たり前だったと思う。
このような経営の姿勢だけではなく、会社とは別の法的存在である職能別労働組合を抱えているのだから、物作りの分野では空洞化が続き、アメリカで造ったのでは効率が悪い非耐久消費財を主に中国を筆頭に所謂発展途上国に依存するというか、輸出させるという状態になって行った。その解りやすくて典型的な例が、ロスアンジェスル市の郊外にあるファッション・デイストリクトである。我が国の横山町・馬喰町の数十倍のような繊維品を中心とする問屋街では、圧倒的な“Made in China”製品で埋め尽くされ、ヒスパニックと韓国人が商売をしているのだ。
話を本筋に戻そう。昨夜の結論めいたことは「内部留保を何とかせねばなるまい」とうことで、山本副会長は「自民党の税制調査会では提案しても受け入れられない内部留保税をかけよう」と語っていた。森永教授は法人税が29.4%であることは再検討を要すべき、全世界でも高過ぎる」と言い、山本太郎が言う消費税を止めようという暴論的なことも強ち誤りでもなく、ゼロにしても成り立つとまで延べていた。誰もそうだとまでは断定的に言わなかったが、私は彼らは経営者の質の低下が問題であると言いたげだったと解釈していた。
私は1994年にリタイアしてか有り難いことに色々な仕事させて頂いた。そこで出会った多くの20代後半から30代前半の若手の俊英たちは異口同音に「現在の我が社の課長以上を何とかして貰わないと我々の前途は極めて暗い。彼らはこのまま55か60歳の定年を迎えて高額な退職金を受け取って引退できるだろうが、我々がその年齢に達するまでに我が社は没落する危険性が高い」と言っていた。その憂いが一つの結果となって現れたのが、内部留保と実質賃金の止まらない低下傾向ではないのかと思って聞いていた。