新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3月31日 その2 デマに踊らせられた

2020-03-31 17:17:29 | コラム
デマの怖さを知った:

恥を忍んで公開しますが、昨日は複数の筋から東京の封鎖(勿論、カタカナ語の排斥論者としては「所謂ロックダウン」などという間抜けな言葉は使いません)の情報が入ってきて、やや慌てました。そこでネット情報に通暁されたRS氏に状況をご教示願おうと連絡すると、既に出回っている元民主党の代議士が発信元であると明記したメールを転送して頂けました。慌て者の私は良く注意せずに読んで「これは大変だ」と思いました。

ところが、落ち着いてから読み返してみると「おかしい」と思わせられた箇所がいきなり2箇所もあると気が付いて、デマだろうと判断するに至りました。その疑った箇所は夏期のような点です。疑問の箇所を太字にしてあります。

“各位殿

全経連から情報が入ってきましたので、もしもの場合に備えて共有させて頂きます。

いよいよロックダウン。3週間出れなくなります。”

私の認識では「各位」には「殿」は不要だとなっています。また、「出れなくなります」は「ら抜き言葉」であり、間違いとまでは言えない時代になっていますが、おかしな言い方で、多くのスパムメールにはこの種のおかしな日本語が使われています。

上記のような次第で不覚にも多少踊らせられました。そこで似非と判断してから、近所のイオン系の食品専門スーパーの「マイバスケット」に様子を見に行きました。パン類、冷凍食品、カップ麺等の棚はほぼ空っぽでした。私以外に偽情報に踊らせられた人がいたと知って安心して帰宅しました・



そう言えば泥縄式という言い方があった

2020-03-31 08:46:43 | コラム
政府の新型コロナウイルスによる不況対策は何故遅いのだろう:

新型コロナウイルスという強盗は既に室内にまで押し入って、金庫の中まで物色している状態ではないのか。、私には我が政府は「さて、どの材料で縄をなおうか」とあれこれと検討しているような次元にあるとしか見えない。恐るべき慎重さである。この状況を見て思い出すのが、1949年の未だ大学在学中にアメリカから来ていた真珠のバイヤーの通訳のアルバイトをした時の経験だ。イタリアからの移民だった雇い主は「早くやれ」と言いたくて、“Speedy is the essence.”と私を叱咤した。文法的に誤りだなどと言う前に、政府にも何が“essence”かを言ってやりたくなる。

何処かの専門家が言っていたが、「仮に今すぐに現金給付の金額が決まったとしても、実行されるのは5月になるだろう」だった。何となく解るような気がする。その手っ取り早いと言われている現金給付にしても「やれ、所得制限をする」とか「現実に困っていて窮地に立たされている自営業者にすれば」といったような議論をしているとの報道もある。昨日も銀行OBの級友と語り合ったのだが「アホな代議士が魚や牛肉券の配布を唱えているそうだが、経営の危機にある自営業者がステーキを食べられて喜ぶか」と、笑い且つ嘆き合ったのだった。

この銀行OBは「現在の状況で幾らでも良いから現金給付を受けた苦境にある自営業者、失業した勤め人、家賃を滞納している者たちが貯金に回すか。現在の状況をリーマンショックの頃の状況と同一視するな」と指摘した。彼は更に「無利子・無担保の融資をすると言うが、その実際の窓口になるのは銀行ではないのか。銀行とてもリスクは勘案するのだから、政府から万が一の場合の補償がどれほどあるのか」との疑問も語っていた。財務省は消費税率引き下げを渋っているようだが。彼等が現実的にその融資が焦げ付いた際の補償をするのだろうか。

こうに考えてくれば、政府と国会の補正予算の決定か結論が遅いのも仕方がないとも思えるが、そうだからと言って引き延ばしては手遅れになってしまう。この辺りのもどかしさが橋下徹氏が言う「我が国は民主主義政治だから」だろうし、大統領制ではないからと思える。我が国よりも後から新型コロナウイルスの感染が急激に拡大していったアメリカでは、トランプ大統領は既に220兆円だったかの枠を決められた。私の得意の「閃き」では、条件無しの1人当たり10万円は少ないと思う。例えば、ごく単純に考えれば、貨幣価値が違う韓国が9万円と言っているのだから、単純に両替すれば18万円だ。



3月30日 その2 COVID-19に思うこと言いたいこと

2020-03-30 14:11:59 | コラム
新型コロナウイルスに思うこと言いたいこと:

国立国際医療研究センター病院(NCGM):
志村けんという方がここで亡くなったことが、テレビのニュースの画面で知った。新型コロナウイルスに感染して重症の肺炎を起こされたとは聞いていたが、その訃報には私には他人事人とは思えないのだ。特に70歳だったと聞いては、87歳の当方はあらためて危機感をひしひしと感じている。ご冥福を祈りたい。実は、その志村さんが亡くなったと報じられた病院には、私は彼が他の病院から転院されたという今月の23日には、定期検査を受けに行っていたのだ。

もう公表しても良いと思うが、その際に気が付いたことは、正面玄関が二つに別けられていて、言わば奥の方には「37.5度以上の発熱の方云々と、掛かりつけの医院乃至はクリニックの紹介状をお持ちの方のみ」と掲示されて、言うなれば発熱外来の受付のようになっていて、一般の外来の建物には入って行けないようになっていた。報道によれば、こういう感染者を受け付ける病院は都内に数多くあるが、何処の病院がそうであるかは公表されていないとあった。だが、当然のことだと思うが、NCGMはその一つだったのだ。

この病院には所謂「一見さん」は受け付けられず紹介状が必要になるが、私は2006年1月に第1回目の心筋梗塞を発症した際に救急車が運んで下さったので、それ以来お世話になれている次第だ。私が診て頂いている循環器内科の外来の診察室の前には、どちらかと言えば小さな紙が貼られていて「当病院には感染症専門医がいるし、病床も十分に準備してあるのでご安心を」と表示されていた。私は、従来からかかっている患者は受け入れるという意味だと思って読んだし、同時に万が一の場合には受け入れて頂けるのだろうと、少し安心して帰宅した。

臭覚と味覚を失う:
阪神タイガースの藤浪晋太郎投手がこの点を球団に申告してPCR検査を受けた結果で陽性と判明し、その旨を公開するよう球団に願い出たということは、評価して良いと思う。私がここに採り上げたいことは、その藤波の勇気ではなく、臭覚と味覚を失っていたことについての経験を語ってみたいのだ。18年の9月頃だったか、日常的に鼻水が出るし、朝から晩まで鼻をかんでいなければならない状態になった。そして愚かにも、以前に「アレルギー性鼻炎」との診断を聞いたことがあったので、てっきりその際発だと決めつけて、掛かりつけのクリニックで点鼻薬を出して頂いていた。

そうこうするうちに気が付いたことがあった。それはデパートの手洗いでも、JRの駅の手洗いに入っても、何の臭いもしないことしか感じないので「我が国の公衆便所も清潔になったのだろう」と気楽に考えていた。だが、そのうちに何を食べても何の味もなくて、何だか美味くないとしか感じられなくなってきたのだった。外出する際には、ポケットテイシュを2~3包みもポケットに押し込んでおかねばならなくなった。その頃に不注意にも自宅で転んで後頭部を強く打ったので、念の為に掛かりつけにクリニックでCTの検査をお願いした。

結果は意外なことで、S医師から「頭は大丈夫だったが、蓄膿症がある」と宣告されたのだった。そして提携されている耳鼻咽喉科の医院を紹介されて即刻飛んでいった。そこでの診断は「重症ではないがCTの写真の通りの蓄膿症」と診断された。長々と述べてきたが、怖いことは「今になって私が臭覚と味覚を失えば、真っ先に思うことは蓄膿症であって、新型コロナウイルスに感染したとは思上手い。先ずは蓄膿症の再発かと思って放置するか、また同じ耳鼻咽喉科の医院に行くだけだろう。藤波君の勇気がなかったら、その程度の知恵しか働かなかったと思う。

恐ろしいことは、藤波君の例があって始めて中国でそういう症例があったとか、ドイツだったかでもそういう患者が出ていたという話が出てきたことだ。このウイルスの感染が始まった後の事で、、言ってみれば後出しジャンケンのような感染症の専門家の対応には、大いに疑問を感じる。今になって「そういう症例があったとは承知していた」という惚けた対応はないと思う。後手後手や継ぎ足し方式は、何事に対する対応でも遅い嫌いがある政府だけに任せておいて欲しい。


カタカナ語の排斥論者は憤慨している

2020-03-30 08:30:59 | コラム
小池都知事も何故「所謂」を付けてカタカナ語を使うのか:

私には全く理解できないことは彼らが「所謂オーバーシュート」と「所謂ロックダウン」という表現を使うことだ。私は現在のような緊急事態にあって、このような結局は意味不明な方カタカナ語を使う必然性は全くないと指摘してある。もしかして、専門家会議の尾見副座長がカタカナ語(紛い物の英単語)を使われたから、権威者に対するお追従で使っているのであれば、一般の視聴者や国民を混乱させるので、もっと罪が深いと思う。即刻止めるべきだ。

私はアメリカの教養がある知人のMBAの女性に尋ねて、下記のように“overshoot”と“lockdown”の使い方というか意味の解説を伝えておいた。それを読んで頂ければ一目瞭然で「オーバーシュート」は「感染者の爆発的増加」の意味ではなく、「ロックダウン」も“blockade”よりは「都市封鎖」に近いとなっていると理解できるではないか。まして、小池都知事が何を思ったか頭に「所謂」を付けたのをメデイアまでが真似る意味などないと断じる。未だに(誤りでも)カタカナ語を使うと、知性的だとか英語を良く知っているとでも思われるとでも鱈っているのか。とんでもない誤解だ。。

>引用開始
“overshoot”とは、ある一定の目標がある事を示している。「オーバーシュート」はその目標値を通り過ぎるか、超えてしまうことを意味する。私にはその副座長さんは何らかの新型コロナウイルスの感染者の数を想定しておられ、感染者の数がそれを超えた場合を「オーバーシュート」と言われたので、その際には人々に「家から出ないで、健康を維持して」と言いたかったのではないか。

ここワシントン州では健康管理、消防士、救急車の要員、救急救命士、育児等の緊急を要する職に就いている人たち以外は、テレウワーキングをするか、または外出しないようにと要請されている。レストラン、バー、多くの店舗は閉鎖されているが、食料品店と薬局は営業している。

この状況は正確に言えば“lockdown”ではない。だが、他人と接触しないようには要請されている。しかしながら、私は現実的には「ロックダウン」の方が“blockade”より適切だと思う。即ち、これの方が国境閉鎖か人々をその国から締め出すという響きがあるから

<引用終わる

終わりに、敢えて漢字の熟語の解説までしておくと、深く考えるまでもないことで「所謂」とは「世間で言われている。俗に言う」と広辞苑にある。誰が「オーバーシュート」や「ロックダウン」と俗に使っていると言うのか。好い加減におかしなカタカナ語を忘れろ。


3月29日 その2 時には新型コロナウイルス関連の話題から離れて

2020-03-29 16:52:37 | コラム
2019年の我が国の広告費は6兆9,381億円と対前年比+6.2%:

この度、電通が毎年集計している「日本の広告費」が発表された。それによれば、我が国の広告費がGDPに占める比率は1.25%と前年からは0.06%の増加に止まっていた。正直に個人的な感想を言えば「我が国に数多ある業種の中にも対前年比で6.2%ものプラスになるものがあった」という辺りになる。媒体別に見ると、インターネットがついにテレビを抜き去って2兆円台に入っていたのが印象的だった。紙パルプ産業界の出身者としての感想は「これでは紙媒体が衰退する訳だ」となる。

そこで媒体別に見ていくと、マスコミ4媒体が26,094億円で対前年比△3.4%で、その内訳は新聞が4,547億円で対前年比△5.0%、1,675億円で対前年比△9.0%、テレビが19,123億円で対前年比△2.7%、ラジオが1,260億円で対前年比△1.4%となっていた。これに対して、インターネットは21,048億円で対前年比+19.7%という成長ぶり。プロモーションメデイアは22,239億円で対前年比+7.5%だった。ここには折り込み広告やDMやフリーパーパー等が入っている。

次にマスコミ4媒体への上位5業種の出稿広告費を見ると、第1位が情報・通信で26,563億円で対前年比△6.8%、2位は飲料・嗜好品で25,505億円で対前年比+0.2%、3位は化粧品・トイレタリーで24,029億円で対前年比△8.6%、4位は交通・レジャーで19, 214億円で対前年比△1.3%、5位は流通・小売業の15,969億円で対前年比△1.2%だった。ここでは採り上げられた20業種の中でプラス成長が3業種しかなかったのが印象的だった。

今年は既に新型コロナウイルスに起因する不況の兆しが明らか見え始めているので、広告費の9年連続のプラス成長は見込めないかと懸念する次第だ。

参考資料:紙業タイムス社刊 FUTURE誌 20年3月30日号