何故あのような大事故になってしまったのだろう:
私は在職中にアメリカにおけるHalloween(ハロウイーン)が何たるかを知らず、当日に出張で本社にいた際に、魔女の格好をして颯爽と事務所内を歩き回っている女性たちを見て「あの人たちは一体全体何だ」と尋ねてしまった。仮装での出勤が許されていると聞いて恐れ入った次第だった。また、この日は大取引先の常務さんを副社長の自宅に招待して夕食となっていたので、シアトルの綺麗な内海を一望に出来る家にご案内していた。
すると、日が暮れてから“Trick or treat.“と叫びながら子供たちが押しかけてきて、副社長夫妻が夕食を中止して子供たちにキャンディを配る光景を常務さんと「珍しいものを見ることが出来た」と、言わば異文化の鑑賞を楽しんでいた。常務さんと私の理解は「ハロウイーンとは子供たちをtreatすることで、仮装をした者たちが群を為して街を練り歩き飲酒して騒ぐことだ」ではなかった。
それが、我が国にあっては誰がどう考えたのか、あるいは我が国独得の解釈をしたのか、あの渋谷のスクランブル交差点に奇々怪々な仮装した虚け者たちが大挙して集まり、乱暴狼藉を働く無礼講の騒ぎに仕立ててしまったようなのだ。私はあの馬鹿騒ぎをテレビで見るだけだが「何と情けないことか。我が国民は何時からこのような三流国家の躾が悪い無作法な群衆と化したのか」と、心底から嘆き悲しみ、且つ怒り狂っている。
昨日辺りから渋谷センター街の商店会長さんが「来てくれるな。来ても飲酒などせずに秩序ある行動を」と要請しておられた。だが、私はあれではかえって逆効果で、虚け者たちに向かって「いらっしゃい」と歓迎の辞を述べられたと同じだと疑っている。馬鹿者共は「それなら、行ってやろうじゃないか」と対抗意識を以て出向いてくるだろうと懸念している。いっそのこと「来るなら来て見ろ。こちらは大歓迎だ」くらいのことを吹っ掛けた方が良いかも知れないとすら考えた。
そこに、昨日は韓国ソウルの、私は買い物を楽しむ街だと理解していた梨泰院で、154名(2人の日本人女性を含めて)の犠牲者が出た大群衆雪崩が発生したというに悲惨な事故(事件?)が発生したとの報道だった。梨泰院は通算で3日間に4度ほど訪れたことがあるので「何であのような大通りが中心の街で、何千人もの人が転倒したのか」と奇異に感じていた。
梨泰院は元はと言えばアメリカの駐留軍の基地(?)があった場所で、そこが商店街とバーやクラブの歓楽街に変わったと聞いていた。我々夫婦は歓楽街に用はないので、結構達者な英語までを駆使して呼び込みをしている土産物屋や商店街を散策しては「冷やかし」を楽しむ場所だとの認識しかなかった。
だが、一度だけ有名な冷麺店を探したところ、それが小高い丘の上にあったのを覚えていたので、もしかしてあの辺の坂道で群衆が雪崩を打って転倒したのかと想像は出来た。しかしながら、テレビのニュースに流された画は、とても想像も出来なかった大群衆が、狭い坂道を上り下りして動けなくなっていたことを知らせてくれた。最後にソウルに行ったのは今となっては前世紀だったので、その我々の空白の間に異国の若者たちが仮装をしてまで殺到する程人気が出ていたようだった。
我々の経験を思い出してみれば、2度目のパック旅行でソウルを訪れたときには、仁川空港で乗せられたバスが先ず梨泰院訪問だった。バスが最初に到着した所はB級のナンチャッテ品の店で、2番目はAクラスのみを扱うと紹介された。この旅行の時は町外れにあったホテルから、タクシーでもう一度梨泰院に出掛けて、丁度壊れかけていたトローリーケース(カタカナ語では「キャリーケース」だ)を地下の店で購入した。
韓国の商店街では「見るだけで良いですね」という韓国語の表現を覚えて、必ずこう言ってから入るようにしていた。この台詞の最後は「カムサ・ハムニダ」(=有り難う)となっている。
そのケースは当時では珍しい回転する車がついていた。だが、中国製だったので応対してくれた店長格の叔父さんに「中国製だが、品質は大丈夫か」と確かめてみると「心配ない。我々の専門の技術者が現地に滞在して指導して作らせているから」と保証?した。この中国製品はつい2年ほど前まで十分にその値段だけの役目を果たしてから壊れた。
最後に梨泰院に行った時は、思い切ってホテルから最寄りに地下鉄の駅まで歩いてから、今回の事故でテレビの画面にも出てきた梨泰院駅まで乗ってみた。その地下鉄に乗車した途端に、我々夫妻を見た若い女性2人が即立ち上がって席を譲ってくれた。これは儒教の敬老の教えなのだと知ってはいたが、少し驚かされた。「カムサ・ハムニダ」と礼を言って座らせて貰った。合計4回も行った梨泰院だが、買い物はあのケースだけだった。
あの群衆の大雪崩の犠牲者のご冥福を心より祈って終わる。