新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月30日 その4 実務の世界を知らぬ者は去れ

2016-09-30 14:45:20 | コラム
実務の世界を知らない者に任せておくべき事ではない:

私の中・高の同期生の某君ですが、嘗ては「同期の英雄」として皆で褒め称えておりましたが、今や老醜をさらす結果となったのは本当に残念で遺憾に存じます。

私は信念として如何なる組織でも、その長たる者は組織の一歯車として勤めた経験を持ち、そこから順次経験を重ねて小から大への組織を管理・運営しておくべき段階を踏むべきだと考えております。しかも、その組織は然るべく利益追求の団体でないことには、経費というものが如何に大事かということに対する認識が備わりません。

彼にせよ、オリンピック組織委員会長にせよ、政治の経験こそあれ、実業乃至は現実の世界で如何にして冗費を排して最大限の利益を挙げるかの方法を実際に経験したこともなく、またその手法を全く知らないのだと見ております。その人物だからこそ、予算が急に増えたりする不手際を演じるのではありませんか。

即ち、何兆円もの経費が発生する組織の長たるべき人材ではなかったということです。ましてや、同期生の長男などはあの都議連の失態などを批判するまでもなく論外でしょう。同様にドンだの何のと言われている都議会議員たちも征伐されて当然でしょう。

私は何もビジネス界の経験を誇るつもりはなく、自分で働いて利益を生み出して、そこから言わば分け前である給与を分相応に貰える世界を経験せずして政治家を志すことに誤りがあると思うのです。現実の世界を知らない者が如何にして組織を統治できますか。

私の日本の会社の同期入社に故緒方竹虎に私淑して書生を務め、早稲田の政経から入社してきた者がいました。彼は政治家になりたかったのだそうですが、緒方からは「政治を志すならば、先ずは実世界を経験せよ。それを知らずして政治を目指すな」と諭されたそうです。流石だと思って聞きました。組織会長などは新聞記者を短期間務めただけで、陣笠代議士の頃に銀座で遊んでいた頃から見ていました。それを知るだけにあのお方で良いのかなと不安になる人事だと断言します。

9月30日 その3 悲観論者は冷静に心配している

2016-09-30 12:38:11 | コラム
何を隠そう、広島が心配なのだ:

何が心配かといって広島が25年振りにセントラルリーグを悠々と制覇したのは良かったが、何となくシーズンの終わりに近くなって全体的に調子が下がってきていた辺りだ。そもそも絶対的なエースとでも呼べる投手がいる訳でもなく、打つ方でも最後のご奉公的に新井貴浩が頑張ったし鈴木誠也が青天の霹靂の如く現れたとは言え、全体的に未だ脆い印象が消えていなかった。大体からして菊地の年俸が8,500万円というのも驚きだ。

そこに、CSとやらになれば、昔の名前だけで出ています集団の読売が何とか2位を維持して、先ずはDeNAと勝負をして上がってくるのかも知れないし、一方のDeNAでは漸く筒香が形がついてきて破壊力が出てきたし、ラミレス監督には端倪すべからざる指導力もあるので、短期決戦ともなれば広島がここを勝ち抜いて日本シリーズで恐らくニッポンハムと雌雄を決するところまで行けるのかなと心配になってきたというところだ。

そのニッポンハムは大谷翔平という希に見る逸材の力もあって、何と11.5ゲームの差を引っ繰り返してリーグ制覇を成し遂げたのは結構だったが、ここも矢張り投手力が手薄に見えて仕方がない。増井は未だ良しとしても有原は長いシーズンを乗り切れなかったし、未だ不安定材料だ。それに、打つ方でも4番の中田翔は打点こそ多いが雑すぎて余り当てにはなるまい。もしも、柳田が間に合ったとすると、いくら駄目監督が率いているといってもソフトバンクの二連覇の経験と戦う際には要注意だ。

と言うことは、ニッポンハムのことも心配しているという意味だ。即ち、万が一にも当方が嫌悪する読売対ソフトバンクなどという日本シリーズなどは見たくもないということ。

9月30日 その2 頂門の一針 第4133号で

2016-09-30 07:17:40 | コラム

北村維康氏が言われた:


<私も、かの旧敵国のアメリカに、1年留学させて貰ひ、様々の恩恵を受けてきた身だから、こんなことはあまり言ひたくはない。しかし、それとこれとは別問題だ。理非曲直を糾すことが、本当の独立国同士の友好につながるのだ。>

誠にご尤もであると感じた。このご主張とは一寸違うが、私の考え方を。

私もその旧敵国であるアメリカの会社に、如何に偶然が積み重なったとは言え、22年半も奉仕して対日輸出に励んだものだった。我が社の同業他社のアメリカの会社で最大の競争相手(英語の講釈だが、ビジネスの場では”competitor”が適切で、”rival”ではないと思う)の私とほぼ同年齢の日本人の代表者が言っていたことは

「我が国を負かした国の会社に誘われて一度は躊躇ったが、そこで全力で働き彼らから出来る限りの高い給料を取って見返してやろうと思った」

だった。当方はそこまで徹底した考えはなかったが、納得できない話でもなかった。要するに生活の為だったのは紛れもないこと。

では、私は何を目指していたのかと問われれば「ある年月、アメリカの会社でアメリカ人の中で働いている間に彼らの知能を含めたおよその程度が見えてきたので、日本人を代表するかに近い意気込みで『こんな奴らに負けてたまるか。日本人ここにあり』と目にもの見せてくれようとばかりに懸命に努めていた」とでもなるだろう。

それでなくても、個人の主体性というか何処まで行っても頼りになるのは自分だけで、自分を守る為に最善を尽くさねば生きていけない社会に身を置けば、彼らを凌駕する何かを見せ続ける必要があったのだ。思えば、我が国とは正反対(何で近頃は「真逆」などと言うのかな)「異文化の世界」だった。そこに生存する為には自分以外は頼りに出来ないということをイヤというほど学んだのだった。


森喜朗組織委員会長を排斥する

2016-09-30 07:11:34 | コラム
私は2020東京オリンピックに関心が薄い:

理由は簡単で、87歳になっているだろうその年まで生存できるかどうかに自信がないからだし、組織会長の存在が不満だ。それはそれとして、何も小池都知事が就任されてから初めて発覚したことではないが、あの膨張する一方の予算の見込みは何だ。それだけの資金を何処から捻出するのだ。金が天から降ってくるとか、地から湧いてくるとでも言うのか。その組織委員会とやらの元締めである森喜朗氏は何かと言うと居丈高に威張るが、一体ここまで何をしてくれたのか?

私はそもそもあの元総理大臣だというお方を全く評価していない。何時何処で誰があの様な能力がおありとはとても見えない御仁を会長に選んだのか。もしかして勝手に就任したのかとすら疑っている。私はこれまでに各種の競技団体の協会で重ねてきた運営の失態の原因は「その協会の主要な役員たちはただ単に過去の名手・名選手だったと言うだけで社会経験も不足だし、何処かの大企業で組織の管理をした経験もなかった為に、出鱈目な運営をしたことにある」と確信している。

現実を見よ。国立競技場の再建やエンブレもの件などでの不手際は何だ。これらだけを捉えてみても、オリンピックに関連する組織の無責任振りと好い加減さが解ろうというものだ。その責任を取らず自分は止めないという姿勢に、私は「あー、やはりこの程度だったのだ」とあらためて彼を見切っていた。また、彼の首に鈴を付けきれない内閣(なのかか?)にも一寸失望していた。

組織論から言えば、森会長にしても同様ではないのか。彼は単に高校と大学の途中までラグビーを経験したと言うだけで、その後は新聞記者を短期間務めた後はずっと代議し暮らしだった。利益を上げて社会に貢献すべき組織を作り上げて纏め、管理運営した経験など皆無ではないか。解りやすい例を挙げて批判すれば、サッカー協会から転じてバスケットボール界を建て直して見せた川淵三郎氏と比較してみれば解ることだ。

彼はIOCとも話し合って一所懸命にやったと居直るが、あの膨らむ一方の杜撰な予算の管理や、99.99%の落札額が続出するような入札を続けてきた責任は自分にはなく、担当者にでもあったと言いたいのか。彼には「管理者責任という言葉を知らないのか。オリンピックという『錦の御旗』の前には無駄としか思えないような予算や出費は何でもないのか」と問いかけたい。IOCに承認して貰ったことを覆せないと言うが、相手はそれほど偉いのか?単なる欧州の貴族のお遊びの団体ではないのか。

彼らと真っ向から議論する勇気はないのか。無駄と批判される出費を削減する為に勇気を出して説得に行く気概の持ち合わせはないのか。彼らは「これを言うことで失うものはない」と割りきれば、知らん顔で無理難題でも吹っ掛けてくる度胸がある。小池都知事を相手にただ威嚇するだけが彼の能事ならば直ちに退場して、チャンとした組織を経験してきた実業界の出身者に譲っては如何か。私は彼のような者の為に今後も住民税を納めたいとは思えない。

第一、彼のような高齢者がのさばる時代はとっくに終わっていると知るべきだ。兎に角愉快ではない存在だと排斥する。

9月29日 その2 村田蓮舫に告ぐ

2016-09-29 13:36:32 | コラム
キチンと姓名を名乗れ:

私は何度も採り上げて「蓮舫如きに100万以上の票を投じる東京都の選挙民の程度の低さ」を指摘してきた。解りやすく言えば、私の感受性は未だに芸名を名乗っている彼女を頭から受け付けていないだけのことだ。

その彼女はこともあろうに最大の野党である民進党の代表になってしまった。そこに二重国籍だの何のという問題まで起こした。それはそれで怪しからん事だが、私はその地位までに上り詰めながら、未だに私には「芸名」としか思えない姓名の中の名前(下の名前などという愚にもつかない言葉を流行らせたのはだ何処の何奴だ!)である「蓮舫」を名乗り、結婚相手の姓である「村田」を使わないのは不愉快先番で認めがたいのだ。

国民の中には「蓮」が名字で「舫」が名前だと思っていた方もおられるとかだ。苟も公党の長である。正式な姓名を堂々と名乗るべきだと言いたいのだ。そういう指摘をされている所謂有識者もおられるではないか。彼女は未だに何とかガール時代の人気投票の殻を引きずって政治の場に出ているのは、余りにも怪しからん事だと真っ向から非難するものだ。

それだけではない、かの有名になった「二番ではダメなんですか」以来の空疎な言動を見れば、あの在り方は政治家と言うよりも、空疎な芸人の成り上がりでしかないではないか。

猛反省して、チャンと「村田蓮舫」を名乗るべきだ。尤も、あの民主党時代の3年有余の失政を見れば、多くのまともな民度を持つ選挙民が民進党に政権などを与えようとは思うまいと希望的に考えているのだから、どうでもう良いことかも知れない。あの程度で小池都知事と語り合おうなどと考えたのは、とんでもない身の程知らずだ。