新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

新型コロナウイルスの影響を考える

2020-05-31 11:09:36 | コラム
新型コロナウイルスの襲来は我が国に更なる「働き方改革」をもたらすか?

私はこれまでの所では「新型コロナウイルスが明らかに我が国の企業社会では働き方と、出勤の状態に変化を与えている」と思って見ている。現職を離れて26年も経ってしまった私には実感がないので、この変化が一過性なのか恒久的なものになって行くかを予見できるだけの材料の持ち合わせはない。だが、リモートウワークだかテレウワーキングか知らないが、こういう仕事の進め方の形態を続ければ、我が国の会社組織が抱えてきた人員が過剰であり、1人でも処理できかも知れない仕事を複数でやって来たようだったと、図らずも立証してしまう結果になるのではと見ている。

私は22年以上もの間、アメリカの会社組織の中で「我が国とアメリカの企業社会における文化の違い」を十分に経験したので、繰り返してその相互の違いを振り返ってみよう。我が国では「皆で一緒にやろう」という精神が基調にあり、全員が同じ目標を目指してお互いに補い合って仕事を進める形になっていると思う。これに対して、アメリかでは「集団で事に当たろうという精神も意識もなく、事業部長がこれと見込んで採用した者毎に他の部員とも重複しないような職務内容記述書を与え、その能力と主体性に任せて仕事を進めさせていた。その結果として、その事業部の目標を達成させる方式だと思っている。

先日も同じ業界の古き友人に、ウエアーハウザーの頃には日本市場担当のマネージャーとして、秘書と2人で最高到達点として年間150億円ほどの売上高を達成してことがあったという回顧談を聞いて貰った。彼は「年中アメリカとの間を往復し、国内出張も多くて忙しいようだとは見ていたが、そこまでやっていたのか」と感心して貰えた。1990年代の事だから現在ではどれほどの金額になるか知らない。私の後継者は凄腕で市場の変化もあったが、5~6年ほどの間にこれを倍増させて見せた。これぞアメリカ式の個人の能力依存の見本のようなことだ。

念の為に、私の名誉の為に実績を回顧しておけば、売上数量を19年かけてアメリカのサプライヤー中では最も参入した時期が遅くて最弱の存在だった所から、10倍にさせたとだけは胸を張って言っておきたい。

私は何も集団を排して個人の能力に任せているアメリカ式を礼賛しようとは思っていない。それは、我が国とアメリカでは国として成り立ちが違うし、両国間には全般的に文化の違いが多過ぎるのだ。その違いを弁えずに簡単には他国の方式を導入しても、直ちに改革に結びつくとは考えられないのだ。私は迂闊にも「アメリカと雖も同じ会社ではないか」と思っていたが、現実にアメリカの会社の文化と組織に直面してみると「これはえらいところに来てしまった」と痛感させられた。

21世紀の現在では広く知れ渡っているだろうが、そこには終身雇用も年功序列もなく「頼りに出来るのは自分だけ」という個人の実力だけが唯一の武器であり、事業部長に評価されないとアッサリ馘首される世界だったのだ。何としても年俸に見合うだけの実績を達成する以外に生き残りの道はないのだ。その環境に入った以上は「自分で自分に命令を発して毎日最善を尽くしていく以外の方法はなく、同じ部内の誰もが他人の心配などしてくれないのだ」と覚悟してやっていただけだった。

それだからこそ、副社長兼事業部長ともなれば年俸に見合うだけの成果を挙げる為には、朝は6時にでも7時にも出勤し、夜は何時になろうとも仕事を終わらせるまでは社内に止まっている。それに加えて出張も多く、土日の出勤も辞さないと言う態勢で仕事をしているのだ。結果として、19年間で私の上司3名は家庭を顧みる時間が不足して離婚という状態。私でさえも、東京にいる間は朝は遅くとも7時45分に出勤して帰宅は20時や21時は当たり前だった。

即ち、アメリカ式は全てを任されたマネージャーの自己管理と裁量の範囲内では、言うなれば「どう出社して勤務しようと勝手だ」という事なのだ。だが、この勤務態勢は身体的にも心理的にはかなりきついというか、常に緊張感を維持していなければならなかった。だが、日本式との違いはその日に為すべき事が終わってしまえば、午後3時でも帰宅する事も出来るし、間に合わなければ土日にも出向いて残務整理をしていたものだった。

出退勤時刻は各人の仕事の都合次第であるし、やるべきことが出来ていれば良いのだ。従って我が国のような「遅刻」という制度などないのが「我が国との企業社会との文化の違いの象徴」だと思っている。私は我が国のこの遅刻という制度を、新型コロナウイルスを制圧できるかでの間は緩めて置けば、朝のラッシュなど多少は緩和できるのではと考えているし、社員にも自分の時間の管理が可能になるのではとと見ている。

ではあっても、同じ組織内の誰とも重複しないで仕事をするアメリカ式を真似ても、我が国の風土と企業社会の文化に俄に合う事はないだろうと思う。だが、「皆で一丸となって」という我が国独得の美風を何時までも尊重して全員を縛っておく文化を再検討しても良い時期が来ているような気もするのだ。私は偶々アメリカ式に合わせる事が出来て61歳まで生き長らえたが、「あのまま日本の会社で働き続けたら」と考えると、それが最善の生き方だったとは思えないとも思うのだ。

憎きウイルスは「我が国の企業社会の文化を少しは見直しても良いのではないのか」と告げているような気がするのだが、如何なものだろう。念の為に確認しておくと「アメリカ方式を導入しようというのではない」のだ。あの個人の能力に依存する方式は精々何らかの参考にする程度の事だろう。短兵急に諸外国に合わせて9月入学を考えるのが得策かどうかという議論と同じではないか。


5月30日 その3 29日夜のPrime Newsより

2020-05-30 14:42:10 | コラム
予想しなかった収穫があった与野党政調会長の出席:

実は、自民党政調会長・岸田文雄氏が出ると知って失望というか何の期待もなく、チャンネルを合わせていた。彼の語りはニュースでつまみ食いする程度でも「全く無味乾燥」と評価していなかったので、興味が湧かなかったのだ。だが、立憲民主党政調会長・逢坂誠二氏は安倍内閣の揚げ足取りだけの存在だとしか情報の持ち合わせがなかったので、これまた期待感なしという具合だった。だがしかし、終わりまで眠気にも襲われずに最後まで見て(聞いて)しまった。何も感動するような内容だと言うのではなく、両名の人となりを知る貴重な機会だったという意味だ。

岸田文雄という人はその大学の出身者には屡々見受けられる個性豊かな(と言えばお世辞めくが、世間では一癖も二癖もある異色な人物が多いという見方をする人が多い)人柄ではなく「非常に狭い幅の中で『えーと』を再三挟んでは慎重に言葉を選んで、言質を取られないような臆病とでも形容したいような事しか言えないのか、あるいは言わないようにしているのかは不明だが、聞いていても常識の範囲内を出ない事しか言わないので、確かに面白くない」のだ。反町が如何に煽っても慎重居士は同じないのである。

だが、例によって後難を恐れて言えば、安倍晋三さんには、可能ならば彼には禅譲等はしないで頂きたいなと痛感させられた。もしも、アメリカのトランプ大統領がその狙いの通りに再選を果たせば、トランプ氏は岸田文雄首相の扱いに困窮されるか、投げ出すかの何れだろうかと危惧する。残す手法は、あの堅苦しい通訳をする高尾氏を留任させて、前任者とは変わらない堅物だという印象を与える事くらいしかトランプ対策が思い当たらないのだ。岸田氏の正体など知り得ようがないか、個人的に付き合えば、希望的観測では意外に慎重居士ではないのかも知れないとは思うが。

逢坂誠二氏だ。揚げ足取りだけが能事ではないと知り得ただけでも収穫があった。何らの予備知識もなく発言を聞いたので判明したが、思考体系は緻密でかなり良く勉強をしてあるなとは思わせてくれた。「良い事を言うな」と思わせてくれたのは「立憲民主党は国会では揚げ足取りばかりで、やれ黒川前検事長だの、モリカケだの桜の会だのという類いの質問ばかりをしているのは承知している。だが、決してそれだけではなく何十回も岸田政調会長と野党を代表して打合会を積み上げて、意思の疎通を図っている」と発言して、岸田氏にもそれを認めさせるのに成功した強かさを見せた。

その辺りに父親の跡を継いで国会議員になって(その間に銀行勤務が挟まれていたが)言わばアメリカ式の「スピードトラック」に乗って経験を積んで「禅譲待ち」の岸田氏とは大いに異なる、北大の薬学部を経てニセコ町長という言わば「叩き上げ」に近いような経験をしてきた逢坂氏は、反町に何を振られようと綺麗に切り返すだけの場慣れと余裕を見せていた。その辺りが言うなれば「アッパーミドル」育ちの岸田氏との違いであり、岸田氏は与党内で苦労せずにここまで来た弱みを見せてしまったようにも思わせてくれた。

私から見れば、BSフジの意外とも言いたくなるような好企画になった昨夜の2時間弱だった。私は反町には今後とも与野党のこれと思う人物を呼んで、その能力というか正体が分かるような手法を続けて貰えると面白いと思っている。過日は西村康稔特措法担当大臣の登場を敢えて見送ったのは、失敗だったかも知れないと反省している。でも、あのお利口さんぶりではねー。


5月30日 その2 我が国を22年余りアメリカ側の一員として見てきた者として

2020-05-30 10:26:51 | コラム
我が国を外側から観察してきたので:

私は1972年8月から全く思いもかけなかった運命が私に向かって流れてきたし、信じられないような偶然の積み重ねで、思ってもいなかったアメリカの大手紙パルプメーカーの日本駐在マネージャーに転進した事は、これまでに繰り返して述べてきた。しかも更に転進したアメリか第2位の紙パルプ林産物メーカーのウエアーハウザーでは「アメリカ第2位の対日輸出額の会社」の一員として、彼等の思想信条・哲学・倫理観、思考体系の下に我が国とアメリカの企業社会の文化の相違を「これでもか」と言われそうなほど経験してきた。

故に、私が未だに述べている事は「外側から見た日本」という色彩が濃厚だと思っている。この点は是非とも語承知置き願いたいのだ。それがお気に触ればご容赦を。

その22年半の経験の中から学び得た事は「我が国が如何に優れた国であるか」という厳然たる事実である。アメリカと単純に比較すれば「教育水準が高くムラがないので、簡単に言えば働く者の質が高く均一である」、「前項までのお陰で生産性が低いのなんのと批判されても、工業製品から非耐久消費財に至るまで世界にその例を見ないほど高品質である」、「アメリカほどの貧富の差がなく、少数民族の存在が文字通り少数である」、「世界に例を見ないほど清潔感を尊重し、何処に行って街はチリ一つないほど綺麗である」、「道徳的であり、倫理観がある」等々かと思う。

特に遺失物が戻ってくるという点は、西欧諸国では想像もない次元にある。ウエアーハウザーで初めて出張してきたニュージーランド人のマネージャーがタクシーの中に“wallet”(札入れで良いだろう)を置き忘れた。目的地で下車して気が付いて顔面蒼白で私の秘書に電話で中に入っていたクレデイットカード等の会社とATMカードの銀行に取り消しを依頼する電話をするように依頼した。私が偶然にタクシーの社名と運転手名を見ていたので、秘書に先ずそこに電話をさせた。すると、walletは既に届けられていた。彼は「奇跡だ。日本という国を見直した」と叫んだ。

但し、我が国とアメリカの間には文化比較論では触れてこなかった「法律による細かすぎる規制」にはお互いに想像も出来なかった何ともならない違いがある。これは現実にアメリカ側を代表して我が国に輸出をしてみて初めて解る事だ。出来る限り凝縮して言えば「我が国では輸出入は原則禁止だが、例外としてあれとこれは許可する」となっている一方で、「アメリカは原則として何を輸出入しようと勝手だが、これだけは禁止」という、日本側から見ればゆるゆるの規制しかかかっていないのだ。

これだけでは何が言いたいのか不明だろうから、私の経験から一例を挙げておこう。我が社の最大の取引先が我が国の大包装展にアメリカの大型の1.5と2リッターの牛乳パック見本品を展示しようとして、我が社に20枚ほどの提供を依頼された。それを本社が誤って私宛に送ってしまった。すると、日常的に輸入業務に携わっていない私は通関業者から輸入手続きの申請をせよと通告があった。「見本の提供だから無料だが」と言ってみたが、税関が認めず飽くまでも国内でも転売目的と看做すと、厳しく通告された。即ち、禁を破った格好になってしまったのだ。

業者には「無駄な抵抗」と言われたが、税関に電話して事情を説明したが事態は変わるどころか更に悪化して「転売するに当たってそのカートン(見本)を専業者に依頼して経費をかけて消毒の為に燻蒸すれば許可する」となった。「それらのカートンは英語の印刷しか施されておらず、日本国内には通用しない規格である」との説明は我が国の輸出入管理令の前には無効だった。これを融通が利かない禁止的は規制と見るか、衛生観念の発達とみるかは難しいが、法律には勝てず業者に依頼して燻蒸してやっと得意先に「転売はない」との条件で引き渡せた。

国内製品の規制も挙げておこう。ご存じの一般人もおられるとは思うが、1980年代に入って牛乳は紙パックが圧倒的に市場を占有する時代になっても、我が国の乳等省令では紙パックを何らかの製品に新規に採用する乳業や飲料のメーカーは、厚生省(当時)に「例外容器使用の申請書」に容器に使用されるアメリカの原紙とラミネートされているポリエチレンのペレットの見本を添付せねばならなかったのだ。これは厚生省では牛乳の包装容器はガラス瓶と決めていたので、過半数を占める紙容器は「例外容器」と規制されていたのだ。液体容器原紙の対日輸出にはこういう見えざる手間暇をかけて今日に至っているのだ。

このように何事につけても厳格に規制されている事柄が多い我が国では、今回のようにいきなり武漢ウイルスに大規模に襲来されても、恐らく四方八方に張り巡らされた規制と前例等々の壁(なんで官民挙って「ハードル」と言うのだろう)を乗り越えなければならなかったのだろうと、密かに推定している。そして独断と偏見だと言われても仕方ないと覚悟して言えば「諸々の規制等が邪魔をして「初動が遅かった」と批判した原因となったかのようだし、私が言う「後追いの継ぎ足し方式」を招来したのだろうと疑っている。私でさえ「これでは危ないのでは」と憂いていた。

ところがである、世界の方々の国で懸念して見せた初動の遅さに加えるに、彼等が見れば場当たり的になってしまう後追いの継ぎ足し方式に徹していたし、PCR検査もキャパ(嫌な言葉だ)があってもも最小限しか実行してこなかった我が国でも、感染者数も死亡者も何も世界最低の水準を保ち続けてきたのだった。事ここに至っても我が国の方式を批判する国もあるし、批判勢力は国内にもごまんといる。我が国のマスコミが有り難がるワシントンDCの地方紙「ワシントンポスト」は賞賛とも読める記事を掲載したが、私は嫌みか皮肉だとしか読めなかった。

彼等には無手勝流が成果を挙げたのが余程勘に障ったのだろう。言って置くが、あの新聞はアメリカ全土で購読されている新聞ではないのだ。朝日新聞とは違うのだ。私は20年以上もワシントン州を中心に東はニューヨーク、中西部ではシカゴ等々大袈裟に言えばアメリカ中を飛び回ってきたが、ワシントンポスト紙を読む機会はついぞ訪れてこなかった。

話を戻そう。私には我が国でワシントンポストが取り上げたほどの今日までの制圧策が功を奏している理由を、医学的か感染症学的に見る事あなど出来る訳はない。だが、以前にも指摘したが、我が国はアメリカと比較すれば国民の質があらゆる意味でバラついていないし、質的に問題かと懸念されている流入してきた諸外国の民族の比率はアメリカとは比較にならないほど低い。これは大きな優位性であり相違点だと思っている。我が国には私がシカゴやアトランタで見聞する機会があった「アフリカ系住民街」は存在しない。LAのような広大なKoreatownもない。

それだけではない、我々はごく自然に清潔かそういう観念を持つように育てられてきた。「手を洗う習慣」は何もウイルス襲来の前から厳しく言われてて来た。マスク着用の習慣はインフルエンザ対策もあったが、抵抗なく着用するようになっていた。国民の質のムラのない均一性は「要請」されただけでも(橋下徹氏が何とか法律と扱き下ろそうとも)、圧倒的多数の国民が不要不急の外出をしないで過ごしてきた。二者択一でしか物事を考えられないアメリかではロックダウンに訴えないと、外出を抑え切れなかったのとは大いなる「思考体系」の相違点である。

より細かく分析すれば、我が国では「要請」と言われても、コインの裏側は「外出禁止」と読むような思考回路があるのだ。だが、二者択一でしか物事を考えられないアメリカ人は「禁止」と真っ向から通告されないと守れないのだ。言いたくはないが、この辺りの思考体系の相違点は「彼等の中で永年暮らして、彼等と一つも目的の下で苦楽を共にしてきて初めて見えてくる」と思っている。彼等は「言われていない事は一切やらない」のだし、ましてや「職務内容記述書」で指示されていない項目はやる義務もないし、対価も支払われないと承知している民族だ。

私は何時まで経ってもそれほど文化と思考体系が異なる連中を何故か崇め奉り、彼等がいう事を有り難く承り、彼等に気兼ね(特に中国に)をする時代はとっくの昔に終わっていると思っている。アメリカやヨーロッパの諸国に留学すれば、何か素晴らしい学問的に優れた教養と知識と世界観が身に付くと思うのは勝手だが、私は経験的にもそうとは見ていない。それだけではない「英語が流暢にしゃべれるようになる事を最終目的のように看做すものおかしい。問題は話している内容であり、外国人を説得する能力が備わっているか否か」である。

私は「何とかポスト」や「どこそこのTIMES」が何と言おうと、我が道を堂々と進んでいく方が良いと思っているし、安倍首相も西村担当大臣も加藤厚労相もその辺りを十分にお解りであると、正直に言えば、かなり希望的観測の要素を組み入れて期待している。だが、どうしても気にかかるのが西村担当大臣が「専門家会議にお諮りして」と内閣があの会議の下位にあるかのような謙り方は異常だと思う。私はどう見ても武漢ウイルスに対する臨床経験が十分におありとも思えない専門家を選ばざるを得なかった政府にも問題があると信じている。


第2波は既に襲来していたか

2020-05-30 10:20:13 | コラム
昭和大学の二木客員教授が指摘された「余波」が穏当だと思う:

昨29日には東京都では22人という感染者が発生して、小池都知事が設定した何とか言う基準値をぐらつかせたが、彼女は躊躇せずにステップ(既に指摘したが、カタカナ語を使う必然性など皆無だが)の段階を進めると発表してしまった。同様に九州の北九州市でも長いゼロの期間を経て20名突破を記録してしまった。この様子を見て出演しておられた二木氏に司会者が「第2波が起きているのか」と尋ねた。私の捉え方では「余震」とでも言われるかと思えば「余波であって、第2波とはもう少し日時を経てからドンと大規模に襲ってくるもの」と解説された。納得だった。

私はテレビ局がご登場願っている専門家の方々には「所謂」を付けたい嘗ては臨床をされていた頃に積み上げた預金的経験に基づいて主に理論的な事を述べられる一派と、二木氏のように勿論理論の裏付けはあるが、かなり現実的で解りやすく親切に語る流派と、現実に悲しいほど直面されている開業医からの立場で「現場の物理的な過剰負担と経営難」を時には感情的に、時には切々と訴えられる倉持氏のような、現実を語るどちらかと言えば「政府批判派」とに別けられると思っている。だが、この第3類はテレビ局の意に沿わないようで、何時も「リモート」であるのも面白い。

私は「第2波」であるかないかなどを語るべき立場にはいないが、北九州はいざ知らず、東京で生じている20名を突破してきた流れは「第2波」ではないと考えている。確かに都区外の病院で集団感染(私は「クラスター」というカタカナ語は採らない)が生じたという事実はあるが、テレウワーキングなるものがある程度普及しても、多くの会社員は相変わらず「遅刻」なる制度に縛られているようだし、老いも若きも飲み屋に群がっているような、フラストレーションからの開放感を味わう夜間外出のような緊張感の欠如をこそ、責めたい気がするのだ。

最後に八つ当たりし気になるかも知れないが、今週の週刊新潮がほとんど完膚なきまでに小池都知事の売名行為と、すべの道は再戦に続く的な姿勢を叩いていたのは尤もであると考えている。それが都民と都区外からの通勤者の緊張感を削いだのではなかったかと看做している。この辺りは産経新聞の花田凱記氏の「週刊誌ウオッチング」が鋭く衝いていると思うので、興味と関心をお持ちの型はご一読を。話を戻しておくと、私は「余震」は良いところを衝いたと思って自画自賛したいのだが、どんなものでしょうか。



5月29日 その3 私にとっては大朗報だった

2020-05-29 17:02:23 | コラム
永年お世話になってきたSクリニックが常態に戻った:

本日で前回の治療以降11日を経て、どうやら膝の痛みが少し辛くなってきたので、先ずは孤軍奮闘のS先生のご都合を確認してからと思って電話をすると、聞き慣れた女性事務員の声が聞こえた。「これはある程度期待したというか、予感があった彼女らが復帰したのだ」と解釈して喜び勇んで駆けつけた、いやトボトボと歩いて行った。実は、18日に伺ったときに無人のカウンターにアクリルの防壁が設置されていたので「もしかすると」との密かな期待があった。女性たちは4月10日で一斉に辞めていたのだった。

そこで恐る恐る入って行くと、2名の顔馴染みの事務員が、マスクにフェイス・シールドという言わば完璧な防備態勢で出迎えてくれたのだった。これは何と言っても永年お世話になって来たクリニックが元の状態に戻ってという事で、患者としても大朗報であり、S先生もさぞかしホッとされた事だろうとお察し申し上げていた。診察室を覗けば、看護師さんも先生の予言通りに復帰していたので、本当に安心した次第だ。4月上旬から毎週のように診て頂いては、診療代は言うなれば「ツケ」になっていたので心苦しかったが、この問題も解決できるだろうと思ったのだった。

膝の状態は薄紙を剥ぐような回復の状態であって治療して頂いたが、先生の指示は「これまで通りに階段の昇降は避けて、日頃の行動範囲を出るような距離を歩くのをなるべく避ける事」であり、10日か2週間後に再度来るようにとも言われた。勿論、負債は決済して帰ってきた。そこで、これで万が一の場合は安心してS先生に紹介状を頂いて、国立国際医療研究センター病院の新宿の(PCR)検査センターに行ける態勢は整ったという妙な安堵感も味わえた次第だった。

S先生に26日に国立国際医療研究センター病院が如何に閑散としていたかを報告した所「病院とは本来その程度の混雑であっても良いのである。それは多くの患者さんが来てくれるのに超した事はないが、誰だって一休みしたいときがあるもの」と言って笑われた。だが、「報道1930」で採り上げていた「病院や開業の先生方の医院やクリニックが赤字で経営難に陥りつつあるのは由々しき事態である」と述べておられた。私は「医療従事者方々に20万円の給付も結構だとは思うが、それよりも何よりも政府は赤字の補填に配慮すべきでしょう」と申し上げたが、特にコメントはなかった。