新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

休載のこと

2020-11-28 08:40:30 | コラム
各位

先月後半から今月前半にかけて精神的に消耗する事が多く発生し、些か草臥れてきました。そこで、本日の午後から30日一杯を休養に充てることに致しました。超後期高齢者には息抜きが必要ですし、東京都区内で新型コロナウイルスの感染を避ける努力をする生活を続けるのも負担が大きすぎます。宜しくご理解のほどを。

真一文字拝


アメリカのアジア向け輸出が振るわない理由(ワケ)

2020-11-27 15:16:01 | コラム
ロッキー山脈が経済圏を別けているので:

私がこれまでに何度か述べてきたことで、アメリカの経済圏をロッキー山脈が東側で70%、西側が30%に別けてしまっている。このロッキー山脈の存在が更にアメリカの太平洋沿岸の諸国というか、東南アジア向けの輸出を困難にしているのだ。簡単に言えば、ロッキーの東側の州から山を越えて西海岸の港(例えばカリフォルニア州ならばサンフランシスコかロスアンジェルスで、ワシントン州ならばシアトルという具合)に製品を輸送するのは物理的に困難でありコスト高を招き、国際市場における競争能力を低下させるのだ。

従って、アジア向けの輸出には立地条件としてはワシントン州、アイダホー州、カリフォルニア州等が有利なのだが、残念ながらこれらの州には有力な輸出産業が少なく、僅かにワシントン州やオレゴン州からの林産物や紙パルプ製品や飼料用の干し草、アーカンソー州のポテト等の一次産品が主体となってしまうのだ。この辺りを嘗て上智大学経済学部の緒田原教授と語り合った際に「何だ。それではアメリカは日本にとっては植民地のような存在ではないか」と言われてしまった。「そう言われて見れば、そうだな」と痛感した。

ではロッキー山脈の東側の多くの州からに我が国を含めたアジア向け輸出は、どのようにして実行されているかを解明してみよう。敢えて山を越えて行かない方法を選ぶのである。その際は製品をトラック乃至は貨車輸送で、メキシコ湾というかガルフの港か、いっその事東海岸のジョージア州サバナに向けるとは既に述べた。そう言うのは簡単だが、輸出する為には海上輸送用のコンテイナー(containerだが、カタカナ語は「コンテナ」だ)が必要になる。ここに問題があるのだ。

例えば、アーカンソー州やテキサス州という内陸の工場から輸出しようとすれば、西か東か南の何れかの港から輸入の荷物を運んでくるか、あるいは空のコンテイナーを運んでこないことには、話が始まらないのだ。ところが、内陸の地域に何らかの活発な輸入品の需要があれば良いのだが、そうでない場合は遠くの港から輸送費をかけて空のコンテイナーを運んでこなければならないのだ。これではコスト高を招く。代替案は何れかの港向けの貨車輸送だ。これとても時と場合によっては空の貨車を手配しなければならないこともある。更なる代案が最もコストが高いトラック輸送だ。

細かいことを言えば、貨車輸送は工場で製品を詰めた後で貨車に乗せる際の扱いを丁寧にしないとその際の衝撃で微妙な機械類などには傷がつくことになるのだそうだ。輸送中にも揺れるのだそうだ。しかも港ではまた荷下ろしがあるので、更に危険度が増すと聞かされてきた。屁理屈を言えば海上輸送でも揺れるし、コンテイナー船からの見下ろしでも揺れるという事もあるとか。

そこで、アメリカ式の大量生産でコストを抑えてある製品だから輸送コストをかけても競争力があったとしよう。それでも未だ難問が残るのだ。それは製品が出来上がってから輸出港までの内陸輸送に時間がかかる上に、海上輸送が西海岸から我が国までの2週間と較べれば大回りをするか、パナマ運河を経由になるので航海日数が1週間以上余分になって、船便の都合次第では納期に間に合わない事態になりかねないのだ。換言すれば、アジアの需要家か輸入業者は納期に余裕がある製品しか輸入しないことを選ぶのだ。

ここでの問題点は輸入品の決済は出港した時点で請求されるので、輸入者の金利負担も西海岸よりも大きくなるのだ。しかも、アメリカからの高高度工業製品は概ねロッキー山脈の東側の企業からとなるので、この点は決して有利とは言えない条件となるないのだと聞いている。であるからと言えばそうなるが、嘗ての一次産品会社のウエアーハウザーがアメリカの対日輸出の会社別実績で何年間かボーイング社に続く2位だったというようなことになってしまうのだ。

ここで視点を変えて経済的というか品質面を考察してみよう。アメリカという市場は俗に言う「売り手市場」や「買い手市場」という類いの表現が当たらず「生産者市場」と看做す方が適切だと思っている。即ち、近代のアメリカの製造業は第一に「生産効率」に重きを置いてきたので、大量生産・大量販売に指向してきた。これを解りやすく言えば「市場の需要に合わせるのではなく、製造するのに最も効率が高い設備とスペックを採用して、消費者に『我が製品最高なり。これを買え』と押しつけているのと同じ方式」なのだ。

中間の需要家も消費者も「商品がその機能を果たしてさえくれれば、それで十分満足だ」という物の見方か考え方をしているのだ。即ち、我が国のように芸術的な外観や見てくれを追及はしないのである。しかも、往年は大量生産のお陰で価格的にも十分競争能力もあり、世界的に通用していた。ところが、そこに自動車産業に見られたように我が国からの安定した品質と美観を備えた新興国からの製品が入ってくるに至って、アメリカの製造業の地位が低下し、何時の間にか空洞化が始まり、非耐久消費財等における中国を主体としたアジアからの輸入に席巻されたのだ。

私の知るところではないアメリカの輸出品には、航空機や戦闘機やイージス艦等々の物があるが、民間向けでは矢張りボーイング社の旅客機が群を抜いていたが、今やその世界も大きく変わってきた。一般の商品ではアメリカの製造業には未だに「相手国の需要に合わせる」という方向にはないようだし、労働者の質の向上も未だしの感が消え去っていない感がある。例えば、「ヨーロッパでは皆右ハンドルの車を作っているのだが、デトロイトは」などと言いたくもなるのだ。

これ以外にも、1994年にUSTRのカーラヒルズ大使がいみじくも指摘された「識字率や初等教育」の問題点が、移民が増えてしまった結果で、未だに解消できていないという問題点も秘めている。更に言えば、このままアメリカの大統領が替わってしまった場合に、トランプ大統領が習近平に強硬に押された農産品の輸出などが何処まで実行できるかという問題も生じかねない。穀物のような一次産品の取引では勿論製品の質も関係するだろうが、私は政治案件ではないかと思っている。バイデン氏が何処まで中国に迫れるのだろうか。最早ロッキー山脈の問題ではないようだ。


続・アメリカ合衆国という世界に身を投じて

2020-11-26 16:49:19 | コラム
東海岸から太平洋西岸北部の会社に転進して:

このウエアーハウザーというアメリか第2位の紙パルプ・林産物の会社には、誰言うとなく広まっている冗談があると聞かされた。それは「我が社の社員の定着率はアメリかでは最高の部類である。それは簡単なことで、ここまで来れば次に転進しようと思っても、行く手には太平洋しかないのだから」というものだった。その点を如実に表している事実は、売上高に占める輸出の比率が15%と極めて高く、特に日本向けは全体の10%を超えていた。これについての冗談めかした言い方は「“Pacific rim countries”以外の何処に売るのか」というのもあった。

この辺りはアメリカという国の本当の姿を知らないと理解できない問題なのだ。それはロッキー山脈という存在が西海岸の北から言ってワシントン、アイダホー、オレゴン、カリフォルニア、ネヴァダ等の諸州から、その地で生産された製品を販売する時に、ロッキー山脈を超えて東側に輸送するコストは太平洋沿岸の諸国向けよりも高くつくのだ。それ故に、輸出志向となって行くのは当然の成り行きなのだ。これはまた西海岸には地場産業が少ないし、製品も限られているので、自ずと輸入依存度が高まるという事でもある。

そういう背景があるからこそネヴァダ州のラスベガスはあのような観光を主軸にした(になってしまったのだとご承知置き願いたい)とカジノに依存する経済態勢を整え、カリフォルニア州も観光が大きな比重を占めるし、UCを始めとして多くの有名私立と州立の大学が多くの留学生を誘致しているのだ

これは産業界では常識なのだが、その点を十分に弁えておられない大統領がおられて、「我が国からの輸出が多いしアメリカからの輸入を増やさないのは怪しからん」等と曰うのだ。アメリカという国の経済圏はロッキー山脈から東側が70%を占め、輸出における多くの製造業の会社の目はヨーロッパに向いているのだ。当然の成り行きである。ロッキー山脈の東側からアジア(我が国を含めて)に輸出しようと思えば、南側の通称ガルフの港か、東海岸のジョージア州サヴァナ(カタカナ語はサバンナ)に内陸運賃をかけて輸送するのだ。

ウエアーハウザーである。Meadと違って本社機構の全部が同じ壮麗な本社ビル内に収まっているので、あらためて「アメリカの会社って凄いな」と実感させられた。何が凄いのかと言って1975年に既に所謂「ハイテクビル」になっていて、社員証が社屋に入場出来る鍵になっていたこと。土地に余裕があるから800人もいるのに5階建てで駐車場が各階にあるので、自分の事業部の階に駐めれば良いのだった。勿論、来客用の玄関はあるし、専用駐車場もある。ここはシアトル市内から50 km近く離れているので、ビル内にカフェテリアも、ジムも、売店も理髪店もある。

私は本社採用の東京駐在員という身分だが、実際に本社内で仕事を始めて見ると東部はニューヨークのMeadとは文化が非常に違っていて、カタカナ語にすれば「まー、何とカジュアルな会社なのだ」とその落差に戸惑ったほどだった。服装も東部よりは遙かにcasual(言うまでもないが「キャジュアル」である)で、その点では緊張感を感じなかった。だが、1982年だったかに42歳で副社長に就任した事業部長のドレスコードは誠に厳し勝った。替えズボンでの出勤、同じスーツを2日続けての着用、もみ上げを伸ばす、理髪店に2週間以上行かない等は厳禁だった・。

ここに来て本部に出張が増えて解ったことと言うか知り得たことは「アメリカの大手企業のこれという地位にいる者たちはほとんどが何処か有名私立大学のMBAであり、その修士号を持っている連中は全てと言って良いほどアッパーミドルかそれ以上の家柄というか階層に所属していて、極めて知的水準が高いと同時に誇り高い者たちだということだった。即ち、私立大学の(当時は5万ドルと聞いていた)授業料を何と言うことなく負担できるだけの高額所得者か、そもそもが資産家の集まりだということ。子供の教育費に軽く5万ドル+寮費その他を負担できる人たち。

私はそういう世界だと事前に承知して、その世界に憧れて入って行った訳ではないので、当初は随分戸惑いがあった。ご存じの方も多いと思うが、そういう上司や他の部門や工場の管理職に加えて、時には取引先の担当者等と会食がある。ビジネスランチでも気を遣うというか、アメリカの習慣に馴れるまでが大変だった。私は42歳になっていたので、そのようなマナーを心得ているものだと相手は勝手に解釈しているから、知らぬ間に恥をかいていたこともあったかも知れない。これは異文化の世界に合わせる難しさの話だ。

鬼門は奥方が参加される会食だった。かの国で当然のように壊そうなご婦人が出ておいでになる。言葉遣いから気を配らねばならないし、第一に何を話題にすべきか苦しむのだ。ところが、ところがである。誰に聞かされたかは記憶がないが「彼らが夫人同伴なのは勿論レイデイースファーストもあるが、日頃家庭では碌な者を食べさせていないので、経費に計上できるそういう会食に連れて来て埋め合わせをするのだ。気を遣う必要なし」なのだそうだ。

この点をアメリカで某有名企業の工場長を経験した友人に聞いたことだが、彼らの自宅での食事は粗末なもので「さて、ハンバーガーとホットドッグのどちらにするかと悩む程度だ」だそうだった。現に、私は極めて格式高い家柄の上司の家に呼ばれて、すき焼きを料理したことがあった。「旨い、旨い」と大受けだったが、食後に奥方に厳かに言われたことは「こんなに蒸気が出て台所を汚すような料理は二度としない」だった。彼らのすることは精々「チン」までであり、まな板だって小さな物があるだけだ。後は精々「テイクアウト」でお客を接待することがある。

仕事の進め方に行こう。個人の能力が主体であるとか、中途採用者の世界であり、新卒を採って教育するなどと言う間怠っこいことはしないというのは再三延べた。私と同じ仕事をしている者は本部にはいない。副社長兼事業部長には詳細を報告するから、彼は熟知している。だが、彼が「この得意先との折衝はこうしろ」だの「この件の進め方これで行け」などという指示も介入も一切ない。「そういうことまで言わないのでも出来る」という前提で途中から入れたのだから。だが、出来ていなければ“You are fired.”が本当に待っている世界だ。

ここまでは言わば表面的なことで、「日本人というか外国人がアメリカの会社の実態を知らずに、のこのこと入って行っても良い世界か」と尋ねられれば「お辞めになった方が安全でしょう」と答えるだろう。それは、確かに人事権を持つ事業部長と入社の条件を交渉すれば「そんなに貰えるのですか」という年俸の提示があるかも知れない。なお、アメリカ国内では役職、住宅、家族、交通等の手当はなく年俸一本である。名刺にマネージャーとあっても、それは肩書きだけで地位でも身分でもないと知れ。

高い年俸を取れば誰でも最初の年は懸命に寝食を忘れて働く。実績が上がれば2年目には昇給する。ところが、1年目に自分が持てる能力を全開で使い果たしてしまう例が多いのだ。そこまでで息切れしてしまうのだ。2年目には要求される仕事の範囲も責任の負担も増えるし、言われただけの範囲しか消化できていないことになりがちだ。私もこの状態になりかけていたので良く解る話だ。だから、1年目には多少余力を残していく知恵が必要だと思うが・・・。

これがアメリカの会社の怖いところで、「職務内容記述書」にある項目だけを手がけていては評価の対象にならないのだ。即ち、既存の得意先を守るだけではなく新規開拓、、新製品の開発、流通経路の合理化、他の部門との関係改善、そうそう売上高を伸ばす等々が出来ていないと、その年の終わりに行われる事業部長と査定の話し合いは、良くて年俸の据え置き、悪いと減俸、最悪は「君の代わりは幾らでもいる」というお払い箱だ。馘首は、アメリかでは「社会通念」として受け入れられている。本社機構にいる社員の組合などない世界だ。

話はこれだけでは終わらない。私のような彼らよりも体格が劣り、骨格も異なる東洋人が、彼ら(ここでは白人を指すが)のあの体格と体力を基にして組み立てられた仕事の手順と進め方は、想像もしていなかったほどきつかった。私にしろ誰にせよ、それに十分耐え得るという前提で採用しているのだから、彼らというか上司や同僚に要求されるように動けないと、相手にされなくなる危険性が高いのだ。解りやすい例を挙げれば「出張予定の組み方」などは凄まじい物がある。夜寝る間もなくビッシリと組まれている。

嘗て我が社のCEOジョージ・ウエアーハウザーの日本出張のItineraryをご覧になって最大の取引先の社長さんは「これはいかん。こんな強行軍で彼は死んでしまう」と叫ばれた。それは日本国内でもきついのだが、帰路はアメリカではサンフランシスコに向かわれて、そこに待機している社用のジェット機でNYの会議に向かうとあったのだ。その話を同僚たちにしたところ、大笑いされた。彼らが言うには「そんなことは当然だ。ジョージは社内で最も高給だ。その分を働いて当然だ。驚くべき事はない」と言って。これがアメリカだと知った。

私がどれほど激務と辛い環境に耐えたかは、また次回に譲ろう。


セントラルリーグが弱いのはジャイアンツの所為ではないか

2020-11-26 09:54:04 | コラム
予感通りの2年続けて4連敗だったのは順当だと思う:

私の「閃き」だけでも、ざっと予想してみても、ジャイアンツがホークスに一度でも勝てる気がしていなかった。結果もその通りになってしまった。セントラルリーグそのものの、ジャイアンツのこれまでの横暴(専横)と思い上がりも弱体化に大いに関係していると思うが、その実体を今回のシリーズでホークスが明らかにしてくれたと思う。私は選手層の厚さが違うと言ったが、その点を昨夜もイヤと言うほど見せてくれたのだった。そうなってしまった原因は所謂「フロント」にも問題があるが、原監督を頂点に置く指導者たちが余りにも時代遅れだったと知らしめてしまった。

第4戦を振り返って見れば、私が外すべきだと指摘した者を何名か先発から外したまでは良かったが、監督自身が望んだと言われるアメリカ3A帰りの中島は残してあった。彼は結局は4戦を通じて何の役にも立っていなかった。顔ぶれを変えた成果は1回に初めて先に点を取ることで現れたが、あれほど出来が良くないホークス先発の左投げの和田毅から1点しか取れなかった攻撃力不足を見せただけだった。原監督が終了後の記者会見で「攻撃型のテイーム」と回顧したのとは矛盾していた。ホークス相手には通用しない程度の代物だったということ。

私が見た限りでは和田の出来は良くなかった。画面から見えた直球の線が非常に細くて伸びがなく、言うところの回転数が不足しているようだった。私は「これでは宮本慎也言うところのホークスのパワーピッチャー(私は「本格的速球投手」と解釈)に捻られてきたジャイアンツの打者でも打てるだろうと読んだ。そして、若林と坂本に連続して2塁打を打たれた。その後は四苦八苦して1点だけで逃げ切れたが、直ぐにでも変えるべきだと思わせられた。同時に「ホークスはどうやって畠世周から取り返すのか」が興味の焦点となった。畠では守り切れないだろうという意味。

矢張り、周東は何とかなったが、中村に打たれた後で柳田の大ホームランになって2対1にされてしまった。ここでも私は「ここまででこの試合もシリーズも終わった」と呟いた。2回の甲斐のホームランは立派な仕事で捕手としての働きも加味して、シリーズのMVPにしても良いくらいだった。そこまでで十分だったのに、工藤監督は3回から盛岡から来たプロ6年目の松本裕樹という大型の速球だけでなくカーブも操る投手を出して、ジャイアンツを押さえつけて見せた。松本は見事な出来で、シーズン中にそれほど使われずにいたのが不思議なほど好投した。

これがジャイアンツとセントラルリーグの大きな違いで、セントラルにはいない本格派の速球投手が大きく割れるカーブをコントロール良く投げ込んでくるのだから、ジャイアントは手も足も出なかった。それでも工藤監督は当たってもいない丸には松本を引っ込めて嘉弥真を当てて全球スライダーで三振に仕留めてしまった。読売の待遇に目が眩んで広島を出て、結果的にテイームを目茶苦茶にしてしまった丸にはバチが当たったと見ている。その後には続々と速球投手を出してこられたのでは、ジャイアンツに3点差をひっくり返せる訳がなかった。気の毒だなと思った。

セントラルリーグの他の5球団は読売ほど金に飽かす余力がないので、自前で何とか選手を育ててきたが、その指導力はソフトバンクとは比べものにならないようだ。FAかトレードで取ってこなかった選手を立派に育てたのは、今季限りで辞めるラミレス監督のDeNAだけだ。そのDeNAは監督の指揮統率の能力が不十分で、タイガースよりも下位に終わった。極論を言えば、ジャイアンツのリーグ優勝は(その昔我々が麻雀で言った「鴨を集めて水遊び」)弱い者虐めにも似ていたのではないか。

金に飽かしてFAの選手を買ってくる」のは勝手だが、世上言われていることは「テイームに新卒で入ってきて、何とかレギュラーポジションを取れた者や、そこを目指している者たちの意欲を削ぐことになる」なのだ。しかもジャイアンツはこれまでに多くの飼い殺しを抱えてきた。これでは「アメリカ社会でMBAではないと絶対に昇進も昇給もなく中間層以下に甘んじて、不満の塊になる者が多い」と同じではないか。読売の経営陣と原監督以下の現場は今回の敗因を真摯に反省し、それこそ第三者委員会でも設置して深く広く検討して、大改革でも行ったらどうか。

私はソフトバンク・ホークスは決して好ましいテイームとも見てこなかったが、このシリーズで9番打者が2本もホームランを打ち、後から後から出てくる投手が皆本格派で球が速いだけではなく変化球もこなしているのを見て、少し考えが変わった。あの凄いなと驚かされたモイネロがキューバから来た育成選手だったというのも恐れ入った。孫正義オウナーと王貞治球団会長に敬意を表して終わる。


日本シリーズ第3戦観戦記

2020-11-25 09:35:58 | コラム
最早パシフィックリーグが格上か否かの問題ではないのでは:

4対0というホークスの3連勝という結果で終わったが、3試合を通じて総合的に見れば「強い方が勝っただけ」と、簡単に纏められると思う。昨日も批判した原監督が移動日に「猛練習だ」と言った辺りに、何とも例えようもない時代遅れの精神主義を未だに引き摺っていると見た。このような「救いがないのではないか」という感覚が3連敗の惨状を生じさせたのだと見ている。あの歴然たる(短期勝負における)力の差は、猛練習などで補える性質ではない。原監督と雖もその辺りは承知した上で言っているのだろう、選手たちの手前。

私は「勝負はそのテイームの欠陥である者の所を衝かれて決まる。勝負とはそういう風に意地悪く出来ているのだ」と信じている。実際に高校3年の時の国体に出られるか否かを決めるだろう準決勝戦で、我が方の穴から2失点して負けた経験があった、サッカーの話だが。昨夜の第3戦では私が欠陥だと指摘しておいた2塁手の吉川尚輝の守備にほころびが出た。私はその瞬間に「これで試合は終わった」と呟いていた。あの失敗は足が速すぎる周東が放ったゴロを飛び付いて捕ったまでは良かったかも知れないが、あの態勢から1塁にな投げた判断が悪すぎた。一本目、失格である。

原監督というか誰か守備のコーチの責任かは不明だが、基本を叩き込んでいないのだ。故野村克也が何と言ったかを、私はこれまでに何度も引用してきた。それは「ゴロの捕球の練習は正面等に来る球筋を読んでその線にいち早く入り、腰を落として正確に捕球する事で十分。離れた場所に飛んだゴロを飛び込んで捕るのは野球の技術の問題ではなくて身体能力の問題だと、繰り返して往年のブラッシングゲーム監督に教え込まれた」なのだ。吉川尚は飛び込んで捕ることを目指す身体能力を鍛えてあっただけで、あの態勢から投げた辺りは頭脳的には未熟だったということ。

今になって言っても仕方がないが、あの3回の裏に入る前の私の「閃き」は「8番からの打順で2アウトの後で周東に回るのは、彼を出せば次に中村が出てくるので面白い展開になるのかも」だった。果たせるかな、2塁まで行っててしまった周東をサンチェスが気にしたのか、「ここぞ」という時に打つ危険極まりない中村にホームランを打たれてしまった。3回にして取り返しが付かない試合の流れを決めてしまった。吉川は幾ら責められても仕方がないが、では1塁に投げずにいたら結果は変わったいたかと考えると、周東に盗塁をされれば同じ事だったかも知れない。

次なるジャイアンツの欠陥は前夜に宮本慎也が指摘した「セントラルリーグにパワーピッチャーがいないから」という問題である。2試合とも150 km以上の速球を当たり前のように投げ込んでくるホークスの投手たちに、ジャイアンツの打者は対抗も抵抗も出来ていなかった。昨夜のムーアも7回を終わるまで直球は概ね150を超えていた。坂本などはその速い直球でインサイドを執拗に攻められた後のアウトサイドに流れるボール球で討ち取られていた。この点はホームランは打てるが未熟な打者の岡本も同様。甲斐の組み立てか、スカウテイングかの何れかの勝利ではないか。

今更ホークスの長所を採り上げて賞賛しても余り意味がないと思うので、ジャイアンツの問題点を挙げて、原監督とコーチ陣に反省材料を提供しよう。先ずは1と2番打者の吉川と松原。珍しく自前で育ててきたのは良かったが、ホークスを相手にして勝てる材料となれるような次元にはほど遠い。経験を積ませて来年に期待するかという程度のタマ。他に駄目だったのが、原監督が希望して取ってきたアメリカ帰りの中島。無残なほど役に立っていない。精々毎試合デッドボールを貰って出塁したことが貢献度。世代交代させろ。

宮本投手コーチは低次元だと証明しつつあるセントラルリーグでは使えていた投手は育てたようだが、ホークスの強打を誇る左打者に左投手を当てても効果が出なかったことを立証してしまった。これは飽くまでも結果論だが、サンチェスがあれほどホークスを抑え切れたのだったならば、何故第2戦に私が通用すまいと酷評した今村を出したのかという疑問が出てくる。私はシーズン中のサンチェスを何度か見て「結構、嫌らしい投手だ」と密かに評価していた。本日は畠だと言うが、思い切って菅野を当てて、後は継投に継ぐ継投にでもしないと、ホークスを止められないと思うがね。

ここまででフットボールの指揮系統の考え方を当て嵌めてみると、ジャイアンツの失敗は全てオフェンスコーチとデイフェンスコーチのゲームプランの構成の不備にあると思う。監督(=ヘッドコーチ)はコーチ陣の作戦を信じて任せているのであり、監督が選手たちに細かい指示を出しているのが、我が国の野球も問題点なのだ。責任と権限の分担がハッキリと決められていないとしか見えない。私が守備のコーチだったら、吉川を下げていたし、攻撃のコーチだったら中島は下げていただろう。バッテリーコーチならば大城も替えていただろう。

ジャイアンツが4連敗を何としても回避したければ、和田には手が出せそうに見えない左打者を引っ込めることだが、ホークスがそこを読んで早めにパワーピッチャーに切り替えてきたとすると、第3戦までと同じ事になりそうだ。昨日は神がかりの栗原を押さえ込めたのは良かったが、代わりに中村晃に打たれてしまった。彼らに気を取られていると、柳田、グラシアル、デスパイネがいるのだ。周東だけ1安打に抑えていても勝てなかったことを忘れてはならない。樂天で1軍にいなかったウイーラーだけが打点を挙げているのを、恥だと思っているのか。