新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

何故我が国では皆が渋滞と混雑を承知で出かけるのだろう

2023-04-30 08:05:40 | コラム
「休日」と「休暇」の文化比較論:

またもや「ゴールデンウィーク」とやらが始まった。いきなり嫌われると承知で英語の講釈に行けば、”Golden week holidays“と言わないことには外国人には意味が通じないと思うよ。さらに嫌われることも追加すれば、”holiday”は「ホリデイ」という発音でなく「ハラディー」なのだ。嘘だと思うのならばUKのOxfordの発音記号を見てほしい。「ホリデイ」は勝手にローマ字読みしただけのことだ。

話を本論に戻そう。当家では渋滞や混雑に怖じ気づいた訳ではないが、未だ嘗て黄金週間中にもお盆の間にも一度も出かけたことはない。大勢に揉みくちゃにされるのは好みではないし、他人と同じことをやっているのも面白くないからだ。但し、理解していることは「皆で一緒にやろう」という我が国独自の思想というか文化がここでも働いているという点」である。いや、他人と同じことをやっているという安心感のだろうかとも言えるか。

従来から我が国で勝手に認識されていたことに「アメリカの会社では各自が自由に自分で休暇を取りたいときに、当然の権利を行使して好きな場所に家族で出かけて楽しみ、且つ所謂『リフレッシュ』してきて、再び仕事に精を出せるようになる」という見方があると思う。要するに「個人が自由に権利を行使できる世界である」というように、羨望の感を持ってアメリカの企業社会を見ているのだと思う。

ところが、である、実際に彼らの世界に入ってみれば、そういう「羨ましい」ように見えていた休暇の実態は、全く違っていたのだった。何処がどう違うのかを一言で言ってしまえば「job型雇用」の世界では雇われた個人が、その者のみに割り当てられた職務を遂行しているのであり、そこには部下やアシスタントの手助けも援助なく、何から何まで自分一人でやり遂げなければならないのであるから、休めばその間の業務は停滞してしまうのだ。

表現を変えれば「職務内容記述書」に記載された項目の他に、新機軸を出していくように粉骨砕身、オフィスに何時まで残っていることも、土日も休日も出勤してやるべきことをやりきらなければ、減俸か鶴首が待っている世界なのだ。採用した事業部長はその者の力量と経験と自己申告した能力を買って使っているのだし、その年俸に見合う成績が挙がってこなければ”You are fired.“を宣告されても逆らえない世界なのだ。

そんな過剰かもしれない業務を背負って「疲れたから有休でも取って心身を立て直してくるか」というような余裕が簡単に出てくる世界ではないのだ。中学の頃に英語の教科書にあった”Don’t put off till tomorrow what you can do today.“を地で行く世界なのだ。いかも、行動予定というかアポイントメントは秘書さんの手中にあるので、彼女が建ててくれたスケジュールもその通りに消化せねばならないのだ。

だが、何ヶ月か何年か知らないが、その担当者(マネージャーの場合もある)が仕事に慣れてくれば、多少の余裕も生じてくる。そこで初めて「有給休暇」(=paid holiday)でも取って、ハワイでも何処でも家族を連れて行こうかという風に頭が回ってくるようもなる。そして、秘書さんの了解を取って、例えば1週間空けたとしよう。

ここで注目すべき事は「その間に秘書さんはマネージャーの仕事を代行することはしない」点のだ。何ならば「彼女はそんな判断業務までする為の給与などもらっていない」のだから。「こういうことが起きたら、このように処置してください」ということは頼めるが、それ以外に発生したことは「A社からこういう問題が提起された」か「B社でこういう品質問題が発生したので、休暇明けまでペンディングにしてある」等々のメモが残されているのだ。

即ち、1週間留守にしていた為に「残務」となってしまった業務を、夜を日に継いで処理していかねばならないのだ。こればが「ワンオペ」になっているアメリカのビジネスの世界の決まり事なのだ。我が国の組織内のように「上司や同僚に迷惑がかかるから」とか「得意先にご迷惑が及ぶのでは」などということなど一切考えない。尤も、取引先には「休暇を取りますから」と事前に了解を取っておけば、お互い様のことだから理解してもらえるということもある。

解りやすくなると思って言えば「休暇を取る」ということは、あくまでも個人の責任の範囲の問題であり、他人というか同僚には殆ど関係がないと言って誤りではないと思う。我が事業部では私は東京駐在で日本市場担当のマネージャーだった。本部には「アメリカ本土とヨーロッパとオーストラリア担当のマネージャー」がいた。お互いの担当地域は全く重複していないので、日頃の情報交換など滅多にしたことがなかったし、彼が休暇を取っても何ら支障がなかった。

何事も個人とその能力が基準というか単位になって業務を遂行するのは、慣れてしまえば簡単だが、誰にも助けを求められないという点では重い「責任感」を背負っている感から逃れられなかった。だが、我が国の組織内では誰か、何方かが助けてくれるようになっているし、滅多に取引先にまでご迷惑をかけることはないだろう。どちらの方式が良いかなどを論ずる気はない。根本的に違う文化なのだから。

敢えて言うと、私は慣れてしまった後では「個人の責任で有給休暇を取る(取れる)アメリカ式の方」がやりやすかった。だが、アメリカの管理職の中には「行く先」と「電話番号」と秘書に伝えていく者もいた。それでは休暇にはならないという見方もあった。

最後に私の失敗談も。未だ藤沢に住んでいた1987年以前のこと。本部の都合でどうしてもお盆の期間中に本社に向かったことがあった。往復の航空券は取れた。だが、悲劇は成田に戻って起きた。当時はトローリーケースなどない時代だから、スースケースもガーメントバッグもブリーフケースも自分で運んだ。それにはカートが必要だった。

散々待たされて荷物が全部揃ったところで、カートの順番待ちが1時間並ばされた。通関して外に出られて、藤沢まで帰れるバスも電車も全て1時間以上の待ち時間。暑さと人混みに中で辛抱し続けて、藤沢まで帰れたら最早深夜を回っていた。懲り懲りだった。この経験も「全国民が一斉には休む時には出かけてはならない」という教訓になった。矢張り、休みを取って行動するのには、個人単位の方が良いと思うのだ。


今シーズンのNPBに見える不安材料

2023-04-29 07:59:56 | コラム
矢張りWBCの影響が残っているのか:

ヤクルト・スワローズ:
一番不安に思えるのがヤクルトである。1割台でしかない村上宗隆の打率が示すように、4晩に置き続けるのは頼りないと思う。そもそも、昨年のリーグ2連覇までは良かったが、今季に何らの投手陣の補強無しで出てきたのには驚かされた。昨年だって結局はまともだったのは小川だけで、石川などは解説者とアナウンサーたちがいくらお世辞を言っても、私には寿命が尽きた投手としか見えなかった。

その上に、それでなくとも不十分な力量しかなかった抑えのマクガフがMLBに戻ってしまったのでは、3連覇どころではないのは明らかでは。話はそれだけに止まらず、私は56本目を打つ前に陥った力量の低下から立ち直り切れていない村上の崩れが深刻なのに加えて、山田哲人も崩れたままの上に、詳細な説明もないままに塩見が出てきていないのも不安材料だと思うのだ。

そこを一軍半のような若手で補おうというのには無理がありすぎる。奥川はどうしたんだろう。こんな調子だから、昨夜はソフトバンクで育成だった阪神の大竹にひねられてしまったのではないか。村上がなまじっかWBCの決勝戦でホームランを打ったので、何とかなったと思ったのかもしれないが、彼が立ち直れないと、これから先が思いやられる。大竹に3勝もされるようではセントラルリーグのレベルが低いのではと本気で疑っている。

中日ドラゴンズ:
ここはヤクルトとは違う性質で気になる。問題はあの立浪監督にあると思う。1年やって見せて、育ったのは岡林勇希だけだったのに、使えていた阿部をトレードに出してしまった。何時まで経っても大島が頼りでは仕方がないだろう。WBCで優れた素材であることを立証した高橋宏斗だって有効に使えていない。この始末ではジャイアンツとビリを争うのも当然だろう。

セントラルリーグ:
このリーグも問題にしたい。つい先日も(ジャイアンツが代表するように)トレーニングの手法が時代遅れではないのかと批判したばかりだ。未だに少ない投球数の間でも150kmの速球を投げる投手が出てくる様子がない。この欠陥はジャイアンツが2度も日本シリーズでソフトバンクに4連敗したときにも警告したが、未だに改善された様子がない。何処かの監督が練習法の時代の変化と進歩を見誤ってしまった為に、こうなったのではないのかな。

オリックス・バファローズ
ここも日本シリーズの連覇を狙うには吉田正尚が抜けた後を埋め切れていないし、投手の補強が不十分に見えてならない。脚を上げなくなった後の山本由伸には昨シーズンのような凄さが感じられなくなったのが気になる。矢張り彼も宮城と共にWBC疲れか。紅林弘太郎が不振だが、日本シリーズを取ったからと言って慢心するのは未だ早いだろう。

日本ハムファイターズ:
監督の言動のせいだと言うが、近藤健介に出て行かれたのは致命傷だと思う。如何に前年度の首位打者の松本剛がいて、清宮幸太郎が成長してきたからと言って、あの投手陣と万波に中軸を打たせているようでは、今季もビリ争いは免れまい。というよりも、この球団以外にビリの候補は見当たらないのだ。問題点はやはりあの監督さんの存在に尽きるだろうと思う。

最後に日テレに一言:
いくら同系列だからと言って連日連夜ジャイアンツの試合の中継を見せられたのは興ざめだ。あの選手が今日は活躍してくれるかなと期待して見たいような若くて将来性がある選手がいるのか。梶谷、オコエ、丸の外野に加えて、何か思うところがあったのか今年は好調の中田翔の働きに期待する人がどれ程いるのだろうか。戸郷にしたって、あのWBCでトラウトを三振させたような目が覚めるようなフォークボールなんて投げやしないじゃないか。

だから、他局は朝から晩まで「大谷翔平が打った、投げた」を放映し続けるのか。他にはこれという良いニュースがないということが良く分かる。昨日だって某国の新任の駐日大使が言いたい放題のニュースがあったくらいだから。


我が国の人口には65歳以上が29%

2023-04-28 08:12:24 | コラム
四捨五入すれば30%じゃないか:

自分のその30%の中の一人だ。その中でも現在のICT化というのかディジタル化というのか知らないが、何事にもスマートフォンやPCや自動化された機器が並べられて「さー、来い」と待ち構えている世の中になってしまった。だが、その変化に30%の高齢者の何割が対応(対抗でも良いかも)できているのだろうかと、何時も不安に感じている。

つい先頃退職したばかりの65歳辺りの年齢層であれば、スマートフォンにもタブレットにもPCの扱いにも慣れていることだろうが、1990年以前辺りに第一線を引いた人たちにとっては、これらの文明の利器は「知られざる世界の出来事」なのだろうと思う。それでも、政府も企業も何かといえば平然としてQRコードからどうのとLINEに「友達登録して」などと命令するのだ。何時から我が国では全国民がスマートフォンを持っていることが前提になったのだろうか。

新型コロナウイルスが蔓延する前のことだった。昼食時に外にいたのだが、眼前の「すき家」に値頃のランチのポスターが見えたので、ついうっかり釣られて入ってしまった。だが、そこにあったのは無情にもタブレットで、店員は注文を取りには来なかった。何とかいじって目指す料理は見つけたが、2人分の注文の仕方に迷い、運良く隣の席にいた青年に教えを請うた。家内は「もう、これからは単独ででは外食はできない時代になる」と言って嘆息。

当方は滅多にコンビニエンスストアでは買い物をしない。それは、彼らは24時間営業すること等によって発生するコストその他を商品の価格に転嫁するから高くなるからだ。新型コロナウイルス後だったが、国立病院の地下のセブンイレブンで買い物をした。そこには「購入者は係員の指示に従って自分から機械で払え」という仕掛けになっていて、係員は横柄にUPCを読み取って扱い方を指示すると、後は知らん顔だった。

これは彼らの為には合理化であっても、顧客の為の措置ではないと思った。私にはレジスター係を減らすのか、ウイルスに感染しているかもしれない紙幣や貨幣に触れたくないからのことかと疑った。即ち、顧客がウイルスに触れていることはどうでも良いと言っているように思えた。何の為にこうしたのかくらいは掲示しても良くはないか。このホールでイング会社には、こういうお客の為を思う考え方が欠如しているのだ。だから傘下の百貨店を売ろうというのだ。

もう一つ、コンピュータ化というのかディジタル化の例を挙げてみよう。利用する客である当方には便利にできていることは解るが、このシステムの導入で「何を」か「誰を」合理化できたのかは見えてこないのだ。ここは「回らない」を売りにしている「回転寿司」である。システムは最早斬新でも何でもない事で、お客はタッチパネルで席を選び、その席の伝票に記載されているUPC(バーコード)を支払機に読ませれば支払いができるのだ。

席についての注文は勿論タブレットであり、注文品は張り巡らされたレールで遅滞なく運ばれてくる。思うに、タブレットと席の伝票が連係でできているのだろう。この寿司店は価格も経済的で週に2回も利用することもある。だが、ここで何時も気か付くことがある。それは恐らく我らが夫婦はこの店を利用するする最高年齢のお客だろうということ。同年齢層は言うに及ばず、老人は見たことがない。矢張り、タッチパネルとタブレットは敬遠されるのだろう。

ここまでで何が言いたかったかといえば、全人口の30%をも占める人たちの中には現代のICT化とディジタル化というのかコンピュータ化の流れについていけなくなっている事に対する対策を講じろということ。彼らは可処分貯蓄もあるかも知れないし、未だ未だ活動する意欲もあるはずで、支出する余力があるはずだ。一方では後期高齢者はスマートフォンやタッチパネルやタブレットでは尻込みしてしまうのではないかということ。

現に昭和26年(=1951年)に新制高校とやらを卒業した我々のクラス会の生き残りではPCを使っているのは私一人だし、杖を持っていないのも例外的だ。政治家も経営者も少しは「高齢者」のことに気を配ったらどうか。未だ未だ用途によっては使える人だっているだろうし、彼らの財力の活用法だってありはしないか。

経営者たちはこの方面にも神経を使うべきだが、初任給も社員の給料も引き上げる努力を怠っていれば、何時まで経っても景気は回復しないだろう。貴方方がぼんくらだと我が国はどんどん劣化していくだけだという自覚はあるのか。何か、日本のこの製品を輸入しないと立ちゆかないというような業種が世界の何処かにあるのか。何度も言ったと思うが、我が国の経済の沈滞の原因を「経営者の劣化だ」と断じた昭和一桁生まれの経営者がおられたではないか。


4月27日 「村上宗隆は「野球道」の「求道者の道」を目指しているのか」の訂正版です

2023-04-27 07:57:18 | コラム
色々と取り上げたい話題があるが、最も俗っぽいものから:

昨夜、横浜で雨中を顧みずに開催されたDeNA対ヤクルトの野球で、前年度の三冠王村上宗隆が見るも無惨な3三振だった。現時点で既に三振の数が30を超えたとアナウンサーが教えてくれた。当方にはあの構えの何処が悪いから駄目なのかなどは解らないが、テレビ画面を通して見えてくる彼の雰囲気と、バットの如何にも自信なさそうにボールを追いかけていくような振り方を見ていれば「こりゃ、当分の間は駄目だろう」ということくらいは解る。

元々、村上宗隆という人は同じ九州は熊本県出身の不世出の大打者で名監督だった川上哲治氏が敷いた「野球道」を進もうと心がけている選手のようで、熱心に練習する姿勢や、バッテイングに向き合う真摯な態度を見ていると「若くして求道者の道に分け入ってしまったか」の感が濃厚に見える。「道」である以上、ひたすら自らが定めた境地を目指して奥義を究めようと邁進するのだ。

であれば、七難八苦が襲ってくることなどは当然のことで、その苦境を切り抜ければ「打撃道」の奥義を究められると確信して邁進しているのではないかとすら疑っている。そこまでの境地に達すれば「大谷翔平、何するものぞ」という大打者になり得て、「MLBを席巻して目にもの見せてくれるぞ」とでも目指しているかと思わせられる。

WBCにおける獅子奮迅の活躍の疲れをものともせずに、MLBでのtwo-wayの活躍を見せている大谷翔平の動きを見ていて痛感する村上宗隆との歴然たる違いがある。それは「大谷翔平は何かを求道しているのではなく、鍛え抜いた全身を使って躍動して、如何にも楽しそうにスポーツをやっているのだ。観客を楽しませる職業としてとしてのエンタイナーとして、充分に躍動して見せて楽しませているのだ。彼が”swing and miss“しても絵になるが、村上の三振の絵は暗すぎる。

ヤクルトのコーチと監督が村上のあの不調の原因も何処をどう修正すれば立ち直れるかを処置して放置しているのか、あるいは彼が自力で再起してくると見込んで手を貸さないのかは私には解る訳がない。我が国のコーチは選手をいじりすぎるので壊すと聞いているが、アメリカでは助けを求めてきて初めて手を出すのだそうだ。私には彼村上宗隆には助けが必要じゃないのかと見える。

私は「村上は昨年にあの55本目のホームランを打った後の精神的な重圧と焦りで、崩れたまま立ち直れないのだ」と信じている。そこに、あの大谷の鍛え抜かれたバッテイングを見せつけられて、余計に方向を見失ってしまったのではないかとも疑っている。ダルビッシュ有にも散々貶されていたように、セントラルリーグの野球はウエイトトレーニングを中核とする合理的且つ近代的な訓練法を蔑ろにした結果が、村上に出てしまったのではないかとも疑っている。

話は少し変わるが10年以上も前のことに触れておこう。当時通っていたジムに(アメリカン)フットボールのXリーグのティームのトレーナーが2名いた。彼らが指摘したことは「遺憾ながら我が国ではマイナースポーツでしかない(アメリカン)フットボールでのトレーニングの手法が最も進んでいる。その手法がスポーツ界の恥部的に遅れているのが野球だ」と断じた。「『走れ、走れ』の一点張りの張本勲さん、よく聞いてください」なのだ。

誰かが言っていたじゃないか。「折角MLB(アメリカ式と言っても良いと思うが)の最新鋭のトレーニングの手法を心得ているダルビッシュがキャンプ参加してくれたのだから、彼から充分に学んでおくべきではなかったのか」と。「大谷翔平がどういうトレーニングをしているかのだって知り得る機会があったのじゃないか」との声もあった。野球界には未だに「ウエイトトレーニング」否定派の指導者がいるとも噂もある。

私は何もアメリカを礼賛してはいない。何故、パシフィックリーグには若手の投手たちがアッサリと150kmの速球を投げてみせるのに、何処かにいる鬼軍曹は何かといえば二軍選手たちに罰走を課しているというではないか。

余計な話になるが、「フロリダのIMGアカデミーで育ったフットボールの日本人高校生が帰国して一部リーグ所属の大学で入部して「練習法とトレーニングの手法の遅れに驚かされた」と聞いた。あれも、これも時代感覚の遅れの話じゃなないか。


村上宗隆は「野球津」の「求道者」を目指しているのか

2023-04-27 07:43:54 | コラム
色々と取り上げたい話題があるが、最も俗っぽいものから:

昨夜、横浜で雨中を顧みずに開催されたDeNA対ヤクルトの野球で、前年度の三冠王村上宗隆が見るも無惨な3三振だった。現時点で既に三振の数が30を超えたとアナウンサーが教えてくれた。当方にはあの構えの何処が悪いから駄目なのかなどは解らないが、テレビ画面を通して見えてくる彼の雰囲気と、バットの如何にも自信なさそうにボールを追いかけていくような振り方を見ていれば「こりゃ、当分の間は駄目だろう」ということくらいは解る。

元々、村上宗隆という人は同じ九州は熊本県出身の不世出の大打者で名監督だった川上哲治氏が敷いた「野球道」を進もうと心がけている選手のようで、熱心に練習する姿勢や、バッテイングに向き合う真摯な態度を見ていると「若くして求道者の道に分け入ってしまったか」の感が濃厚に見える。「道」である以上、ひたすら自らが定めた境地を目指して奥義を究めようと邁進するのだ。

であれば、七難八苦が襲ってくることなどは当然のことで、その苦境を切り抜ければ「打撃道」の奥義を究められると確信して邁進しているのではないかとすら疑っている。そこまでの境地に達すれば「大谷翔平、何するものぞ」という大打者になり得て、「MLBを席巻して目にもの見せてくれるぞ」とでも目指しているかと思わせられる。

WBCにおける獅子奮迅の活躍の疲れをものともせずに、MLBでのtwo-wayの活躍を見せている大谷翔平の動きを見ていて痛感する村上宗隆との歴然たる違いがある。それは「大谷翔平は何かを求道しているのではなく、鍛え抜いた全身を使って躍動して、如何にも楽しそうにスポーツをやっているのだ。観客を楽しませる職業としてとしてのエンタイナーとして、充分に躍動して見せて楽しませているのだ。彼が”swing and miss“しても絵になるが、村上の三振の絵は暗すぎる。

ヤクルトのコーチと監督が村上のあの不調の原因も何処をどう修正すれば立ち直れるかを処置して放置しているのか、あるいは彼が自力で再起してくると見込んで手を貸さないのかは私には解る訳がない。我が国のコーチは選手をいじりすぎるので壊すと聞いているが、アメリカでは助けを求めてきて初めて手を出すのだそうだ。私には彼村上宗隆には助けが必要じゃないのかと見える。

私は「村上は昨年にあの55本目のホームランを打った後の精神的な重圧と焦りで、崩れたまま立ち直れないのだ」と信じている。そこに、あの大谷の鍛え抜かれたバッテイングを見せつけられて、余計に方向を見失ってしまったのではないかとも疑っている。ダルビッシュ有にも散々貶されていたように、セントラルリーグの野球はウエイトトレーニングを中核とする合理的且つ近代的な訓練法を蔑ろにした結果が、村上に出てしまったのではないかとも疑っている。

話は少し変わるが10年以上も前のことに触れておこう。当時通っていたジムに(アメリカン)フットボールのXリーグのティームのトレーナーが2名いた。彼らが指摘したことは「遺憾ながら我が国ではマイナースポーツでしかない(アメリカン)フットボールでのトレーニングの手法が最も進んでいる。その手法がスポーツ界の恥部的に遅れているのが野球だ」と断じた。「『走れ、走れ』の一点張りの張本勲さん、よく聞いてください」なのだ。

誰かが言っていたじゃないか。「折角MLB(アメリカ式と言っても良いと思うが)の最新鋭のトレーニングの手法を心得ているダルビッシュがキャンプ参加してくれたのだから、彼から充分に学んでおくべきではなかったのか」と。「大谷翔平がどういうトレーニングをしているかのだって知り得る機会があったのじゃないか」との声もあった。野球界には未だに「ウエイトトレーニング」否定派の指導者がいるとも噂もある。

私はアメリカを礼賛してはいない。何故、パシフィックリーグには若手の投手たちがアッサリと150kmの速球を投げてみせるのに、何処かにいる鬼軍曹は何かといえば二軍選手たちに罰走を課しているというではないか。

余計な話になるが、「フロリダのIMGアカデミーで育ったフットボールの日本人高校生が帰国して一部リーグ所属の大学で入部して「練習法とトレーニングの手法の遅れに驚かされた」と聞いた。あれも、これも時代感覚の遅れの話じゃなないか。