事故?で亡くなった村田奈津恵さんに心から哀悼の意を表す。
ニュースで聞いたことでは、踏み切り内で倒れた老人を救うために、遮断機が降りているのに拘らず、最前列にいた父の運転する車から迷いなく降りて踏み切り内に入り男性を救助。そして・・・
この際に、彼女は男性を間に合わないと判断したのだろう、電車の軌道敷き内の狭い場所に引っ張って移動させ、男性は助かり自分は電車に撥ねられ(轢かれ?)死亡したという。
こんな痛ましいことってー
そういえば以前、韓国人の留学生だったと思う。プラットホームから転落した人を救うために飛び降りて亡くなった。この時は悲劇がさらに重なっていた。
同じくこれを見た日本人のカメラマンも飛び降りて韓国人と一緒に救助しようとしたのだが、結局落ちた人(酒に酔っていた)と救助しようとした二人の人間合わせて3人が死んでいる。さらにカメラマンの母親は「美談」で騒がれる中「いいことをしても死んでいなくなった」と悲観、寂しく死んでいる。
こういう人格高潔で勇気があり、人の苦難を見て自分の命だって擲(なげう)って力を貸そうとするような人間が、悪いことを平気でしたりプラットホームや踏切内で倒れた人を目の前で見ても傍観している圧倒的な多くの人間、あるいは「チャンス!!」とばかりに携帯の写メに撮ろうとするような悪意のある人間ばかりを残して先に死んでいくー
今、教育の中に道徳や宗教が影を薄めている。
昔は寺子屋で、藩校でまず教えたのは儒教であり、人の生き方だった。
この世で与えられたたった一つのいのちの重さについてもっと真剣に授業で考えるということを文科省は再考すべきだ。
学力テストの成績を公表し、校長名を発表したり、県別にランクをつけたり・・・間違っている!政府が子ども時代から序列を作っている。
結局、格差社会はこうやって社会全体で「作っているのだ」。
子どもの置かれた環境はそれぞれ違う。上層社会の家庭では小さな時から塾に、○○教室に通わせられよう。しかし、単親家庭で子ども世話より親が生きるのに精一杯という家庭もある。まったく勉強なんてできるような家庭環境にないところもいっぱいある。
同一線上に並べて、子どもの能力を数字で測るなんて言語道断。これでは村田さんのような究極の善行ができるような人は生まれないし、そんな社会にはならない。
村田さんの冥福をこころから祈る。