花をつけた姫リンゴ。
東京で女子高生へのストーカー殺人事件が起こった。
この子、随分可愛いなと思ったら、すでにタレント活動をしていたらしい。倉本聰の親戚でもあるようだ。
相手とはネットで知り合い、以前に交際していたらしい。それがフェイスブック。
見えないメディアのネットが私達の頭上に精緻に張り巡らされている。
ネットで甘言に乗って一端しくじると取り返しの付かない大事になってしまう。過剰請求とかこの場合のように人と人の繫がりで底知れない暗部に誘い込まれるような・・・
ネットで人間を推し量る事には限界がある。顔は掲載写真である程度わかっても性格まではわからない。文章だって甘い言葉を羅列されると気分が良くなってつい相手側に同調してしまうことにならないかー
指を負傷して毎日病院通いの身になってしまった
ロビーで待っている時に隣に座ったおじいさんが何やらもぞもぞ手を動かしていると思ったら、何とスマホを弄っているではないか
メールだろうかーこんな車も通らないような?田舎のジジイがスマホとはー自分ができないから心中の妬み羨望があるのかもしれないがこれが「時代」なのだ。
阿蘇のカルデラの中にまでメディアのネットは張り巡らされている。GPSは今所持者がどこにいるのか外部の他者が場所を特定できるという。街には街灯に防犯カメラが取り付けられ四六時中下を通る人間達を監視している。
昨日NHK「アサいち」でいじめを取り扱っていたが、その中で女子高生がいじめにあい裸の写真を撮られて、ネットに公開され、さらに脅されて援助交際をさせられていたという例を紹介していた。
これが事実ならば私の「法律」ではこれを強要した周りの人間はひっ捕らえて市中引き回しの上獄門だ
東京の被害者を殺した男、ハーフで一見いい男、女はこの「イケメン」という言葉に弱いよな。しかし、警察車輌に乗せられて連行されていく男の素顔はふてぶてしい表情だった。こういう男に引っかかった女性にも隙があったのかもしれない。しかし出会いは一生の伴侶との邂逅であるかもしれないし、出会うことを一概にダメだといえない。しかし「恐さ」が潜んでいることを常に認識しておく必要があるのだ、この社会は。
外国の観光地で殺された女子大生がいた。二人の内一人が殺害された。こういうある意味冒険も「危険」を充分覚悟予想して出かけることだ。自分が思っているように相手も考えていると思うのは錯覚に過ぎない。甘言の裏に、イケメンの表情の下に危険な企みが潜んでいるかもしれないのだからー