本の読み方の設計図。

本の構造を明らかにしていく。
論拠・主張

論証=事例、引用。

キルケゴールからみる人生の遺恨 : reProfesional#59

2008-05-02 23:07:15 | reProfesional

私たちの青春の始まりは、朝まだき花弁に一滴の美しい露をのせて咲く花のようなものです。その露の中には、花を取り巻く周囲の全景が、ある調和をもったメランコリックな風景として映し出されているのです。しかし、太陽が地平線上に昇り始めると、その露の滴は蒸発して消えてしまいます。そしてそれとともに、あの人生の夢も姿を消してしまいます。
しかし、そこには、また花のたとえでいいますならば、その人生の果実となって実を結ぶことが出来るように、この露の一滴を育てることが出来るかということが課題となって残ります・・・・・・。


[キルケゴール従兄であり、師への手紙より}

ひとは、だれも過去の囚人である。
キルケゴールの解説書を読んでいて、今日のある出来事を通じて、痛感した。
意識していようが、無意識であろうが、上の花のたとえでいうならば、
幼少期に、ひとは、のちのちの茎となり、葉となる部分を支える根を形成する。
根から吸収し、栄養分を脳をはじめとする体内全体にいきわたらせる。
脳は、植物における根といってもいいのかもしれない。

価値判断も、果実も実らせることは可能だろう。
後の努力を円滑に進めるためのよい根が這っている人は幸い。
根の部分に何かしらの遺恨があり、のちのちの人生をむしばむことは、
よくあるもの。

「調和を持ったメランコリック」の中で、
根無し草(=精神破綻)をきたさないよう、細心の注意を払い、
あつかましくも、いきていく。
きれいなことばでいうと、感謝をし、罪を、形成されてしまった原罪を意識しつつ、悔い改めながら、善き方向を志、ある意味、
一種の逃避を伴い、いきていく。
それが、人生というものなのかもしれない。
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