とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

空気づくりしかできない日本は憲法改正の意味がない

2018-05-03 16:46:19 | 社会
 今日は憲法記念日である。本来ならば憲法について考えなければいけない日である。しかし、昨今の政治の状況や、マスコミの状況をみているとそれ以前の問題を解決しておかなければならないと感じはじめた。日本に「憲法」なんて100年早かったのではないかと思われるということだ。

 森友学園の問題や、加計学園の問題、自衛隊の日報の問題など、自分勝手なことばかりする政治家や官僚がいて法治国家とはいえない。それに対して時間稼ぎばかりしている与党も問題だし、まともに議論しない野党も問題だ。どっちも論理よりも空気を大切にしているからだ。マスコミも論理的な報道はしない。空気をつくろうと必死である。政治家もマスコミも論理的な議論などまるでないのだ。

 マスコミは官僚のセクハラ問題や、芸能人のわいせつ問題が出てくると、政治の話はそっちのけになり、空気探しと空気づくりに必死になる。こんなもの当事者同士の問題であり、周りの人間がよくもわからないことをあれこれ言ってはならない。それなのに空気のほうが勝ってしまう。

 私はこの空気を読もうとする日本人の性格は「憲法」というものにそもそもそぐわないのではないかと感じている。この国にとって「憲法」はただのおかざりなのだ。掛け軸に書かれた文句にすぎないのだ。

 これは日本が近代化していないということを意味している。憲法を議論するためにはもっと近代的な考え方ができるように日本人が成長(変化)しなければならない。政治もマスコミも論理的な議論を率先して行う国にならなければならない。
コメント
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