夏目漱石の研究をしています。夏目漱石はイギリスに留学した後、東大で二つの授業をしています。ひとつはのちに『文学論』としてまとめられる授業です。こちらは理論的な文学論で難しすぎて学生にはおおむね不評だったようです。もうひとつはのちに『文学評論』としてまとめられる授業です。こちらは18世紀のイギリスの文学を語り聞かせる授業で、学生に人気があったようです。『文学評論』の中でスウィフトを取り上げ、熱く語っています。もちろんスウィフトというのは『ガリバー旅行記』の作者です。今回、『ガリバー旅行記』を初めて読みました。その感想については以前このブログに書きました。今回は漱石の捉え方について書きます。
漱石が一番興味をもったのは第四話です。第四話は、馬「フウイヌム」の支配している国です。フウイヌムは人間に比べて理性的で争いをしません。ガリバーにとって理想的な国です。一方その国には「ヤフー」と呼ばれる人間の姿をした生き物が住んでいます。ヤフーは見た目は人間そのものですが、野蛮で理性的な行動はしません。だからガリバーは人間の姿をしたケダモノだと思っていました。しかし、実はイギリス人やヨーロッパ人のような「人間」は実は理性を悪いことに働かせて、より巧妙に自分の欲のために生きることしか考えなくなった「ヤフー」なのではないかと考えます。そしてそう思い始めたガリバーは人間不信に陥り、自己嫌悪に苦しみます。
ガリバーは最終的に人間の世界にもどってくるのですが、妻も愛せなくなります。その後の生き方は苦しいだけです。この終わり方は衝撃的です。
さて、漱石の作品では理性的に思考する知識人が登場します。いわゆる「近代知識人」と呼ばれる存在です。しかしその思考は結局「事実」(他者の判断)と乖離してしまうケースが頻繁にあります。おそらくその人物は、その時、理性が実は自分のエゴのために利用されただけなのかもしれないと思うのです。そして不安が生まれます。時代の中で浮き上がった存在である自身の不安定さを感じずにはいられなくなるのです。自分の理性が欺瞞ではないかと苦しめられます。ガリバーの苦しみそのものなのです。
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