夏目漱石の初期の作品は様々な文体を用いています。「吾輩は猫である」は論文のような文体であり、「草枕」は漢文訓読調である。「虞美人草」も擬古文的な美文調であり、「二百十日」は戯作調です。私は文体の名称には自信がないのですが、すくなくとも初期の短い期間に漱石はたくさんの異なった文体で小説を書いていたというのは明らかです。
漱石はその後文体が安定してきて、今日の小説の文体の基礎を作ります。漱石以前の明治の小説家、尾崎紅葉や樋口一葉などは擬古文的に文体を用いていました。しかし漱石以降の小説家はほとんど、同じような文体、いわゆる「近代小説」の文体を使うようになりました。これは夏目漱石の文体の模倣です。
例えば森鴎外の小説「舞姫」は擬古文的な文体であり、その文体が魅力ではありました。。しかし高校の教科書に載っている「舞姫」は読むのに苦労した人が多かったのではないでしょうか。それが後期の鴎外の作品になると「近代小説」の文体になっています。漱石の小説に影響されたのだと思われます。
もちろん近代文学の文体を作ったのは漱石ひとりの力ではありません。明治の文豪たちのチーム力と言っていい。しかし中心となったのは漱石であったことは明らかです。だから夏目漱石は日本の文学にあらたな「文体」を発明したと言っていいと思われます。
(次回「野分」に話をもどします。)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます