とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

「セーフティネット」(「4月12日朝日新聞『折々のことば』より」

2017-04-13 09:38:49 | 折々のことば
 4月12日の朝日新聞『折々のことば』より、盲ろうの東大教授を追った記者・生井久美子氏のことば

 サーカスでのイメージが、そのまま社会的な文脈でさまざまなリスク対策に使われていることに違和感を覚えます。

 「落下時の備えでなく、そもそも落下しないようにするための足場や手すりこそが必要だ」という。

 ディズニーリゾートで痛ましい事故死があった。亡くなったのは玄人と言っていいのであろうが、それでもセーフティネットはどうだったのか検証が必要である。

 原子力発電所もどれだけ事故が起きないように「足場」や「手すり」に当たるものが用意されているのか疑問である。

 一方ではなんでもかんでもセーフティネットが必要になるという議論もいきすぎであろうと私は考える。最近の安心、安全ブームは人間の活動を大きく制限しつつあるように感じるのである。

 大切なのは物事を冷静に判断し、議論する力であるように思われる。
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「サザエさん」パッシングは東芝パッシングの始まり?

2017-04-12 06:23:03 | 社会
 東芝が倒産の危機に追い込まれてる。東芝が危機に陥った原因は原子力事業にあった。なぜ原子力事業をそこまで推進したのか。しかも東日本大震災がありながらも縮小、撤退を考えず推進し続けたのか。

 そこにあったのは原発が経済的だという日本政府と日本の経済化が長年葛城上げてきた神話の存在があった。日本は東日本大震災がありながら、10年もたたずに原子力推進に舵を切り始めている。神話は全く消えていなかった。

 今の日本という国は神話を「忖度」し、正論がつぶされていく国である。長いものに巻かれて弱いものは、無視され、いじめられる。おそらく東芝は「長いもの」に無視されて、いじめられていくのであろう。最近の「サザエさん」パッシングも東芝パッシングの始まりのように感じられる。

 我々が冷静に考えなければいけないのは、原子力産業がどれだけ経済的なのかである。そしてその経済性が安全性とのかかわりを考えても、進めていかなければならないほどのものなのかである。現状はそこが全然わからない。大切なことはまるでわからない。だれも教えない。ただ「忖度」してくれればいいんですよと国の中枢の人たちは言っているように思われる。これではやくざ映画の世界だ。

 原子力が安全だというのはまだ「神話」である。しかし原子力が人類にとって、地球にとって危険だというのは「現実」である。そこを勘違いしてはいけない。
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浅田真央さんの身長は意外に大きかった

2017-04-11 12:04:22 | スポーツ
 浅田真央さんが引退を発表した。

 浅田真央さんを実際の試合で見たことが一度だけある。埼玉スーパーアリーナで開催された全日本選手権だった。その時感じたのは、浅田さんは意外に身長が高いということだった。浅田さんというと小さいというイメージがある。おそらく小さいころの印象が残っていたからであろう。しかし、実際には女性としては大きなほうであった。もはや「真央ちゃん」という表現がしっくりこない、大人の女性の印象だった。

 これだけ身長があれば、当然体重は増えざるをえない。体重が増えればジャンプには筋力がより必要になる。筋力をつければ体重はさらに増える。昔は軽く飛べたジャンプもだんだん厳しくなってくる。さらには年齢による筋肉の衰えは如何ともしがたい。最近では綱渡りのような状態で演技をしていたのだろうと推測される。

 小さいころから有名人で、日本人にとって国民的なアイドルといっていい。その国民の期待に十分すぎるほどこたえてくれた。これまでの努力に感謝したいし、これからの活躍を期待する。本当にお疲れさまでした。
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ノラジョーンズコンサート(4月9日仙台ゼビオアリーナ)

2017-04-10 19:50:21 | ライブ・コンサート
 ノラジョーンズの来日公演。初日の仙台公演に行ってきた。ゼビオアリーナという体育館での公演。3000人くらいは入るであろう会場が満員である。

 前座があった。ノラジョーンズ以外のツアーメンバーが演奏する前座バンド。はっきり言ってもりあがらない。ジャンルもなんといっていいかわからない。前座なのに客席は真っ暗になって、客もどう反応していいかわからないような状況である。30分ちょっとほどの演奏で終了。20分の休憩。

 開演後1時間弱ほどしていよいよノラジョーンズの登場。最初の歌声からすべての雰囲気が変わる。やっぱりうまい。すばらしい。ジャズピアノもうまいし、歌はもちろんうまいし味がある。

 ノラはピアノ、エレキギター、エレピをバンドと一緒に演奏し、そのあとひとりになりピアノの弾き語り。最後にまたピアノをバンドと一緒に演奏し終了。アンコールは生ギターを持ち、バンドもアコースティックバンドになり、3曲演奏。1時間40分ほどのコンサートとなった。

 これと言った演出もなかったが、歌の力でしっかりと客を魅了していた。大きな会場dったが、ライブハウスのような距離感を感じさせるすばらしいコンサートだった。
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村上春樹『騎士団長殺し』①「気に入っていると本人は言っていたし、それを疑う理由もとくに見つからなかった」

2017-04-09 06:45:41 | 騎士団長殺し
 村上春樹の『騎士団長殺し』を読んでいる。気になったことをメモ的に書き残す。

 19「私の後ろに何が見える」307ページ。免色さんが「私」が描いた肖像画を、絵の具も十分乾いていないのに自分の家に持ち帰ったという話を聞いて、「私」の不倫相手の女性が、免色がその絵のことを「気に入ったのね」と尋ねたことに対して、

「気に入っていると本人は言っていたし、それを疑う理由もとくに見つからなかった」

と答えた。

 このセリフが気になる。とても理屈っぽいセリフである。論理的といえば論理的なのだが、実際の会話の中で使われるとふたりの距離感を示すことになる。「私」は常に冷静に論理的な思考をする人のようである。

 そのあとの回想場面で、宮城県の海沿いの町で出会った女性に、その時「私」が読んでいた森鴎外の『阿部一族』について説明したあと、

「私はその本を読み終え、もう一度読み返していた。話がなかなか面白かったこともわるが、森鴎外がいったい何のために、どのような観点からそんな小説を書いたのか、書かなくてはならなかったのか、うまく説明できなかったということもある。でもそんな説明を始めると話が長くなる。ここは読書クラブではない。」

 と簡単な説明にとどめた理由を理屈っぽく解説している。

 このような論理的な記載が村上春樹の小説には多かったような気もする。そして論理と現実のはざまで物語が生まれているような気もする。

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