とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

『べっぴんさん』は手を抜かなかった

2017-04-04 07:26:53 | TV
 朝ドラの『べっぴんさん』の最終回の視聴率が20%越えできなかったという話題がネットに流れていた。数字は伸びなかったかもしれないが、悪いドラマではなかった。『べっぴんさん』の良かった点、こだわっていた点をあげる。

 1点目。最近の朝ドラは軽いまんが的な展開が多かったのだが(否定しているわけではありません。)、『べっぴんさん』は、丁寧に描こうとしていた。製作者側の思いは強く伝わってきた。

 2点目。舞台が神戸を離れなかった。最近の朝ドラは主人公が移転して、そのたびに物語が展開していたのだが、そういうやり方をとらなかった。だから、登場人物も大きく変化することなく、主人公たちは最初から最後までずっと登場し続けた。登場人物たちの関係の変化は大きくはなく、そのために微妙な変化がドラマになっていったのだ。

 以上のように急激な展開はなかったが、ドラマとしては上質なものであった。すこし暗い話が多く、朝ドラとしてはチャレンジしすぎかなと感じることもあったが、手を抜かないでドラマを作ろうとする努力が感じられた。

 お疲れさまでした。

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2019年の大河ドラマの主役は中村勘九郎と阿部サダオだった!

2017-04-03 21:22:00 | TV
 2019年放送の大河ドラマは宮藤官九郎脚本で、タイトルが『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』に決定した。主演が中村勘九郎と阿部サダヲ決まった。

 私は勝手に堤真一が主演ではないかと予想していたのだが、外れて残念だ。しかし勘九郎も阿部サダヲも好きな役者なので楽しみであることは変わりない。

 これまでにない斬新で楽しい大河ドラマを期待する。


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書評『カラマーゾフの兄弟2』

2017-04-02 10:29:37 | 読書
 この第2巻は宗教の意味を問い続けている。ストーリーの展開は少ないが、人間の存在意義について考えさせられ、読者として追い詰められていく。かなり疲れる読書になってしまうが、この巻を読む体験が後半にどうつながっていくのかが楽しみになる。

 第2巻は第4編から第6編までの3編で構成されている。

 第4編で三男アリョーシャは長男ドミートリーの婚約者であるカチェリーナに頼みごとをされる。スネギリョフという男に見舞金を渡すように頼まれたのだ。スネギリョフは酒場でドミートリイに乱暴をされた。そこでスネギリョフがそのことでゴミトリーを訴えないようにしたのだ。しかしスネギリョフもこれをもらったら息子に向ける顔がないと見舞金を踏みつけにする。このスネギリョフの見舞金を断る際の描写は圧巻であった。人間の尊厳を守ろうとする心と、家族のために、生活のためにお金が必要だという葛藤が迫ってくる。

 第5編で、イワンは「大審問官」という自作の物語を語る。その中でキリストの復活と思われる存在に対して「大審問官」が言う。 「人間の自由を支配するかわりに。おまえはそれを増大させ、人間の魂の王国に。永久に自由という苦しみを背負わせてしまった。」
 さらに続ける「でも、おまえはほんとうに考えなかったのか。選択の自由という恐ろしい重荷に圧しひしがれた人間が、ついにはおまえの真実にも意義を唱えるようになるということを。」
 自由が人間を苦しめる。現代のわれわれの社会を混乱させている大きなテーマである。

 第6編でアリョーシャの師、ゾシマ長老が死の間際に自身の生い立ちを語る。ゾシマ長老が青年だったとき、自身が蒔いた種によって決闘するその前日、ひとつの気付きを得る。
 「母さん、ぼくと血を分けた大事な母さん、人間はだれでも、すべての人に対して罪があるんだよ、ただだれもそれを知らないだけなんだ、もしそれを知ったら、すぐに天国が現れるにちがいないんだ!」

 自由な人間は罪を犯す。しかしそれを自身は気づかずに生きていく。しかし自身の罪に気づけば、われわれは許され、心が解放される。このようなことを言っているような気がする。

 さあ、いよいよ第3巻に突入。物語は展開するのか。

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外国人力士への差別はあってはならない

2017-04-01 06:44:30 | スポーツ
 以前このブログで大相撲の日本人びいきを肯定する文章を書いた。日本人が日本人をひいきしてしまうことまで否定する必要はない、というものである。しかし、差別はいけない。

 春場所で照ノ富士に対して「モンゴルに帰れ」というヤジがあったそうである。これはスポーツの観戦中に言ってはいけないヤジである。明らかに差別だ。決して許してはいけない行為だ。今後このようなことがないような方策を相撲協会にはお願いしたい。

 外国籍の力士はどの力士も、自分の国の文化とは違う日本文化の中で苦労して生活している。しかも相撲の社会はさらに独特である。そのような外国人力士に対して思いやりの心を持ち、尊敬しなければならない。

 最近日本会議が力を持ち始め、日本のナショナリズムが台頭してきた。ナショナリズムが悪いことだとは思わないが、それが外国差別になるのならば、ナショナリズムの行き過ぎに対しては強く戒めなければならない。自分の国が好きというのは自然な感情であり、それを否定する必要はない。しかしその土台となるのは人間が好きだという自然な感情であり、外国籍の人だって好きだという気持ちである。そこに差別がうまれてはいけないのだ。


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(再掲)大相撲の日本人びいきについて

2017-04-01 06:41:19 | スポーツ
 今日のブログで話題にした去年(2016年)2月27日のブログを再掲します。

 今年の1月場所で琴奨菊が優勝しました。10年ぶりの日本人力士の優勝で大いに盛り上がりました。そのことについて、日本人力士へのひいきはおかしいという意見が聞かれます。多くの外国出身の力士は日本人以上に努力を重ねてきたから強くなったのであり、日本人だからと言って大きく取り上げるのはおかしいという意見です。

 この意見はもっともだと思います。琴奨菊に対する熱狂ぶりは他の外国人力士に対して失礼にも思えます。日本人力士の優勝が10年ぶりだということは、ここ10年は外国出身力士が大相撲を支えてきたわけです。だから外国出身力士に敬意を示し、琴奨菊への過度の熱狂は控えるべきにも思えます。

 しかし、別の視点もあるように思われます。

例えばテニスで私たち日本人の多くは錦織を応援しています。これは悪いことなのでしょうか。錦織を応援しているからと言って、ジョコビッチを嫌っているわけではありません。ジョコビッチの強さを認め、尊敬しながらも、錦織を応援しているのです。

ACミランの本田を応援します。サッカーのスターはほかにもたくさんいます。正直言って本田よりもすごいプレーヤーはたくさんいます。しかし、私たち日本人の多くは本田を応援しています。これは自然な感情です。悪いことであるとは思えません。

もし日本人選手を応援して外国人選手に対して失礼な態度をとるのならば大きな問題です。しかし、外国人のトッププレーヤーに対しての尊敬の気持ちは失っているようには思えません。レベルの高い場であるからこそ日本人の活躍を応援したくなるのです。

大相撲でも同じでしょう。白鵬は偉大な横綱でありみんなが応援しています。日本人よりも努力したからこそ、いまこれだけの優勝回数を重ねているのです。白鵬を尊敬、応援してない日本人はいません。その上で日本人である琴奨菊の優勝を自然な気持ちとして喜んでいるのです。これは大相撲が国際化するなかでの過程で当然のように起きることなのではないでしょうか。

国際化が叫ばれています。広く大きな世界的な視点が必要な時代になってきています。しかし、無理をしてまで「身びいき」を否定してしまったら自分の「拠り所」を見失い社会は大きく乱れ始めます。差別はいけませんが、「ひいき」は否定しなくてもいい。これが私の意見です。

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