「うぞうすい」の「わらじや」。京都国立博物館見学後の昼食にどうだろうか。
三条の手拭屋の暖簾。手拭屋だけに染めは、お手のものか・・・。
銀閣寺道に向かって、白川通今出川の交差点の手前を右折すると、柏家宏之菓舗がある。決してメジャーではないが、茶に合う和菓子を製造販売している。
下鴨茶寮。それなりの料亭である。
祇園の一力。一元客はお断り。行けるはずもなく、通りよりパチリ。
<続く>
当該ブロガー所有の3点の盤は、後絵の盤ではないのか?・・・その3点については、先に紹介した通りである。
先ず次の写真を見て頂きたい。20年前にチェンマイ・ターペー通りのアンティーク・ショップ(5-6年前に閉店)で入手した、見込みの盤片である。サンカンペーンの窯址から出土したと聞いたが、窯址名を訪ねたものの、それは不明であった。
角が2本あるが、足の蹄が見当たらない、しかし龍(ナーガ)とも思われない。この聖獣が何であるかは、ここでは置いておく。
その聖獣文は、同心円状の刷毛目が残る、白化粧の上に描かれている。描線には濃淡と部分的な滲みを認める。
高台底には、2箇所の膨らみを認める。サンカンペーンの盤には、少数ながらこのような膨らみと云うか”ブク”が認められる。胎土には気泡が多く、土練が不十分であると、胎土中の気泡が焼成時に膨張し、このようなブクとなる。これはサンカンペーンの一部の盤に見られる特徴である。上は高台底のブクであるが、見込み側を拡大すると・・・。
最初の写真の腹部のブクである。焼成時の気泡膨張により、貫入を拡大したようなクラックが網の目のように走っている。
これを後絵とするのか? 見込み表面にブクによる凹凸があるのに、あたかも平面に描いたような描線が描けるのか? 後絵とすると、何故破片にまで後絵を施すのか?・・・やはり、上の見込みの破片を後絵とするには、無理がある。そこで所有する3点のうち、最初の霊獣文盤である。
見込みは、上掲の写真同様刷毛目の残る白化粧に、鉄絵で文様が描かれている。
写真では見づらいが、この盤もブクを持っている。次の見込み拡大写真を見て頂こう、高台底で見られないブクを見込み側で見ることができる。
麒麟の腹部(赤丸)に認めることができ、やはり膨らみによるクラックが走っている。更に詳細に見ると、高台脇にもブクを認めることができる。
比較的ブクが分かりやすいため、赤丸は省略した。写真中央の高台脇のブクである。実はこの高台脇のブクは、最上段の見込み破片にも認められる。
2つの高台、高台底、高台脇の削り形状(器壁に沿って斜めに削られている)が同じで、鉄絵の筆致、特に顔の表情が似ていることから、同一陶工(画工)の手になるものと思われ、コレクションの霊獣文盤は後絵ではなく、本歌と断言できそうである。
バンコク大学付属東南アジア陶磁館での、レクチャーで紹介された後絵、それがなぜ後絵なのか、解析結果なり判断根拠が示されていないので、不明な点が多々ある。機会があれば再訪し、面識を得た学芸員氏に確認したいと思っている。
次回は蹲る見返り麒麟文盤について、再確認してみたい。
<続く>