<続き>
2つ目の盤である。後絵の可能性は20%程度であろうか? 後絵ではないと完全否定できる材料が若干不足している。
先ず口縁部である。比較的釉薬が厚くかかり、貫入が走るとともに鍔縁の蔓唐草の鉄分が釉薬に滲んでいる。
後絵の盤のほぼ決まりごとは、低火度釉薬と低火度で焼付可能な化学顔料である。この場合貫入は走らないし、鉄絵描線の滲みも見ない。つまり後絵の特徴は貫入なし、鉄絵は滲みと濃淡のない、比較的純粋な黒に近い発色をする。また釉の上に後絵をした場合は、描線の上にガラス質の釉薬がかかっていないため、ガラスの光沢はなく、上絵のみ浮き上がって見える。・・・この2つ目の盤にはそれが見当たらない。
光線の角度により、写真のように鉄絵が部分的に青色に見えたり、鉄絵独特の色彩の中に茶色に焦げたような斑点が見える。これは現代の低火度顔料では再現が困難である。
サンカンペーンの胎土の肌理の粗さは、共通認識である。それが盤表面の釉の肌に、焼成時吹き出しクレーター(但し針で突いたような痕跡)を無数に見る。後絵のあとの低火度釉は、平坦でこのような吹き出しをみない。
全体的な印象は「気になるサンカンペーン聖獣文・昆虫文盤 #1」で示した、見込み破片の聖獣文に似た筆致である。同工(同絵付工)の手であると思われる。
以上が80%の確率で、後絵ではないとする根拠である。しかし、上記のことまで真似る後絵職人の存在を、完全否定することができない。技術の進歩は凄まじく、あたかも本歌と同じように写すことも可能と考えられるからである。
残念ながら炭化物は付着しておらず、更には付着していたとしても後絵のことなので、正確をきすからにはC-14年代法は使えない。可能性が残るのは、熱ルミネッセンス法であるが、この方法で後絵の焼成年代が測定できるのか?・・・知識を持たない。幸い地元は古代・出雲の地で考古学はそれなりに進んでいる。松江に分析業者が存在する。近々問い合わせてみたい。
<続く>