――荻原秀三郎著『稲と鳥と太陽の道』―― シリーズ(12)
荻原秀三郎氏の著作『稲と鳥と太陽の道』を読んで触発されたわけでもないが、稲魂が初穂に宿る収穫儀礼が北タイにも存在し、同様に日本列島にも存在する。比較検討してみたい。
荻原秀三郎氏は、『春社、秋社と田ノ神』に関する一節で、“融水苗族は春社と秋社を祀る”・・・として、田の一画に草葺きの小祠をたて田ノ神を祀る様子が写真入りで紹介されている。
北タイの少数民族もまた同じような収穫儀礼を執行している。タイ・ヤーイ(シャン)族の場合は、田の畔にケーン・ピーと称する小祠をたてる。この中に供物がそなえられる。ここに善きピー(精霊)を招き、稲作の守護を祈願し、豊作が得られたら更に多くの供物を捧げる。
特に重要なことは、初穂に稲魂が宿るとして、脱穀をする田の中央に竹竿をたて、これに一束の初穂を結びつける。この穂の中に稲のカミ・稲魂が籠るという。また同じ竹竿に籠をくくりつけ、その中に稲のカミへの供物をそなえる。竹竿の根元には土地神(水神ともいう)への供物がそなえらいれる。
これがタイ・ヤーイ族の収穫儀礼で初穂が重要視されている。その後脱穀作業を行い、それを終えると籾を計量して米倉へ運び込む。その時初穂は地面にたたきつけて脱穀するのではなく、特別に手にて籾をはずし小さい籠におさめ、数多くのターレオ(悪霊侵入防止の呪標)を結びつけて米倉の上に置く。この籾は翌年の種籾の種籾に混ぜて使用する。
北タイでみた稲魂を祀る事例は、我が島根県でもみることができる。出雲大社の古伝新嘗祭には、担い棒の前後に稲束と瓶子を、別火姿の禰宜が担いで立つ儀礼が行われている。この行事を穀霊(稲魂)を祀る古い儀礼であるという。ココ参照。
また松江市秋鹿町では“おもっつぁん”と呼ぶ稲魂を祀る祭りが行われている。それは大餅を葛でからみ、これを堂内に高く掲げて稲魂を籠らせる。その餅に牛王宝印や御幣をつけたりする。そして畳をバタバタ打つという。これは稲魂の儀礼で、餅は稲魂の依代である。
荻原秀三郎氏は、融水苗族は祭礼や儀礼の際に丸餅を供えると記されている。日本と同じようだ。
更に江津市桜江町長谷は旧石見国の山間の農村である。ここで行われる『お改め神事』は、稲籾をカミの実とする。その年の新稲籾と、社殿に安置された箱の中の稲籾とを入れ替える神事である。箱の中に楮紙(こうぞし)に包まれている稲籾を取り出し、悪い籾を捨て新しい籾と取り替える。そのあと箱の上に鈴をつけて揺り動かし、もとに納める祭祀のあとに模擬田植えとシシ打ちを行う。そのシシは餅でつくられている。識者によれば、この一連の祭祀は稲魂誕生儀礼であるという。
中国の稲作地帯では、どのような収穫儀礼が行われているのか、寡聞にして知らないが、北タイも日本列島も中国の儀礼から派生したものと考えられるが、儀礼の内容はやや異なることから、各地で独自に進化したものと思われる。しかし、初穂にカミ(稲魂)が宿る概念は同じである。
<シリーズ(12)了>