世界の街角

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島根の東は荒神、西は大元神(3)

2020-12-24 07:58:20 | 道祖神・賽の神・勧請縄・山の神

<続き>

日本では「神」が社を依代とするようになるのは、出雲国風土記の記載から察するに、古墳時代中期以降(根拠は希薄であるが、傍証として5世紀後葉の石田遺跡(松江市浜佐陀町)の祭祀址から高床建物の扉板が出土しており、祭祀の場に相応しい建物が在ったであろうと想定されている)と思われる。

それは、以下の埴輪でも裏付けられると考えるが如何であろうか。

過去2回にわたり今回のテーマである『島根の東は荒神、西は大元神』とは、あまり脈絡のないことどもを記してきた。

以下、荒神も大元神も古代からのアニミズムから派生した民間信仰以外の何物でもないと認識している。荒神祭祀と大元神祭祀は、共に類似している。柳田国男氏は、荒神や大元神などの『雑神』信仰に共通するのは、境の神(サイノカミ)=道祖神にみられるように、ムラ境に祀られて、外からの脅威にムラの人々を守る神としての信仰に求められると喝破し、荒神を荒振る神と捉えた。

先ず、荒神をご覧いただきたい。写真の神木に巻き付く藁蛇=荒神は、出雲市東林木町・都我利神社の境内奥に祀られている。藁蛇の頭部は実物の蛇に似せて作られている。

この蛇に似せることは水の恵みを受けて、豊作の予祝や収穫を願う目的と祖霊を祀る目的であろう。ところで、この荒神の神格がはなはだ曖昧である。旧出雲国では、藁蛇が捲きつく神木や大石・石塔などの、いわゆる地荒神と祠に鎮座する三宝荒神がある。この三宝荒神の祭神は素戔嗚命であったり、他の神々であったり定まらない。

上のGoogle Earthに旧出雲国・旧石見国の領域に鎮座する荒神や荒神社をプロットした。不思議なことに旧出雲国に荒神は多いが、旧石見国には僅か2箇所のみである。Wiki Pediaによると、島根県には120社の荒神・荒神社が存在するというが、プロットしたのは50社強で漏れが多いので断言はできないのだが・・・。

出雲地域でも平野部に集中しており、中でも出雲大社周辺に多い。

分布の偏りは何なのか? 新たな疑問が湧くが今回はPendingとしておく。

<続く>