世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

島根の東は荒神、西は大元神(2)

2020-12-23 08:11:54 | 道祖神・賽の神・勧請縄・山の神

<続き>

日本でも北タイでも森に降臨し大木に依りつくカミは、時代がくだるにつれて人間社会の統制下におかれるようになり、木の根元に建てられた小祠におさまり、あるいは村に近い水田の中に残された樹叢のなかの小祠(残念ながら北タイの樹叢の小祠は未見である)に宿ることになった。カミを小祠に祀り、それに供物をそなえることによって、村人が災難を免れ、村の繁栄をきたしたという筋である。このころから、山や森の荒ぶるカミが村をめぐる土地と村人との守護神に転化したのである。北タイでホーピー(精霊の家)と呼ばれている小祠は日本の屋敷神と同じである。

(ホーピー)

ここで北タイの小祠について触れたが、この小祠は北タイも日本も後世の代物である。

やや冗長になって恐縮であるが、『出雲国風土記』に「大神(大神とは所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)つまり大国主命のこと)」、「」、「」が登場するのは、全部で29箇所にのぼる。それらは「島根郡条」の5箇所を除き、いずれも山に坐したり山に関連している。

日本の古代の神観念は、神は山に坐すとされていた。山中や山峯に在る神の社は、祠ではなく自然物であった。その『出雲国風土記』秋鹿郡安心(あし)高野条によれば、“山に樹木は生えていないが、ただ峯にだけ樹林がある。これが即ち神の社である。”・・・と記されている。同じく『出雲国風土記』秋鹿郡神名火山条では、神は山に坐すが、これを祀る社は山の麓にあると記されている。

社を設けた山の麓、つまり『山口』とは、山からもたらされる水を享受する場所であり、恵みをもたらす自然界とそれを得て耕作する人工的な空間との境界をなしている場所で、この概念は先にも記したように北タイも同様である。

つまり、日本では「神」が社を依代とするようになるのは、出雲国風土記の記載から察するに、古墳時代中期以降(根拠は希薄であるが、傍証として5世紀後葉の石田遺跡(松江市浜佐陀町)の祭祀址から高床建物の扉板が出土しており、祭祀の場に相応しい建物が在ったであろうと想定されている)と思われる。

<続く>