世界の街角

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島根の東は荒神、西は大元神(1)

2020-12-22 07:38:14 | 道祖神・賽の神・勧請縄・山の神

以下、前置きが長く且つ長文で恐縮である。地元の民間信仰と云うか土着信仰に興味津々である。理由は簡単、1995年―1999年に仕事の関係でタイ王国・北の薔薇で微笑みの・チェンマイ(実は何が薔薇なのか、やや理解に苦しむが)に赴任した。北タイは多種多様な霊(ピー)や魂(クワン)が存在し、万物に依りつくという。多くの家々には、サンプラプームと呼ぶ土地霊とか家屋霊の柱上祠が存在する。

(サンプラプーム)

所謂アニミズムと云うか精霊信仰は、我が国でも太古の昔から存在した。つまり北タイとよく似た状況であり、それは北タイと同じように今日まで信仰されている。飛躍したモノイイをするなら、北タイのアニミズムを理解すれば、日本の太古の様子が推し量られると思われることが、興味を持つ理由である。

噺がやや反れた。太古の昔より、万物には精霊が宿るとされてきた。人は大自然に抱かれ、生きとして生けるものの生と死、多産と豊穣、天変地異などは、大自然のなせる業であった。その自然現象に左右された太古の人々には、自然こそ「カミ」として敬い、恐れる対象であったと思われる。その自然の「カミ」とは、自然界の万物に宿る霊魂=精霊であり、その精霊を信仰の対象としていた。

縄文時代、自然の中に満ちていた無数の精霊(カミ)は、弥生時代になると稲作の開始と共に、それに関わるカミ(稲魂、穀霊)と祖先のカミ(祖霊)を中心に、まとまっていった。その祖霊が祖神となり、やがて地縁集団による産土神信仰に繋がっていったと思われる。

その弥生期、稲作を中心とするムラごとの農耕の祀り(祭り)が執行され、春には豊作を祈願(予祝儀礼)し、秋には収穫に感謝(収穫儀礼)する祀りが行われていた。これらの儀礼では、カミを招くために、音曲を要したと思われ、弥生期の祭祀址と思われる遺跡からは、銅鐸や土笛が出土する。

ここでは音曲についてはPendingするが、太古から古代において、これらのカミは自然物、例えば大岩や樹林、大木・巨木に依りついたであろうことは、日本も北タイも同じであった。

タイ族、ラオ族は、巨木(聖木)に宿るカミをピーマイニャイ(大きな樹の精霊)と呼び、折々に供物をそなえて祈る。また、森の中のとくにこんもりと茂った樹叢には、ピーパー(森の精霊)が宿ると云い、ときとしてそこに小祠を見ることがある。

<続く>