世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

稲作漁撈文明(拾八)

2021-09-02 07:57:32 | 日本文化の源流

DNAが語る民族移動

以下、安田教授の著述内容である。“篠田謙一氏は現在の中国人や東南アジアの人びとのミトコンドリアDNAのハプログループM8aの塩基配列をもつ集団別分布を分析した。その塩基配列を多くもつ集団は現在の漢族に多く、その周辺に居住する雲南の少数民族やアイヌの人々は全くもっていなかった。ベトナムやカンボジアの人々、朝鮮族や日本人は、その塩基配列の頻度が漢族よりはるかに低かった。

M8aの集団別頻度分布図を見れば、明らかに現代の漢民族のルーツになる人々が北西から東アジアの民族集団に割り込んできたようにみえる。4200年前と3500年前の気候の寒冷化によって、長江文明は崩壊した。その背景にはこの気候悪化によってM8aの塩基配列をもつ集団が、中原から長江にかけて一気に拡散したことが、長江文明崩壊の原因になっている。

4000年前の長江流域で暮らしていた人々は抜歯の風習をもっていた。しかし西北方からやってきた人々は抜歯の風習をもっていなかった。こうして4200年前と3500年前の気候大変動によって、東アジアでは民族大移動があった。結局、抜歯の習慣をもつ人々を抜歯の習慣を持たないM8aの塩基配列をもつ集団が追い出したことになる。

長江流域で抜歯の風習をもち、大きな歯をもった人々は雲南や貴州さらには、メコン川やメナム川、更には紅河を下って、ベトナムやタイさらにはカンボジアへと逃れた。一方、長江下流域の人々はボート・ピープルとなって、台湾や日本列島に遣って来た。彼らは故郷でおこなっていた抜歯の風習を縄文時代の社会に伝え、弥生時代になっても守りとおした。それは周辺に古い文明の要素が残る「抜歯周辺文明論」で説明できるであろう。

抜歯が残ることから分かるように、すでに縄文時代後期に中国大陸と日本列島は、密接な交流があった。過去に賀川光夫氏は、大石遺跡の発掘により出土した黒陶土器の分析により、中国大陸との交流は縄文時代後期に遡ることを指摘している。

カンボジア・プンスナイ遺跡においても、中国・長江流域の黒陶や太陽紋をつけた土器が発見され、メコン川を下って長江流域の人々がやって来ていた可能性が高い。プンスナイ遺跡から発見された土器に描かれた太陽紋は、雲南省羊甫頭遺跡出土の土器に描かれた太陽紋に似ている

日本人のDNAは、漢族に多M8aの塩基配列をもつ人々の比率は低く、極めて多様性に富んでいる。このことは日本列島において、大陸で見られるような一つの集団を大量虐殺する事実が存在しなった。旧石器時代のDNAを持つ人々、縄文時代のDNAを持つ人々、弥生時代に長江からやってきた人々、古墳時代に大陸や朝鮮半島から渡ってきた人々など、お互いがお互いを殺戮することなく、日本列島の中で暮らしてきた人々であり、これこそ世界に誇るべきことである“・・・以上である。

ここで、どうでも良いような話題を2点。

中国の学者の中には、“羌族(チャンぞく、きょうぞく・チベット系少数民族)が古代漢族の祖である”と云う。羌族は、中国の西北地方に拠った古代牧畜民である。漢字成立以前の殷時代の甲骨文のなかに、異民族としてがでてくるという。個人的には安田教授の記述に在るように、漢族の源流は更に西北方であったと考えるが、羌族と漢族は兄弟分かと思われる。

2点目は、プンスナイ遺跡出土の太陽紋土器である。それこそどうでも良いようなことを針小棒大に述べるつもりはないが、プンスナイと羊甫頭出土の太陽紋が似ているとの記述には同調しかねる。

(出典:安田喜憲著『稲作漁撈文明』)

ここでプンスナイ遺跡出土の太陽紋が分かりにくいので、下にスケッチを掲げておく。

これと羊甫頭遺跡出土の太陽紋と似ているかどうか? 安田教授は似ているとの指摘である。当該ブロガーは似て非なるものと考えている。長江流域の太陽紋土器文様は約4000年前、羊甫頭遺跡は前漢中期末(紀元前100年頃なので約2100年前)、プンスナイは約1700ー1800年前頃)であり、南下過程と時間の経過により、太陽紋が変形した過程が示されない限り、プンスナイと羊甫頭の太陽紋は似ているとは指摘できないであろう。

プンスナイの太陽紋と指摘されている文様は、北タイの陶磁器文様に登場する。それが下のサンカンペーン印花文盤である。

(当該ブロガーのコレクションより)

それこそ時代観は大いに異なる。サンカンペーン陶磁は14世紀の焼成である。しかし、文様は似ている。このサンカンペーン陶磁の文様は太陽紋ではなくピクンの花文様と云われている。

写真がピクンの花であるが、ピンボケで恐縮である。場所は在チェンマイ日本総領事館前の庭で見たものである。

安田教授指摘の太陽紋は花卉文様の可能性も考えられる。どうでも良いような蛇足をした、恐縮に感ずる次第である。

<続く>