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当該博物館は2度目である。前回は10年前だったかと思うが、当時気が付かなかったのは、魯迅と交友をつないだ増田渉氏なる人物である。その氏を顕彰する一画が在った。
日清・日露戦争以降の中国人として、孫文については大いに興味があり、ホノルルやペナン等の足跡を回ったりしたことがあるが、魯迅については全く知らない。
その魯迅は1902年日本に留学した。彼が19歳の時である。仙台医学専門学校に入学し医学を目指すも、中国人は心が病んでおり、その精神を改造するには文芸が第一だとして、文芸運動を起こした。その後、1909年に帰国し1936年上海にて急逝した。孫文未亡人の宗慶齢、毛沢東、内山完造等が葬儀委員となり、万国公墓に葬られた。
増田渉氏は東京帝大卒後の昭和6年に上海に遊学し、内山完造の紹介により魯迅と交友をむすんだという。魯迅の上海時代のことである。
増田渉氏と魯迅の交友については、この展示をみるまで全く知らなかった。
<了>
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