<続き>
昨日の続編として、復元ジオラマの男性は右手に漆塗りの碗をもっている。中味は強飯(こわいい)か姫飯(ひめいい)であろうか。強飯なら手食であろう。姫飯なら匙(さじ)と思われるが、どうであろうか。
無知と云おうか知らなかったが、菜畑遺跡の始まりは縄文前期のようである。相当古い遺跡ということになる。その証拠が出土する轟式土器の出土である。轟式土器から西唐津式土器に変遷するようだ。西唐津式土器の模様が朝鮮半島起源であろうとのパネル説明である。
縄文時代前期後葉には曽畑式土器が出土しているとのこと。曽畑式土器の特徴は櫛目文土器である。
下段左・中央・右の土器片を御覧願いたい。櫛目文が装飾されている。これは、ほぼ間違いなく同時代の朝鮮半島から出土する櫛目文土器の影響を受けている(下掲写真)。倭と呼ばない上古日本と朝鮮半島の交流は、弥生時代などではなく、縄文前期から始まっていたのである。丸木舟であろう。フロンティアそのものだ。
半島出土の櫛目文土器 韓国中央博物館HPより
<続く>
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