先日、グーグルアースを借用して東南アジアの形式別窯分布図を示したが、一部不正確な内容を記述したようで、申し訳ないと考えている。舛添のおっさんと云うより爺さんのようで恐縮であるが、参考文献を“精査”した結果、以下のように修正したい。合わせて書き足りないこともあった。それらについては、追記したいと考えている。
先ず、窯のタイプであるが、津田武徳氏の分類に従って示すと、以下のような系統図になる。
ここで、クメールやチャンパの窯である長方形の窯タイプのグーグルアースへの記載は省略する。
注目すべきは、北タイに多い横焔式地下・半地下窯(平面プランは楕円形)をミャンマーでも見ることができる。
注目すべき2点目は、中部タイに多い楕円形の横焔式地上窯も、ミャンマーで見られる点である。
注目すべき3点目は、シーサッチャナーライの最下層から出土するモン(Mon)窯は北タイと同じ、横焔式地下窯である。
これらをグーグルアースへプロットすると、次図となる。
最初に、上図にある中部タイに多い、楕円形プランの横焔式地上窯をご覧頂きたい。
(メナム・ノイ窯:グーグルアースに掲載されている写真を拝借した)
(シーサッチャナーライ窯:タイ政府観光局HPより)
(パーン・ポンデーン窯:当該ブロガー写す)
(ラグーンビー窯:ミャンマー政府考古局HPより)
次に北タイに多い、楕円形の横焔式地下・半地下窯の一部を紹介する。先ず、シーサッチャナーライの最下層から出土したモン窯である。
(シーサッチャナーライ・モン窯:タイ政府観光局HPより)
(パヤオ・ポーウィーターエン窯:当該ブロガー写す)
(チェンマイ県メーテン郡・インターキン窯:当該ブロガー写す)
(残念乍らミャウンミャ窯址写真が存在しない)
このようにして見ると、続報が出ていないKaw Don村の窯は、どのようなタイプであるのか、興味深々である。
中部タイはアンコールに支配された歴史をもち、クメールやクイ族の影響を受けた文化を持つが、モン(Mon)族の故地でもある。そうであるかどうかの確証はないが、彼の地に多い楕円形横焔式地上窯は、クメール系統に多い長方形横焔式地上窯と、北タイに多い楕円形横焔式地下・半地下窯の折衷形をなしている。
しかも、シーサッチャナーライの最下層はモン窯で、これは楕円形横焔式地下窯である。モン族が長らく製陶に携わってきた証であろうか。
北タイはタイ族が南下する前はラワ族が先住し、モン族のハリプンチャイ王国も存在していた。理解できないのだが、楕円形の横焔式地上窯と同地下・半地下窯の双方にモン族が絡んでいるように思われる。ミャンマーの下ビルマもモン族の故地である。従って彼の地に存在する双方のタイプの窯も、彼らのなせる業であろうと考えられる。
そのような中で、錫鉛釉緑彩陶窯址が発見されたKaw Don村の窯は、どのようなタイプであろうか? 地上式であっても地下・半地下式であっても、驚くことにはならない。なぜなら上述のように、彼の地には双方のタイプが存在するからである。
<続く>
先ず、窯のタイプであるが、津田武徳氏の分類に従って示すと、以下のような系統図になる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/06/42f6b5fc40912de65a762d7c309e56c2.png)
注目すべきは、北タイに多い横焔式地下・半地下窯(平面プランは楕円形)をミャンマーでも見ることができる。
注目すべき2点目は、中部タイに多い楕円形の横焔式地上窯も、ミャンマーで見られる点である。
注目すべき3点目は、シーサッチャナーライの最下層から出土するモン(Mon)窯は北タイと同じ、横焔式地下窯である。
これらをグーグルアースへプロットすると、次図となる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/51/f4b9dc1ff75c61111e04d9035fa5ad8f.png)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/c5/d079f9cc01bdefd376cd34e22ac86ba7.png)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/96/8c4520cd53d6d81d484aad4d15ee26f4.png)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/c1/0b206bcdf37e7cabe507f73f35982ca9.png)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/f5/9d41afe012ca90613aea3e146128858a.png)
次に北タイに多い、楕円形の横焔式地下・半地下窯の一部を紹介する。先ず、シーサッチャナーライの最下層から出土したモン窯である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/92/ad15d538eacb007f0d466eb8b73be444.png)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/08/2c48673bbd0e9b5e1669967c00492293.png)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/84/213fe86091bfabc2b6cc41bf9faf14e4.png)
(残念乍らミャウンミャ窯址写真が存在しない)
このようにして見ると、続報が出ていないKaw Don村の窯は、どのようなタイプであるのか、興味深々である。
中部タイはアンコールに支配された歴史をもち、クメールやクイ族の影響を受けた文化を持つが、モン(Mon)族の故地でもある。そうであるかどうかの確証はないが、彼の地に多い楕円形横焔式地上窯は、クメール系統に多い長方形横焔式地上窯と、北タイに多い楕円形横焔式地下・半地下窯の折衷形をなしている。
しかも、シーサッチャナーライの最下層はモン窯で、これは楕円形横焔式地下窯である。モン族が長らく製陶に携わってきた証であろうか。
北タイはタイ族が南下する前はラワ族が先住し、モン族のハリプンチャイ王国も存在していた。理解できないのだが、楕円形の横焔式地上窯と同地下・半地下窯の双方にモン族が絡んでいるように思われる。ミャンマーの下ビルマもモン族の故地である。従って彼の地に存在する双方のタイプの窯も、彼らのなせる業であろうと考えられる。
そのような中で、錫鉛釉緑彩陶窯址が発見されたKaw Don村の窯は、どのようなタイプであろうか? 地上式であっても地下・半地下式であっても、驚くことにはならない。なぜなら上述のように、彼の地には双方のタイプが存在するからである。
<続く>
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