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続・錫鉛釉緑彩陶窯址発見で思うこと・その1

2016-06-25 07:55:07 | ミャンマー陶磁
先日、グーグルアースを借用して東南アジアの形式別窯分布図を示したが、一部不正確な内容を記述したようで、申し訳ないと考えている。舛添のおっさんと云うより爺さんのようで恐縮であるが、参考文献を“精査”した結果、以下のように修正したい。合わせて書き足りないこともあった。それらについては、追記したいと考えている。
先ず、窯のタイプであるが、津田武徳氏の分類に従って示すと、以下のような系統図になる。
ここで、クメールやチャンパの窯である長方形の窯タイプのグーグルアースへの記載は省略する。
注目すべきは、北タイに多い横焔式地下・半地下窯(平面プランは楕円形)をミャンマーでも見ることができる。
注目すべき2点目は、中部タイに多い楕円形の横焔式地上窯も、ミャンマーで見られる点である。
注目すべき3点目は、シーサッチャナーライの最下層から出土するモン(Mon)窯は北タイと同じ、横焔式地下窯である。
これらをグーグルアースへプロットすると、次図となる。
最初に、上図にある中部タイに多い、楕円形プランの横焔式地上窯をご覧頂きたい。
      (メナム・ノイ窯:グーグルアースに掲載されている写真を拝借した)
         (シーサッチャナーライ窯:タイ政府観光局HPより)
          (パーン・ポンデーン窯:当該ブロガー写す)
        (ラグーンビー窯:ミャンマー政府考古局HPより)
次に北タイに多い、楕円形の横焔式地下・半地下窯の一部を紹介する。先ず、シーサッチャナーライの最下層から出土したモン窯である。
        (シーサッチャナーライ・モン窯:タイ政府観光局HPより)
         (パヤオ・ポーウィーターエン窯:当該ブロガー写す)
      (チェンマイ県メーテン郡・インターキン窯:当該ブロガー写す)
           (残念乍らミャウンミャ窯址写真が存在しない)
このようにして見ると、続報が出ていないKaw Don村の窯は、どのようなタイプであるのか、興味深々である。
中部タイはアンコールに支配された歴史をもち、クメールやクイ族の影響を受けた文化を持つが、モン(Mon)族の故地でもある。そうであるかどうかの確証はないが、彼の地に多い楕円形横焔式地上窯は、クメール系統に多い長方形横焔式地上窯と、北タイに多い楕円形横焔式地下・半地下窯の折衷形をなしている。
しかも、シーサッチャナーライの最下層はモン窯で、これは楕円形横焔式地下窯である。モン族が長らく製陶に携わってきた証であろうか。
北タイはタイ族が南下する前はラワ族が先住し、モン族のハリプンチャイ王国も存在していた。理解できないのだが、楕円形の横焔式地上窯と同地下・半地下窯の双方にモン族が絡んでいるように思われる。ミャンマーの下ビルマもモン族の故地である。従って彼の地に存在する双方のタイプの窯も、彼らのなせる業であろうと考えられる。
そのような中で、錫鉛釉緑彩陶窯址が発見されたKaw Don村の窯は、どのようなタイプであろうか? 地上式であっても地下・半地下式であっても、驚くことにはならない。なぜなら上述のように、彼の地には双方のタイプが存在するからである。


                             <続く>


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