Bujang Valley(Bujang Kingdom) の遺物を1点紹介忘れがあったので、それから紹介する。
この碑文はプジャン渓谷(王国)の領域であるSeberang Praiに、西暦400年頃インド商人によって建立された。キャップションによると、ブッダグプタという船長(大乗仏教徒)が安全祈願のために奉納したものと云われており、そこには地名が記されている。地名はサンスクリットでPaktamrttika(赤土国)と云われる。ペナン島の対岸バター・ワースの南東10kmのSeberang Praiは、現在のBukit Mertajamである。
キャップションによると、Prak州Jalongで出土したことからJalong肖形と呼ばれている由。
ジャワでは、これはAgastyaとして知られており、長髪と髯、大きな目をもつ人物として描写されている。特徴は腹が膨らみ素足である。右手には聖水の入る瓶を持つ。右肩から腰に至る鋳込み時の痕跡が残っている。別名Kuhmbahoniと呼ばれ、聖水を運ぶ人物を意味する。
ジャワで8世紀頃、クドゥ盆地を基盤に成立したサイレンドラ王国。その王国は7世紀頃にスマトラ島南東部のパレンバンの地に勢力を誇ったシュリービジャヤ王国と同族だったようである。そして仏教を奉じていたという。この像は9世紀から11世紀のシュリービジャヤーサイレンドラ時代のシンボルの一つと、キャップションは記す。Agastyaはラーマヤナとマハバーラタに登場する聖仙である。
キャップションによると、Avalokitesvaraとなっている。それはBodhisattva(菩薩)に他ならない。観音菩薩は現世利益を説く。東南アジアでは観音信仰も盛んである。12世紀に造像されたと記されている。
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