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今回は立岩遺跡出土の石器、炭化米、貝輪などを紹介する。貝輪の材料は南海から求めたものである。
石包丁の形は、場所により多少の違いはあるようだが、日本の弥生遺跡から出土するものの基本形は同じようである。全国の弥生遺跡から出土する石包丁の総合計は、如何程か知らないが相当数にのぼるようだ。稲作の出現により、弥生人の人口は拡大していった。魏志倭人伝は、奴国は二万余戸、邪馬台国は七万余戸と記している。立岩遺跡のある飯塚市は、邪馬台国の時代には「不弥国(ふやこく)」と考えらえている。立岩遺跡は不弥国の中心として、それなりのコミュニティを形成していたと考えらえれる。
<続く>
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