世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

東南アジア3都市で滞在した13カ月・(7)

2019-01-26 08:34:40 | 日記

セブは2度目である。周囲の市町でメトロ・セブを形成しており、総人口は300万人にせまる。中心部は高層ビルが立ち並び、GDP年成長率は6%を維持している。羨ましいかぎりだ。

滞在先はセブ到着前から東横インに決めていた。4カ月滞在し良い点悪い点全て分かったが、下層階がJセンターモールで超便利であった。

セブはマゼランの到達により、歴史上誕生したといって過言ではなかろう。キリスト教が布教され、従来のイスラムが消滅したのである。

中世の妖艶な金製菩薩像である。イスラムと共に仏教も信仰されていたが、現在は消滅したに等しい。

高床式住居に甕棺墓を見る土地柄である。柳田国男の『海の道』は稲作伝播経路を云ったものである。単なる物語りではなく、それなりの可能性を感じた。台湾がどうなっているのか興味津々である。セブは火災が多いとの印象が残った。当初は昼火事が異常に多いとの印象であったが、帰国前1カ月は夜火事の多さも経験した。

大晦日のカウントダウン花火はそれなりの規模で、あちこちから打ちあがった。

元日の日の出は残念ながら雲に覆われていた。写真は大晦日の日の出である。

セブの交通事情は最悪、今後LRTなど計画されているようだが?とにかく渋滞が酷く、出かける気にならない。

帰国はセブ→関空直行便の選択をせず、マニラ経由とした。この選択がまずく、マニラ国内線ビルから国際線ビルに移動するのに往生した。この間の事情は後日記事にしたいが、セブから日本へ帰国する際は直行便を選択されることをお薦めする。

<了>

 


東南アジア3都市で滞在した13カ月・(6)

2019-01-25 08:48:32 | 日記

ランプーンは久し振りである。ワット・ハリプンチャイを発着点に名所旧跡(11箇所)巡りのトラムが運行されているとのことで出かけてみた。タイ国鉄で行く方法もあるが、チェンマイ駅は市街地の東方外れで不便、ランプーン駅に着いても不便。結局バスしかない。バスはチャンプアック・バスターミナルないしはワロロッ(ト)のいずれかで乗車。時間に余裕を見て午前8時には乗車したい。ワット・ハリプンチャイの裏門辺りにバス停がある。トラム乗り場は、裏と反対側の山門内。写真の山門をくぐった処である。

山門の横にも左右に、日本で云うところの法花が水瓶にいけてある処も門である。

トラムは黄色ですぐわかる。定刻午前9時半発車。予定では12時頃帰着の予定で11箇所巡りである。

ハリプンチャイ王国を建国したチャーマティーウィ女王像。花が涸れることはなさそうだ。

グーチャーン・グーマー遺跡のうちのグーチャーン遺跡。募塔の形状にミャンマーの影響を感ずるのは、当該ブロガーのみか?

ということでワット・ハリプンチャイに戻れば、お猫さんが気持ちよさそうに昼寝である。

早速真似をしたいが、適当な場所がない。チェンマイーランプーン道路に面したところに喫茶店がある。そこで休憩。

<続く>

 


東南アジア3都市で滞在した13カ月・(5)

2019-01-24 07:46:58 | 日記

帰国2週間経過して風邪をひきダウンした。よりもよって最も寒い時期に帰国したものだ。

チェンマイのシャン族寺院であるワット・クータオ。団子3兄弟のような仏塔が著名であるが、雌雄のハムサ柱を見ることができた。写真は堂に向かって右側のハムサ柱である。ハムサはハンサワディーペグー朝建国神話に登場する。ハムサはハンサとも云い、タイでホン、ミャンマーでヒンダとも云う。

ロッブリーはクメール帝国の西の拠点であった。石造の建造物はクメール様式によるものである。

シンブリーのワット・プラプランの地にメナム・ノイ古窯が存在していた。大規模な地上式の横焔式単室窯である。その規模はイサーンのクメール式単室窯といい勝負である。

ロッブリーのプラナーラーイ国博は展示物もさることながら、そのアプローチが印象に残っている。

ロッブリーからアユタヤまではタイ国鉄チェンマイ線に乗車。時刻は相変わらず守られない見本のようである。

 アユタヤは過去に何度か訪れている。観光地の写真を並べてもしようがないので1枚だけ。

コンムアンは日本大好きだ。MAYAでおこなわれた日本祭りの一コマ。

写真は代表的な観光客目当てのパインボードある。メニューの写真につられてオーダーした。

ロイヤルプロジェクトは日本産の果物を、タイ北部の山岳地帯で栽培している。種類としては、ほぼ出尽くしたのではないか。桃は1玉40バーツだが、味は全くの期待外れ。柿はkg当たり30バーツ、徐々に糖度が増してきているように感ずるが?。

<続く>

 


東南アジア3都市で滞在した13カ月・(4)

2019-01-22 06:59:39 | 日記

13カ月のうちチェンマイは半年滞在した。毎度のことだがVISAの期限が短く、手続きに時間がかかる。改善できないものとかと毎回思う。以下、チェンマイで記憶に残った事どもを紹介してみたい。

ニマンへ―ミン通りの界隈は、各ショップのコマーシャル・デコが並んでいる。日本の商店街もこの手のことをすれば、話題性があり集客効果も発揮できると思うが?

ようやく赤ソンテゥ(シーロ)以外の公共交通機関が運行を開始した。やーめたにならないことを願う。チェンマイ空港発着の路線もあり、旅行者にも利用できるのが嬉しい。下のようなプリペイド・カードも発行している。

暫く改装工事をして閉館していた、チェンマイ国博がリニューアル開館した。展示内容は全面変更され、見やすくなっている。チェンマイ旅行の際訪れて、当地の歴史に思いを馳せられてはどうか。

サンカンペーンのワット・チェンセーン古窯址は、これで4度目である。窯址の覆屋が半壊状態であったが、新しい覆屋にかわり整備されていた。

その帰りにタイ・ヤイ(シャン)族の出家行事である『ポイサンロン』にであった。10歳前後であろうか、3日間にわたって祝うという。彼にとって良い生涯でありますように。

チェンマイの南にハンケーオとよぶ素焼き土器作りの村がある。回転轆轤を使うのではなく紐作りで、陶土を紐のようにしてそれを積み上げ、写真のように成形していく。まるで轆轤で作ったように均整がとれている。

滞在期間中にワット・チェディールアンでサオ・インターキン祭りがあったので行ってみた。上の写真はその一コマである。

 

<続く>

 


東南アジア3都市で滞在した13カ月・(3)

2019-01-19 06:21:53 | 日記

シャーアラムのスルタン・アラムシャー博物館では、思いもかけず焼成地不詳(当該ブロガーの知識不足により焼成地不明で、且つキャップションなし)の緑釉貼花双魚文盤を見た。中国・龍泉窯の青磁貼花双魚文盤を写したのであろう。

朝鮮では反日一色だが、ここマレーシアでは歴史上の出来事としての展示で、反日スローガンなどは一切なし。

先史時代と現代の高床式住居である。柳田国男は稲作伝播について『海の道』を唱えたが、単なる物語として一笑にふされた。しかしこの手の高床式建物や2000年前の水田跡は、フィリピンでも発見されている。台湾が気になる。

 ブルーモスクには、当地の男性と結婚しイスラム教に改宗した日本人女性がガイドしてくれた。見事な幾何学文様である。

プトラジャヤのジャングルに突然街・ビルが出現した感じが気に入っている。

シンガポールのアジア文明博物館で、見事な安南染付と安南五彩を見た、まさに優品である。

シンガポールからKLへ戻る日は雨に煙っていた。帰路はバスで写真のセカンド・リンク・エキスプレスウェーで水道を渡った。バスの最安料金は1500円だが、所用時間は5時間半から6時間を要し、時間の無駄であった。

<続く>