今日の遠足は洗足池、誰でも知っている地名、私も小学校時代!!恩師の家があったので度々訪れたのだが、池を回ることはなかった、みなさんもそうであろう、ということで、
懐かしい木造の駅舎、ホームの上屋も木造であった、このカードは戦前の建設当時からか、仲原街道を渡る、
きれいな図書館がある、平日の午後だというのに、ずいぶんたくさんのお客さんが入っていた、
庭は池に通じていて素敵な本を読む場所を提供している、洗足池にただずむ じゃなくて しゃがむ少女
洗足池の名になった日蓮上人ゆかりのお寺に通じている、
勝海舟の別荘もあったのだ、池はそれなりにきれいで、整備されている、水の浄化装置も設置されてるので、水もきれいになろう、見所はまだあるのだが、長くなりそうなので、飛ばしてみていただいて結構である、
ボートは全部スワンタイプなのだが、まあこれもいいだろう、
民家でも昔風の門、庭には8各堂があるなど、風流な家があった。
懐かしい木造の駅舎、ホームの上屋も木造であった、このカードは戦前の建設当時からか、仲原街道を渡る、
きれいな図書館がある、平日の午後だというのに、ずいぶんたくさんのお客さんが入っていた、
庭は池に通じていて素敵な本を読む場所を提供している、洗足池にただずむ じゃなくて しゃがむ少女
洗足池の名になった日蓮上人ゆかりのお寺に通じている、
勝海舟の別荘もあったのだ、池はそれなりにきれいで、整備されている、水の浄化装置も設置されてるので、水もきれいになろう、見所はまだあるのだが、長くなりそうなので、飛ばしてみていただいて結構である、
ボートは全部スワンタイプなのだが、まあこれもいいだろう、
民家でも昔風の門、庭には8各堂があるなど、風流な家があった。
洗足池の紹介を懐かしく読みましたよ…。
慶応フォークダンスグループには、洗足学園卒の文学部の女子学生(マドンナ)がおり、彼女の学園の同級生が多く参加していました。
私の親友(下村満子とともに、金時計)は、私の紹介でその中の1人(玲子さん)と結婚しました…。
なにやらわるいことを思い出させましたが、
せんぞく学園のマドンナ、一度お会いしたい感じであります。
どなたもそうでしょうが、やつがれにも、そういう時代があったなあ~、と久しぶりに思い起こしますなあ~!
思えば遠くに来たもんだ…♪
まあ、聞いておくんなさい…。 マドンナは文学部教授の娘さんで、愛称は「どら」(ノラじゃあねえ)っていう、なぜか?すぐ素足になるような女性だったなあ。
加山雄三(同期だよ)みたいなやつとのダンス・パートナー争いは、いい勝負(?)だったが、結局脱落さ(当然だってか!?)
慶応フォークダンスサークル(一応、学連だよ)は、信濃町の慶応病院の看護婦さんたちとのジョイントで、みんなカップルになったが、何故か最後までパートナーが決まらなかったのさ…(とほほ)
で、やけになって(?)4年間、1人で山歩きをして授業をまともに受けていないので、未だに毎月50~100冊本を買って積んでおく(読むまでもねえ)という始末さ…。
あれから50年もたっているから、「洗足池。」って聞いたもんで、‟後からしみじみ思うもの~♪”とみっともないけれど春の宵に一杯やりながら、内緒で(誰に?)思っているわけさ…。(進歩ねえなあ)
そうは言うけれど、ギョーテ(ゲーテ)だって、80歳で17歳のウルリーケ・フォン・レヴェツォーに恋をしてラブレターを書いているんだぜ…(失恋したって、当然だよ…、俺より馬鹿だぜ)
このさい、どらさんと連絡を是非とってください、再会はいい結果をもたらしますよ。
東京老人さんのブログは、死に体英国の鉄道のパプニング続出を乗り越えて、「ぜひ、もう一度行きたい…。」というという「ポジティブ。」なところがとても魅力で好きであります。
ところで今回の私のコメントの「フォークダンス、マドンナ、紹介、結婚。」などの文言から、貴方はするどくも「わるいことを思い出させましたが…。」とリ・コメントくださいましたが、あの『文言』からどうして鋭くも「ネガティブ。」な発想ができたのか、あなたの『慧眼』に脱帽でありますよ…!
としても、「故郷は遠くにありて思うもの…。」、マドンナのイメージは美しいままにしておきたいというのが町田老人の『思い』でありますよ…。 (それこそ、「ネガティブ。」な結末が、予想されますのでね…)
だんながなくなったそうです。
遠足は楽しそうで、こんなところが身近にあれば、てくてく出かけるでしょうね。
新しい商業施設などよりも、このような所を歩いて後で、いろいろ調べるのか好きです。
ありがとうございました。
子供のころからあんまり変わらないのではないでしょうか、図書館の横を入ってお寺に行くところの道以外は昔どおりだと思います、