東京老人Tokyorojin

こごとじじい増山静男のブログです。

故K先生を偲ぶ会

2011年10月30日 07時54分37秒 | Weblog
10月29日(土曜日)

ゼミのK先生を偲ぶ会が行われた、
先生は99歳で7月になくなられた、
本来であれば100歳のお祝いをするところであった、

40名が集まり、全員が先生の思い出を語った、
先生のお言葉である、

大きい声でいえ

一言で言えって

人のいっていることはうそだと思え
(学長いわく 人は正直でなくてはならん)

そして、いままで生きていた中で先生のように立派な方にあったことはない
という人の言葉は真実だと思う、
私は余り熱心な学生ではなかったが、

やせた女がいいな

という先生の言葉は覚えている、これは発表しなかったけど、先生のそばには、奥さんはじめ、妙にこの言葉に似合わない方が多くて苦笑ものだったが、

旅行のアルバムがあった、その1ページには、私の名前を書いたメモが張ってあった、
影の薄かった私の名前を忘れないようにしていただいたのだろう、

先生のご子息がこられていた、先日名古屋の友人(奥さんが裁判所の表彰を受けた)
をたずねたホテルの総支配人で居られた、先生のお宅を訪問したときは小学生だったのに、

会に出てよかった、
昨日飛行機に乗り遅れていたらあえなかったなあ。

飛行機になんとか乗れる

2011年10月28日 18時13分50秒 | 国内旅行
10月28日

米子空港12:35の東京行きで帰ってきた、ということでこの文章が書けるのだが、カメラからパソコンへのケーブルをなくしてしまって写真がアップできないのだ、申し訳ない、

あさ6:17におきてテレビ体操をした、部屋が大きいから2人で体操をのびのびとやった、7:00から風呂に入りにいった、旅館の前の公衆浴場の貸しきり浴室の鍵を借りているので自由に入れる、玄関の前が貸しきり浴室である、こちらも広くてとても気持ちいい、掛け流しのお湯がどんどんと木の桶に出ていてくんでかぶる、シャワーとかカランがないというのはとてもよい、

窓の外は川、その向こうは高い山、実に山が深いのだ、この間の和歌山のように大雨がふったら、たちまち大災害は免れない、中国山地は道路が発達して、あらゆる谷に道と集落があるようだが、災害は怖い、

今日は快晴である、8時に隣の部屋に食事が並ぶ、ここも6畳である3室部屋を使っているのだ、申し分のない味噌汁(きのこ汁)だ、この旅館は明治6年に作った建物をそのまま使っている、遅くなったけどここではスリッパをはかない、ゆかはぴっかぴかというわけではないが、適度に掃除されている、後、部屋中の窓ガラスが綺麗に掃除されている、この辺はたいしたものだ、

テレビで山陰のニュースを見る、ややや!、15:30とその次の最終便の東京行き飛行機は

満席!!!

寝台特急のサンライズ出雲も満席、東京行きバスも満席である、これは困った、岡山に出て新幹線というのも感心しないな、明日の予定をキャンセルしてもう少し旅行を続けるか?こういうとき2人旅はつらい、一人で勝手に決められないのだ、もうひとつの選択肢は12:35の飛行機で帰ることだ、

8;30に宿を出る、この先、314号道路は日本随一の3重ループを通る、同時に木次線は3連のスイッチバックをとおる、私はこれを始めて知った、この区間現在トロッコ列車が運転されている、これの指定席は満席だとのこと、トロッコ列車関連の駅を通過するけどその立派なこと、みんな新築で、道の駅などが開設されている、道の駅に2箇所寄った後、米子空港をナビで入れてみると11:50到着予定になった、これで帰ることにした、

こんな山間部だというのに、国道は本当にいい道だ、信号はほとんどないし、ところどころ追い越し車線があり80キロ、100キロだせる、車はいない、そこを80キロで走ってきたので、途中、空力ウイングをつけたフォルクスワーゲンが、退避してくれた、いかに飛ばしたかがわかるであろう、山陰ではトラックだとか軽自動車などが、結構退避してくれる、ところが着いてみると、

わずか5分早いだけ、

ガソリンを入れたら、米子空港に着いたのが11:55!2人でレンタカーを返して(早く返すので返金してもらうのに時間がかかる)飛行機の切符を買わないといけない、が、ようやく全部できて飛行機に乗り込んだ、席は2番、やれやれであった、5分ほど早く!!離陸して、羽田には10分早くついた、この飛行士はずいぶん急いでいたらしくて、着陸のさい、

ドッシーン!!

と着陸、その後の地上走行もものすごく早かった、ana特有で、jalではこんなヒトはいない、

今日やっとかえれた、じつは先ほど3重ループに行くとき、道を間違えてしまったのだが早いうちに引返してよかった、最後の飛行場ではこんなタイトな時間だったのだが、途中ラッキーなこともあっってなんとか乗れたのである。

温泉にいきたい

2011年10月27日 17時27分51秒 | 国内旅行
http://www.hikyou.jp/index.htm

ということで、島根県、雲南市!! 湯村の湯乃上館に行くことにした、

27日の15時に、鳥取県米子空港につき、旅館まで1時間51分、
28日の15時に 車を返す予定である、
家内の仕事と、私の大学の会合で、土曜日に帰ってないといけない、
ところが、最初予約しようとした国民宿舎三瓶荘(特にいいという)は

満員!!

飛行機は12000円で比較的低価格でいける、
ところが、羽田に10:00について10:25の飛行機を予約しようとすると、

一席だけあって満員!!

搭乗口で待ってようやくもう一つの席にありつけた、
でもありつけた席は窓際で良く見えた、
富士山はまだ雪景色ではない、



米子空港のレンタカーは O社、M社は

満車(というのかな)!!

T社はほとんどの車が満車、ヴィッツだけがあった、

旅行シーズンなのかもしれない。
ということで決めていたら、Yが、どうして10:25の飛行機にするのと聞かない、
マッサージをやらなきゃいけないしというと、キャンセルすればというので、10:25
のフライトにすることにした、そうすると、レンタカー代が5000円も高くなり、マッサージはキャンセルしないといけない、昼食も現地で食べないといけない、米子はいい店がないらしく選択が難しいな、夕飯がたくさん出るので、あんまリおおく食べるわけには行かないし、やはり旅は一人が一番いい、次が2人かな。





松戸、戸定邸

2011年10月24日 18時09分39秒 | 国内旅行
松戸、戸定邸(とじょうてい)にいった、

前に一度いったことがあるが、このたび重要文化財に指定されたこともありの再訪である、このあたりの一帯は戸定歴史公園に指定されていて、歴史館、庭園、梅園がある、水戸幕府の徳川なんとかさんが愛した家で、明治18年に作ったままでほとんど改造がされていないのがよろしい、

松戸駅前に戸定邸の宣伝が出ていた、ここへ来る途中、相模台公園があるが、ちょっと管理が悪い、ごみを捨てており、市役所から、4月ごろ!どけなさいという紙が張ってあった、それを見てかたずけるような人は捨てたりしないな、頂上の忠魂碑は吉田茂さんが書いたものだ、戸定邸のボランティア解説員は何でも知っていて頼もしい、たまたま明治18年吉田茂邸とおなじ時期に建てたとの話だったので、彼と松戸市の関係を聞いてみたらそれは知らないとのことだった、相模台の書を見てきてほしいといっておいた。

      

家の造作はたいへんよくできている、板戸に使っている杉板は一枚もので現代ではのりでつないでどんなものでもできるがこの時代はこういうものが珍重されたのだろう、屋久杉の板も当然ある、柱は中心を避けたとり方で、隙間を入れなくても狂いが来ていない、直径の2倍以上の大きな丸太が使われている、戦後は公民館として使われていたそうだが、大事に使ったようだ、杉昌の柱、勝手、風呂場などほとんど改造していないのもよい、

       


帰りは隣の敷地の千葉大学園芸学部にいった、戸定邸からほんとうは門があるのだが、閉じてありまわるのは面倒である、でも左からまわるととても雰囲気のいい裏門から入れる、学食に行ってみたがここはなかなかよいものをだしているようである、



都内からはちょっと行きにくい松戸だが、戸定歴史公園はまじめに作っている、
一度訪問をお勧めしたい。






体重が増える

2011年10月23日 13時24分37秒 | Weblog
木曜日に元部下と中華、
金曜日にM夫妻にお菓子をもらう、
それ以外にたくさんお菓子を買ったので食べて、
土曜日福寿司にお寿司を食べに行く、
そうしたら横浜のK君がきて、讃岐会館に食べに行く、

ということで、体重が600グラム増えてしまった。

名古屋のM君夫妻

2011年10月21日 18時28分38秒 | Weblog
M婦人が最高裁判所の表彰を受けるので上京した、家庭裁判所の調停委員を長年やっていたのが認められた、きょうの午前中である、ホテルニューオータニに迎えに行った、このホテルははじめて行った、高い塔だとというので回転レストランのある建物に行ってみると、そこではなく、そこの

2階ロビーからエレベーターで7階まで

行ったところが新しい建物の1階になるのだった、日本庭園もありそこを見学した後、目黒の庭園美術館にいった、アールヌーボーの屋敷は先日見学したばかりだがもう一度じっくり見たかった、M婦人はさっと見てすぐ庭に出てしまった、せっかちなたちらしい、そして考えてみると、アメリカやフランスにはこのクラスの邸宅はゴマンとある、この間行ったポーツマスの海岸にももっとでかい邸宅が複数あったな、

まあ室内装飾については、朝香宮邸までは行かないけど、いや、アメリカのハースト邸なんていうのはそれこそバクダイな金額をかけて、アールヌーボーもやっていたというから、お城顔負けの邸宅を建てていたに違いない。

その帰り八芳園(結婚式場)にいった、というよりここに車を置いていったのだが、(朝香宮邸には駐車場がない)ここの喫茶室などはさすが結婚式場もやっているので、いつ行ってもいい感じである、コーヒーもお変わりができお菓子(アップルパイ)もとてもおいしいい

お庭、八芳園の庭は特に整備されていて美しい、東京でほとんどトップではないかと思う、夜間もライトアップされていて、この世のものでないような綺麗さである、別館の和室では結婚式も行われていた、うちの長男の婚約もこちらでやったのだが、昨年建物をリニューアルしたそうで大変綺麗である、こちらはぜひお勧めしておきたいと思う。

M君との将棋は今回できなかったけれども行ってもいいと思う。

30年ぶりの再会

2011年10月21日 10時00分29秒 | Weblog
元の会社で部下であった〇、いまは関連会社の社長だ、フェイスブックに登録しておいたら、思いがけなくわかって、昨日食事をした、もう一人のJさんと一緒だ、場所は浜松町貿易センタービル38階の離宮飯店、高級な店で、銀座方面の夜景が綺麗に見えてすばらしい、ここの窓から見る光景はほんとにうつくしい、世界に誇るものである、こういうところで接待にあづかリありがたい、

z60の会というのは、われわれがたづさわった高速ファクシミリ一号製品にタッチした人たちの会だが、これに行くことにした、今でこそファクシミリはどの家庭にでもあるけど、当時はリファクス600sといい、一台388万円!!トーシバ、マツシタ、ゼロックスに先駆け、リコーだけが完成したものであった、わたしは初代の販売課長だった、

いろんな話が盛り上がり、3時間があっという間にたってしまった、もう一人Mという元社員は福山で土木会社の社長をしているそうで電話をかけてみた、彼も元気だということ、こんど出かけようかという話になった、

会社が大きくなっているからこそ、こうして再会もできる、なくなったり、他社と一緒になったりした例のほうが多い、そして、いい部下たちを持ってとても幸せなことだと思った。


旧朝香宮邸その2

2011年10月19日 17時08分26秒 | 国内旅行
         


建物の全景である、宮内庁の設計であるから特になんでも、特にシンメトリーでなく右端のグラスルームが変である、その代わり内装は当時のフランスを代表する人物に頼んで、設計の費用だけで2万円を超えるものが払われた、

玄関のガラスの彫刻、すばらしいものだ、

次の間にあるガラスの噴水塔、当時から水は出してなく、香水塔として使われた、上部の電灯で、香水が蒸発し、においを振りまく、

   

かわいいペンギン、ガラスがよく使われている、

浅香宮婦人、ことのほかこの建物の建築に熱心であったそうだ、惜しいことに建物の完成後すぐなくなってしまった、

応接室内、

室内の椅子に座ったところから見たお庭、テレビで放送されたとおりに、

     

シャンデリア、各部屋の電灯は全部そろっている、

各部屋のドアはすべてガラス、しかも彫刻がされている、

ラじエターのカバー全部彫刻されている、

食堂の壁を飾る絵、室内装飾の一環として絵がかれている、

   

食堂の壁、金属で彫刻されている、美術館として使うときは覆われていたので始めてみた、

仕切りドア、これも始めてみた、

庭を見るアールのついたウインドウ、その下にあるヒーターのカバー、全体にアールデコの装飾になっている、

ご覧のとおりこれはまだ序章で、たいへんに見ごたえのある建物で、いつもは黒い幕で隠しておくのはタイヘンもったいないのだ、完成後は庭園美術館ではなく、旧浅香宮邸として開放するようにぜひお願いしたい。

旧朝香宮邸その1

2011年10月18日 18時15分04秒 | Weblog
NHKテレビの昼の番組で、東京都庭園美術館が31日をもって3年間の改装工事はいるそうなので、久ぶりに行ってみようと思った、庭園美術館は日本で唯一のアールデコの屋敷だ、

   

信号を待つ間お寺を見に行く、門は昔タイプだが中は近代的なお寺だ、

白金高輪駅の付近、自転車がなくなっま、この警告マークで脅かされているのだ、

    

目黒通り、国道1号線の交差点にある古い家、これは戦前の家なのだが、一軒の家に足場が組んであって修理をするらしい、嬉しいことである、

目黒駅に近くに児童遊園がある、ここは元公務員住宅で珍しく公園にしたところだ、珍しいこともあるもので、公園もとてもはやっている、

その隣は白金自然教育園の敷地を目黒通りにする工事が行われている、この看板を見て驚いた、26年度 完工予定である、そんな馬鹿なことがあるか、ここの敷地はビルやなんかの移転より早く、一番まえからできていたのだ、それを一番遅く、あと2年もかけるなんて、 さすがお役所 というほかない、東京都は恥ずかしくないのか、



博物館に来て見るといっぱいの人で、入場券を買うにも行列だ、カメラをしまおうとするときょうは写真を撮っていいとのこと、ラッキーである、きょうはたくさん写真を撮った、次回にお目にかけたい、再び言うが、この名前、庭園美術館 とは何事であるか、朝香宮記念館、または旧朝香宮記念美術館でなければならない、ほんとにこんなことで東京都をしからなければならないのは残念である。

うちの孫

2011年10月16日 21時27分30秒 | Weblog
千葉の孫のところに行った、天気予報に反してまれに見るいいお天気であった、



上の孫は4年生である、ご記憶であろうか、学校でトイレに行かない、給食を食べない、子である、それが、この前から、給食を食べるようになったとのこと、うれしい、この子は芯がある、学校で一人給食を食べないことは並大抵ではできない、幼稚園から何年だろうか?人と違ったことをするのはいいことではないだろうか、

一人前に給食を食べる、トイレに行く、宿題をちゃんとやる、きちんと挨拶をする、どれをとっても普通の子供である、それが、どういう点でも人と違う、給食を食べないというのはものすごく努力が要ることだ、それを4年の2学期までやり通したのだ、褒めてやらないといけないし、大きくなったら、どこか人と違う特別の人になると思っている。




古川調整池、D-LABO、その他

2011年10月15日 19時38分27秒 | お散歩
一の橋の地下に洪水調整用の調整池が作られている、ものすごい金額をかけて作られているがさて、役に立つのであろうか?紀伊半島には1000ミリをこす大変な雨が降った、関東地区も人事ではないのだ、いま東京湾は満潮で水量はこの位置である、あとわずかしか残っていないのである、

 

きょうはスルガ銀行にいった、普通の銀行と違って誰もきていない、さて、定期預金が2つある、どうして一緒にならないのかと聞くと、ひとつは3年定期で0.7%、ひとつは3ヶ月で0.25%なんだって、何年も預けっぱなしになっているのに、教えてくれないものだろうか、ずいぶん損してしまった、

 

きょうは家内が講習会に行っていて、るすである、ご飯を食べていかなければならない、これから都立図書館に行くので、そこのすてきなれストランで食事しよう、

 

ここのレストランはすいている、しまったと思ったときはもう遅い、このカレーライスがそれはそれはひどいものだった、ご飯がだめだ、これではのりだ、誰も食べていないのがヨークわかった。


魚濫坂

2011年10月14日 09時05分34秒 | お散歩
きょうは京浜急行、魚濫坂をあがり泉岳寺の駅まで行く、

   

昔は都電が走っていた、ここは都電で一番の急坂だったので、運転手もタイヘンだったであろう、坂の上でブレーキテストを行なった、ここは品川駅ー四谷3丁目を結ぶ古くからの路線で、4輪単車の400系が使われていた、ドアがないからみんなぶら下がって乗る、

チラクなどの落語で車掌が、ぶら下がっては危ないですよ、次は四の橋、四の橋、次は広尾病院、次は天源寺、最後は墓地下といって笑わせていた、その頃は都電の停留所の名前を知っている大人は多かったし、友達でも(小学校)都電停留所の名前すべてをいえる子供がいた、

3000系という木造ボギー車(4輪づつのボギーが2組・8輪車=普通の車両)がはいると、これは電気ブレーキがついていたため、ウイイーんという電気ブレーキの音をさせて降りた運転手もいた(電気ブレーキは普通は作動させなかったようである)

魚濫坂の名前は坂の途中にあった魚濫寺からだ、ここはごらんのように塩をそなえる、この塩はどうするのだろうか、昔は売っちゃたんじゃないかしら、

泉岳寺からは京急線なので、都営線のプラスがなく蒲田までは190円である、安いコーヒー店がないか商店街を歩いたがなかなかない、商店街を歩くとJRの蒲田まではすぐだ、商店街の最後はおおきなシャッター街になっている、



こちらにはドトールコーヒーがあって、本を読んで帰った、タオルを持ってくればよかった、
蒲田は東京で一番温泉が多く(2位はたぶん港区)銭湯はほとんど温泉だ、帰りはJRで帰った、京急で泉岳寺からのると安いとおもったのだがJRでは田町(三田)まで150円だった、いろいろ試してみないとわからないものである。

きょうはバスに乗って

2011年10月13日 06時42分58秒 | 国内旅行
うちの仕事を10時半に終わって、11時に家を出た、
東京駅のバスセンターにいって、どこか適当なところに行こう、
適当なところ、適当な価格なところ があると思う、

東名方面は本日集中工事で大幅に遅れるからダメだ、こちら、少し調べたら、3列または2列個室タイプのバスがあって、名古屋まで2500円(昼行・夜行は4000円)これはぜひ乗りたいが何ヶ月も先まで全部×これではどうしようもない、

東京発は、鉾田行きがあって面白そうなので往復3500円のチケットを買うが、時刻表をみると15:30発である、これはキャンセル、いきたいところの時刻表が販売機に反映されないので不便この上ない、乗り場と切符売り場を南欧服喪した(何往復)新型の販売機なのに、なんてことをするのだ、

鹿島神宮方面が10分おきに運行されている、ここへ行って見ようかな、最初の停留所が水郷潮来である、お天気だしあやめ畑を見るのも悪くないな、ここまでの往復3560円を払ってバスの乗る、お茶はうれしい鉄道博物館モードである、往復バスは単純に片道780円の2倍だった、

  

これは船橋にある廃棄土壌埋め立て現場である、東北の現場もこのように埋めたてて、住宅用地にしたほうがいい、たくさんの廃棄物で費用も最低限度、高地は住宅地にできる、さらに数百年後には貴重な埋蔵物が発掘できる、先日浦安市が困っていたので提案してあげたがナシノツブテ、そんなもんだろうな。

北千葉までは息子のところに行くのでよく知っている、しかしバスの高い座席は気持ちがいいし景色が違う、一番まえに乗ったのだが、ここは足を伸ばせないので、今ひとつくつろげないな、

12時発、時刻表によると1時間29分の予定だが1時間15分でついてしまった、意外によく走る、水郷潮来はインターチェンジを降りてすぐの駐車場にバス停があった、数人がおりた、どうするのか見ていると全員迎えの車がいて、迎えのタクシーを待つ人はいない、見回すと下車が間違っていた、何にもない、まったく、あやめ畑や運河はいずこに、どうやらいろんなところは数キロ離れているらしい、



次のバスがすぐきた、これに乗って次の停留所にいこう、だけど運転手がすぐドアを閉めて乗せまいとする、何で意地悪をするのだ、強引にドアを開けさせ乗ってしまう、ここからは乗車できないんですよ、間違えておりたのだからしょうがないでしょう、タクシーかなにか使ってもらわないと、そんな意地悪をよく言えるな、間違えておりることはあるでしょう、これはこちらの勝ちである、タクシーを使ったら2000えんか3000円はかかる、

次は鹿島センターホテルである、バス停留所が組み込まれた大きなホテルで、なんと商店街があり、三越まで入っている、13:40である、ここのレストランに入る、なんとこの時間にお客がいっぱいだ、ランチは1000円で10種類もある、3番の常陸牛ハンバーグ(ハンバーグが好き)を頼むと、飲み物・自由、サラダ・自由、スープつきととてもいい、途中で、果物とかケーキもあり、それもいいのかときくとアフタヌーンですか?いいですよ、ということで、おなかいっぱいになってしまった、

       

お客さんがいっぱいきている、実はアフタヌーンビュッフェは別で、あと500円取られた、それにしても安くて、おいしい、ラーメン屋などで1000円の定食を食べるのに比べたら、

ホテルのフロントで近所の地図をもらった、何もない、もう少し大きい地図ももらうが市役所まで3キロ、利根川まで3キロ、やはり鹿島神宮までいくのだった、ただ神宮は行ったことあるし、何ぼなんでもまたバスに乗って間違えておりたんですという交渉もイヤだ、このあたりは神栖市の中心で戦後開発されたところだ、ホテルのそばにある図書館と歴史民族資料館が唯一のみどころである、ここは徒歩3分、近すぎるけど、

   

歴史民俗資料室の資料はとても整っていた、特攻機桜花はここで練習していたのか、神栖市は銚子の上、こんどは車を借りてゆっくり見てみよう、漁業、農業のすごく貧しい村だったのが、鹿島工業団地になって東京まで10分ヘッドのバスが来ているのだ、この博物館、滅茶苦茶お金を使って、利用者はいない、

ということでとなりの図書館を見て(立派)帰りのバスを待った、バスは頻発しているので、すいている、鹿島サッカースタジアムもこのバスなのだが、ひょっとしてサッカーのときもこのダイヤなのだろうか、

  

かえりに成田空港では何機もの飛行機が下りてくる、帰りのダイヤでは1時間50分だそうだが、1時間30分で到着した、東京駅ではみたこともない玄関に着いた、やはりバスに乗ってみないとわからないものである。

東京駅、清洲橋、万代橋

2011年10月11日 17時50分02秒 | Weblog
田町駅に行く道に高層ビルが建った、



縦位置にしないと入らない、何かと思ったら、三田警察署だった、警察署は高層ビルにする必要があるのか?地震がきて、エレベーターが止まったら上り下りするのに不自由だろうな。



東京駅の中央通路で4人も5人もの人が、こちらが最後部ですよなんていっている、ここをどこだと思うのだ、ここは乗り換え通路のしかも中央だ、邪魔だよ、ずっと前からこんなことをやっているのだ。

日本橋方面の無料バスの乗り場を聞くと第2鉄鋼ビルの前だという、懐かしい名前だそこに行くとバスの乗り場がわからなくて大きい停留所には中央区のミニバスののりばがあった、これに乗ってゆく(無料バスはバスではないので道路に停留所の標識を出せないので民間の建物の側面を借りてつけているそうだ、なんていうことをしているのだ)

明治座のそばでバスをおりて、新大橋に行く、

  

新大橋はドイツケルン市のつり橋を模して作られている、これと永代橋の2つが、建築遺産に指定されたそうだ、2つとも東京爆撃では落とされなかったのだ、東京爆撃は一番安く、たくさんの人を殺すのが目的だったのがよくわかる、橋の袂ではこの橋を写生している人がいた、とてもうまい、橋を渡ると、東京スカイつりーの方向にビルの上に広告看板を設置している、しかも広告主はまだいないらしい、なんと言うことをするのだ、撤去するのが当たり前だろう、

   

続いて万代橋、この付近は芭蕉の居宅があったところだ、まあ江東区ももう少しこの辺を綺麗に整備してもらいたいね、このテラスは下の川とは関係なく作ってあるのだ、せっかくの芭蕉記念館、駐車場の標識と樹木でなんだかわからない、パーキングをつくるのなら、後ろの記念館の考慮しないのか、江東区も文句を言わないのか、


 

この辺にある昭文社のビルはチョット面白い、車内を公開すればいいのに、森下駅のそばの古本屋で、昔の漫画サンデーを買った、昔詠んでいた本である、ドトールでコーヒーを飲んで帰った。









近所の建築現場

2011年10月11日 06時43分30秒 | Weblog
ついこの間まで、ビルが建っていた、
ついで全部駐車場になった、
それがいま建築現場である、

 

これが近所のライフスタイル、
ごらんのように9階建て、
少なくとも14階、15階だてではない、

最近流れがかわり、このあたりでは少ない階数でマンションが建っている、
この近くでも6階建てだ、15階建てマンションでは売れ残りがひどく、
そのための対策であろう、

だけれど9階、6階建てにしたところで、完売できる当てはない、
もうマンションは完全にあまってしまっているのだ、