東京老人Tokyorojin

こごとじじい増山静男のブログです。

幸運な旅行

2016年08月31日 09時18分40秒 | Weblog
先日の北海道旅行はとても幸運な時間だった、

今朝のニュースを見ても、十勝平野の糠平、上士幌方面は水害にあっている、ここは日曜日に行ったばかりである、一日、2日遅れたら飛行機が飛ばなかっただろう、

それにしても北海道に先日3個も台風が上陸、今回は日高山脈の左側をかすめるという初めての経験である、

異常気象というより、こういうのが毎年正常な天候になるかもしれない。

帯広16年8月28日

2016年08月30日 09時52分49秒 | Weblog
今日は然別湖方面に行く

神田日勝記念美術館

まずここを目指した、たまたま28日がこの人の命日なので、今日は入場料が無料だ、昭和12年、私と同じ年生まれ、36歳で亡くなっている、馬の絵が多く、絶筆が飾ってあったが左の半分しか描いてなかった、この絵が美術館のシンボルマークになっている、









同じ場所にある鹿追町民ホールでは、本条義雄回顧展、神田記念美術館では畑山昇麓コレクション展も開かれていた、写真は本城のもの







然別湖はその入り口だけで、湖畔道路、然別湖方面は不通だった、レストハウスで昼食、

そのご狩勝峠を目指すも今日は雨で視界がないので、手前の新得温泉に入って帰る、温泉もいろいろで、今日までのホテルのもののほうが数段良かった、






















帯広に帰り図書館の駐車場に車を止めてしばし休憩、豪華なソファがありとても良い、ただし今日は日曜日なので6時までしかやっていない、東京の図書館は5時までなのでこれでもいいか、







雨の中帯広空港まで帰る、高速を使ってもかなりの距離があり、6時に出てよかった、飛行場で最後の食事はヒレカツライス、おいしかった、






20:15発東京行き、

一人旅の良さをかみしめる、ほんとだったら野菜を買って、限度いっぱいまで背負わされるのだ、

帯広16年8月27日

2016年08月29日 21時22分14秒 | Weblog
浦幌へ列車で行く

長崎屋に車を置いて列車に乗る、特急列車はすべて運休、駅に行くとちょうど釧路行き10:25が出るところだった、なんとキハ40系が2両編成、ワンマンカーである、今日はいいお天気












11:28に浦幌到着、時刻表を見て愕然とした、上りは11:56の次が15:36まさか、次ので帰るわけにもいかないので、15:36まで待たないといけない、町営の博物館、図書館で時間つぶしだ、まず駅前の立派な会館、スリッパに履き替えてはいるというつくり、






駅前通りの様子








食事はこぎれいな蕎麦屋、ここがお客で満員になってしまうという不思議な町だ、



ここでも肉丼を頼んでしまった、










さて町営博物館と図書館は7分のところにある、とても立派で、博物館の展示はよくできている、最近は外部機関で作っているのかもしれない、浦幌神社についての研究があったが、浦幌町の神社が30くらいあってひとつづつ調べてあった、
驚きだ、

図書館も立派だ、しかし、私のほかはたった一人、全部新品の本がもったいない、戦時中の新型戦闘機、どうやって宇宙に移住するかなどの本を読む、








15:36の上り列車は(1両だから列車ではないが)困ったことにトイレもついてない、こんなことではお客を呼ぶのは不可能だあろう、途中駅では長く止まるので特急が追い越すのかと思ったら、貨物列車に追い越されてしまった、







帯広着は17:11お客は数人である、あまりにひどい、普通列車は廃止し、都市間特急だけを運転したらよいだろう、
それにしても線路はいまだに枕木が木が相当残っている、特急が130キロで走るのは危ないのではないかしら、



今晩の食事はこれも帯広で有名なはげ天の天丼、おいしかった、しかしこれとほとんど同じ天丼を最初の日に食ったからどうだろう、この前の店ははげ天のものを一生懸命研究したのかもしれない、







駅に行く道には屋台通りなんかもあって、かなり繁盛していた、







帯広16年8月26日

2016年08月29日 13時50分08秒 | Weblog
朝から大雨である、

ホテルの部屋の様子、食事をご覧に入れよう、










今日は北のほう、三国峠まで出かけようと思う、途中に、十勝三股まで走っていた士幌線の博物館がある、最初は音更道の駅、ここは家内が生まれたところ、












士幌線の資料館、終点の十勝三股は、十勝岳のカルデラ盆地ようなところで、林業が栄え、一時は1000人も住むような街だったが今は家が一軒もない、途中糠平川をたくさんわたるのに、コンクリートアーチ橋あたくさんあった、その中の一番長いのがこれ






この橋は水量の多いときは水面下、年に2回ほどこのように表れるそうである、



三国峠は通行止めなので、車の通行量はいたって少なく90-100キロで飛ばせる、北海道で一番高い三国峠も非常に緩やかなカーブである、橋梁は頑丈そうにできていてこのうちの一つが流されてしまったと聞くが、信じがたい、仮橋をかけるにしても半年はかかるそうである、




















十勝三股に一軒もないといえばウソで、一軒だけあるがそこはスナックをやっていてそこで食事をした、娘をくわえた人家族で、娘の高校通学は大変だったと思う、ここの御主人は模型作りが上手で、十勝三股の模型が正確にできていた、転車台もあったようである、 









この模型は大したもので、博物館に持っていったらよいと思うが、、


雨の中、つまんなかったと思う人がいると思うが、どうしてどうして、とても素晴らしいドライブだった、十勝平野はスコットランドそっくりだといったが、大農場が点在し、平野では一直線、山間では静かにカーブする道路はイギリスより数段良い、

道に路肩がついており、眠くなったらいつでも居眠りできるのもよい、いやな点は道路幅表示器、道の左右に鉄棒があり、上で曲がって、道路のはじを示すようになっている、北海道の人はこれが自慢らしく絶対必要と力説する、

確かにこれだけ車の台数が少なければ、真っ白になってしまうこともあろう、しかし2メートルくらいの棒を建てることでもよいし何か考えてもよい、スコットランドの道にはこんなものはなかった、

いずれにせよ雨の2日間を楽しみ帯広に帰ってきた、帯広駅前には長崎屋のでかい設備があり駐車場は無料、そのデカいこと、注意して番号を覚えていたのにかなり探し回った、6Iという番号だったのだが、出入り口のすぐそばと思ったら出入り口が何か所もあるのだ、ガイドブックに出ていたインデアンというカレーショップで食べたのだが写真を忘れてしまった。
















帯広16年8月25日

2016年08月29日 11時16分51秒 | Weblog



帯広空港から広尾方面に走る、広尾までの高速道路は無料で公開されている、普通の道路でも90キロくらいで走れる、

ナウマンゾウの記念館があり、付属のレストランで食事をした、好きな天丼、箸を入れたとたん、いけた味だ、
最初の食事からとてもついている、









小さな町が続き、町営の資料館がある、残念ながら2つとも開館していなかった、










一本山展望台、ちょうど雨は止んだのだが、歩いて登る勇気はなかった、まったく人気がなく熊が怖い、








岩内仙郷という案内があった、人はだれも来ていない、しかしそこは素晴らしいところだった、













帯広に戻り、道立美術館に行ってみた、残念ながら館内整理のため休館、美術館のある緑ヶ丘公園は広大な自然を残しているいい空間である、一部に動物園もある、4時でおしまいの時間だが行ってみることにした、










旭川の動物園にもいない象がいるそうだ、


鹿にえさをやる、こんなちょっとでいいのだろうか、



トラがこちらに向かってくる、一人のご婦人が話しかけてきた、怖いですねと、このトラは体をきれいにしてあり、全身素晴らしい迫力があった、一声発しても無理はない、



案内放送で、ライオンにえさをやるので見に来いとのことで行ってみる、










1.8キロの生肉、普通東京などでは馬肉をやるそうだが、ここでは牛肉をやっているそうである、

ライオンは大きなボールを転がして遊んでいる、腹を見せて寝転んでいるさまは猫そのもので面白い、先ほどのご婦人がここにも見ていた、ご主人を13年前に亡くし、いまは子供3人も別居で一人暮らし、俳句を作っている、忙しく充実した生活を楽しんでいるようだ、食事に誘ってみたが、今日は俳句の雑誌に投稿する締め切りの日で忙しいとのことで断られてしまった、今のホテルは2DKの部屋があるのに、


帯広駅まえには贅沢なイベント会場のビルが、その向こうには図書館が、駅も新築で立派な高架ホーム、時刻表を見に行くと1時間、2時間に一回も列車がないほうが多い、これは無駄だな、私だったら平原に線路をひいて特急列車も見えるようにする、踏切があったとしても遮断時間は断然短い、線路は不通、







帯広では広く普及している豚丼を、元祖という店で食べる、うまくないわけではないが帯広の人達のように週2、3回というわけにはいかないだろうな、これは小(2枚)普通は大(4枚)を食べるようである、








明日は旭川に行く予定でホテルを予約した、ところがナビに入れてみると、いったん札幌に行ってから回るという3角形の2辺を通るルートになっている、






行こうとしていた三国峠、狩勝峠が両方とも使えないみたいである、これはいけないということでホテルをキャンセル、ここに3泊することになった、N 君が帯広のホテルに5泊?ということで笑っていたけどまったく2判煎じになってしまった、


温泉は最初熱くて入れなかったけれど、だんだん慣れて、いい気持になってくる、これは病みつきになるかもしれない。

素晴らしかった北海道旅行

2016年08月29日 08時59分36秒 | Weblog
25ー28日のわずか4日間でしたが、その充実度は素晴らしかった、

1ヵ月ぐらいいたような気がする、
旅をすると時間がゆっくり回転することを発見した、
N 君 K 君のように年12回も旅行する人の気持ちが分かった、

25,26日は大雨で、帯広周辺の道路は通行止めとなり、結局帯広に3泊した、
そこで、帯広周辺をうろうろしていたのだが、これがよかった、

帯広はホテルボストンという、古いホテルだったけど、とても良い温泉があり最高だった、モール温泉という粘りがあるお湯で、源泉かけ流しである、源泉そのもので、少し熱いがだんだん慣れてしまう、また部屋が2DKでひろい、欠点は禁煙でなくとても臭いのだが、ファブリーズが用意してある、これは効くんですね、

十勝平野はスコットランドににている、先日は k 君が具合が悪くなって一人でドライブしたんだけどその時を思い出した、

最高の旅の様子を書きますので是非読んでください。

 


明日から北海道旅行

2016年08月24日 11時09分26秒 | 国内旅行
25-28日と旅行である、
家内も予定していたのだが、病状が思わしくなく私一人だ、

家内の従妹訪問ということで、
帯広を取っていたのだが、
十勝川温泉に泊まるのだが、
ずいぶん無駄だがそのままの予定でいく、

スマホで、ブログ更新を挑戦しているのだが、まだうまくいかないのです、
ということで、更新が少しできなくなるかもしれません、

皆さま暑さが続きます、
ご健康にご留意してくださいませ。


初めてのスマホ

2016年08月20日 20時36分56秒 | Weblog
うちの厚木ではスマホが3台も余っているというので、今日貰いに行った、ミネオという安めのsimをいれて、月1000円以下で使える、うちを出るころから、ものすごい雨、




うちに電話すると、子供の友人Nさんが遊びに来るという、ちょうど本厚木の駅で落ち合った、

相模原にある ひょうろく玉 という店に魚料理を食べに行く、Nさんは魚河岸に勤めていた父を持つので気に入ってくれるかな、ここは、マスの天ぷら、特殊なつくりになっていて頭から食べられる、鯉の刺身、鯉の味噌汁が出る、いつもの通りおいしかった、Nさんはどうであろうか、









続いて、宮ケ瀬ダムを見に行く、私たちが厚木に引っ越した時盛んに工事中だった、今はダムサイトを降りる、120メートルのエレベーター、工事中の機材を活用した傾斜エレベーター、子供汽車(道路を通る)などがあってすっかり景色に溶け込んでいる、














じつはここには深くて大きい石が並ぶ石古屋渓谷があってつぶしたのは実に惜しかった、今では石古屋渓谷のモニュメントに写真が展示してあってほんの少し昔をしのぶことができる、







帰りは、ちょうど北千住行きのメトロ箱根号が来たので、霞が関まで乗車した、乗換の苦労もなくとても良かった、






国際文化会館

2016年08月18日 16時27分32秒 | Weblog
家内は月一度のTさん宅に訪問、

帰りに国際文化会館でケーキを食べることにした、





ここのケーキは本当においしい、いつもすいている、安い(2人で2018円)コーヒーもお代わり自由である、都内に住んでおられる方おすすめ、

ここで、帯広旅行の研究をした、25日から北海道である。

大量発生した芋虫のその後

2016年08月17日 17時48分40秒 | Weblog
毎日大量に落とされた芋虫の糞がなくなった、

そして、大量の鳥の糞が残された、

たくさんの鳥がきて、芋虫を全部食べてしまったのだ、


鳥のフンはあまりにもみっともないのですぐ処理してしまったけれども、








生物は、生きるのが大変だ、芋虫はあと一歩のところで、蝶や蛾になれず、一生を終わった、

鳥たちはいい声で鳴いているが、あの芋虫はおいしかったのであろうか、


人間に生まれてほんとによかった。


とと姉ちゃんと暮らしの手帳

2016年08月16日 15時57分32秒 | Weblog
昭和35年私は就職して、月12,800円を貰い、

夢のような、自分で働き、自分で使える生活を始めた、

一カ月おきに発行される「暮らしの手帳」を買った、楽しみだった、

今やられているキッチンの特集、

それから20年ほどたって、家を建て直すことになり、設計を進めた、夜も寝ないでたくさんの図面を書いた、住宅会社の持ってくるのは気に入らない、そして1年半ほどたったある夜、一つのアイデアが浮かび、一時間ほどで書いたのが今のいえである、

暮らしの手帳で言っていた明るいキッチンとお風呂を工夫し、玄関のドアは透明ガラス張り、床は全部紫色の絨毯、一階は床暖房というものである、40年前によくここまでやったのだが、

先日某福祉機器メーカーの営業部員が来て、見まわしてほめてくれるものだから家に挙げてみてもらった、こういう人はうれしいね、会社で建築の仕事をしているそうだ、

あさのテレビでたまに見るとと姉ちゃんを見て思い出したことである。




東条英機のお墓

2016年08月16日 09時55分22秒 | Weblog
日本の戦争を進めた東条英機、

戦後不法な東京裁判により、絞首刑に処せられた、

そして遺骨はほかの7人と混ぜられ、わからなくしたということである、ある日本人がその一部をもちだして、愛知県のある場所にお墓が作ってある(合同の)

その前の戦争で、乃木大将、東郷大将などは神社になっている、
そこで、日本は敵の将軍ステッセルなどを死刑にしたのだろうか、
日本が勝っていた場合、トルーマン以下を死刑にしただろうか、

全力を挙げて戦った日本、後方の婦女子を大量虐殺したアメリカ、
正義はいずれにあったか、開戦もアメリカが強く望んでいた、
日本が不利な戦争に踏み切らせたのはどちらか、

明らかではないか、

すでに東京裁判は無効で死刑にされた東条以下は靖国神社に祭られている、

しかしそのお墓はまだない、


今ある合体の骨を分離し、お墓を作るべきである、

それにしても、靖国神社に合祀したといって、総理以下の靖国参拝をとやかくいうC、K国の態度は気に食わない、それより、我が国にいる、そういう人たちが気に食わない、今こそきっちりと世界に説明して間違いに気づかせないといけないと思う。

本田静六先生展

2016年08月16日 09時48分04秒 | Weblog
都営地下鉄に乗ったらこのようなポスターを見つけた、行ってみようと思うと、ちょうど内幸町である、つい降りてしまった(本当は15日だから九段の靖国神社に行こうと思った)


静六先生は日比谷公園、明治神宮などの設計者、国立公園の設立にも深く携わった、





日比谷図書館に先に行こうと思ったら今日はお休み、





昔懐かしい鶴の噴水(もう一枚アップしたのがあったのだが)




案に相違して、展覧会はほかに来客がなく静かに鑑賞した、ビデオの部屋も、とてもいい椅子がありつい居眠りしてしまった、


日比谷公園の設計図、2週間で作ったそうである、





外で公園の図面を撮った、静六の設計である。 



中島飛行機と戦災

2016年08月14日 16時56分18秒 | Weblog
明日は8月15日終戦の日である、

武蔵野市で、中島飛行機の戦災に関する資料展が開かれているそうなので、出かけてみた、資料館は武蔵境駅から少し歩いたところにあった、車では駐車場がありませんとのことだが、近所に何か所もあるので、そこを案内してくれるとよいが、





少し駅に近いところに止めたものだからJRのガード下をかなり歩く、ガード下といっても昔のものでないから快適で(日陰で)気持ちがよい、


さて、工場跡はその昔グリーンパークという野球場ができて、東京駅から引き込み線までの特別電車もあった、それから米軍施設になり、公団住宅ができ、市役所ができた、工場の遺物はただ一つの変電所(弾の跡などがある)が最近壊されて、何一つなくなっている、

米軍から徹底的に破壊され、軍用機の工場は何一つ痕跡が残らなくなっているが、それは逆にそのことを展示してもらいたい、日本の飛行機にやられたので、それこそ徹底的に壊したのだろう、




例によって、日本国のことをよく思わない職員が多いのだろう、工場の正門を映した写真があるが、工場の従業員はここを通れなかったなどと、意地悪をされていたような表現がある、実際には、全員地下道を通っていたそうだけど、



貧弱な写真しかなかったけれど、それなりに昔のことが思い出されてよかった、


市役所は、このへんの事情を正確に記載し、小さな写真ではなく、できるだけ大きな正確な写真をたくさん集めてほしいな、

あれだけの大工場の後に、この展示はないう、スバルと共同で資料の発掘につとめるべきだ、 


ガード下にしゃれたカフェがあった、ほんとに最近のガード下は電車の音は全く聞こえず とても静かであった、