東京老人Tokyorojin

こごとじじい増山静男のブログです。

ほんのちょっとの手間、続き

2017年03月29日 13時59分23秒 | Weblog
3月30日

 昨日の続きなんだけど、ベッドについて、困ったことがあった、うちのベッドはベッドとは呼べないのだが、寝室の半分に畳がしいてあり、そこに寝る寸法である、そして、マットがあるのだが、

 納品のとき便利なようにと、半分のもの2枚を敷いている、その上のマットや敷布の新しいうちはよかったが、だんだん弱ってくると下のなんというか、やはりマットであるが、動いてしまって、向うのマットとの間に、ほんの少し隙間ができるとすごく寝にくい、痛いのである、一枚ものにしたらよかった、いっそ買い替えるか?と思うけど、一枚ものを2階まで持ってこれるか?

 という悩みを5年、10年抱えていた、動かないように固定具を作ろうかと、考えたらこれが簡単、下のようなものを作るのに、10分もかからなかった、






板を切ってビス止めし、畳抑えのいたとの間に金具を入れたものである、向う側の壁に押し付ける形で挿入、これでマットが動かなくなった、



ほんの少しの手間で

2017年03月28日 09時02分03秒 | Weblog
3月27日

 ケイヨーデー2に散歩に行って、なにか家で不足なものはないかと考えた、

 1、卵の厚焼き用フライパン

   今朝これを使って厚焼きを作った、なるほどよくできる、
   ところが家内が、うちにあるとのこと、流しの下にしまってあった、
   家内は丸いフライパンでやっているのだった、

 2、トイレの流水音装置

   うちのトイレは食堂に面してあるので、40年前からほしいと思っていた、 
   昔のものはテープレコーダーを仕掛けて大掛かりなものだったが、
   今はお手軽、2,3百円で買えるのだった、

 3、ホース巻き取り機

   バルコニーにあったものを外してあったが、水栓につける連結部品がなくて、  
   使えなかった、外に巻き付けるゴム、中にまくゴムともにうまくいかなかった、
   水栓への連結プラグを買ったら1300円以上したのだが、治った、
  
   実は10メートルのホース巻き取り機が、連結部品込1360円で売っていた。
   

愛宕山

2017年03月26日 14時01分56秒 | Weblog
3月27日

 いつものように讃岐会館で食事のあと、愛宕山にいく、放送博物館は展示内容が一新され、新しい背の高いお姉さん(身長180センチぐらい)が勤務していた、桜は木に2つ、3つ咲いている、

 



 






 これは最近のスクリーンプロセス、水族館で水槽に入ったような印象だ、





 お隣の愛宕神社にお参り、新しくなったお茶屋で、ぜんざいとあんみつ、神社にお参り、








 おうちに帰りました、
 車の隣の陽光桜が満開でした、






森友学園問題

2017年03月25日 11時16分01秒 | Weblog
3月25日

 我慢がならないことは、森友学園問題だ、この問題は整理してみると、

 1、森友学園が国有地の払い下げを受けたが、8億円値下げした金額だった、
 2、建築費が3種類の契約書を作ってある、
 3、安倍総理夫人から100万円の寄付をもらっと言っている、

 の3つではないかと思う、値下げしたのは埋設されたごみを除去する費用であり、隣接の2つの敷地で同様の問題があり、一部では森友以上の値下げがされている、

 2は別として、

 3は、もともと選挙区外の学校に寄付をするのは法律上全く問題がなく、総理夫人が忘れてしまったとメールしているのだから、忘れましたとの話でも問題ない、国会ではこれの真偽を確かめて何になるというのだ、やっぱり寄付していましたという話になっても、そうですかで済むのである、

 森友は総理からの寄付をいただいているということを宣伝に使えば効果的であるとの考えがあったのだろう、


 このようにただでさえ忙しく、委員会を開くにも多大の費用が掛かる国会の期間を浪費し、国民にこのようなつまらない問題にテレビで突き合わせるとはなに事であるか、


 一番いやらしいことは、この召致にさきだって、野党4党の一同と自宅で打ち合わせをやっていることだ、国会でしゃべることの綿密な打ち合わせに違いない、こういう野党との談合証人なんて、何の意味もない。

 

 

 

 

 

杉下さんのプロ野球キャンプめぐり他

2017年03月22日 10時16分43秒 | Weblog
3月21日

 毎年この季節にある講演、今年のプロ野球を占うお話がある、今年はどこが優勝してもおかしくないという戦国時代だそうだ、


 続いて行われた麻雀大会、私が3回連続トップの予定だったのだが、トップだった私の前の T さんが、


 清老頭を出あがり、


 これには度肝を抜かれた、清老頭は、1、9牌だけで構成される役で、そもそも6種類しかない1、9牌を4つそろえて、あと頭の2枚も1、9牌という、

 めったに出ない役だ、

 一生麻雀してもまずお目にかかれない手である、もちろん私もはじめて見た、ゲームでもできたことはない、








 それでも2回トップ、1回プラスでゲームを終わることができた、

 野球の話題が、麻雀のお話ですみません、




春の小川読売新聞の記事

2017年03月21日 10時00分19秒 | Weblog
3月21日

 今朝の新聞記事、先日の私の記事と同じものだが、昔の川の写真もあった、これは、机の上だけで書いたものだろうが、現地を視察すると、私の記事のように、東横線高架がなくなった現在がわかる、なるべく現地視察の記事がいいだろう、






 今日は午前中コーラスクラブの練習、いつもの集会、午後は麻雀、夜、家庭集会と一日中予定がぎっしりである、夜の集会は麻布讃岐クラブであるのでさぼれない、この年になって、ぎっしり予定があるのは幸せである。

横須賀、浦賀散歩

2017年03月20日 10時22分52秒 | Weblog
3月19日

 今日のお散歩は浦賀、泉岳寺から一時間足らずでくる、京急線の本線はこの駅が始発である、





 目的の一つうなぎ屋梅本に行く、通りに面してなくて裏に50メートルほど入ったところだ、うな丼は2500円、肝吸いもついて良心的なお値段である、











 ごく小さな店なのに、30分待たせるという本格的うなぎ屋である、ここには昔勝海舟も通っていたという、赤坂の、勝海舟の屋敷だったところにできた老人ホームに、義母が入っていた、という話をした、話の好きなおばちゃんである、勝海舟には何人もお妾さんがいてそれぞれ子供がいたのに、同じ屋敷内で全然顔を合わさないで暮らしていたんだそうだ、彼の屋敷はそれほど広かった、敷地には、元、小学校だできていたのだ、そういえば、勝海舟のピアノが展示してある、どんだけ給料をもらっていたのだろうか、

 うなぎ屋のオヤジさんも話の好きな人で、横須賀線創業時代のことをよく知っていた、

 義母の母が、もと横須賀に住んでいて、電車で横浜の女学校に通っていたという話もよく妻から聞く、明治の初め頃なので、たぶん横須賀線だと思うが、京浜急行(昔は湘南急行)の電車も古いのでこちらかもしれない、


 最初の目的地叶神社にいく、ここも相当大きな神社である、












 みちはやまにはいって、ここは昔御林と呼ばれていたところだそうだ、








 久里浜に近づいて立派なお寺が3つ、4つある、その一つに入ったのだが、お堂は450年前にできた当時のもの(重要文化財)京都のお寺と比べても素晴らしいものであった、
 
 女性がお茶を出してくださり、とても良い時を過ごした、
















 横須賀から久里浜への御林を通るハイキング、きもちのよいものであった。







 



沼部から田園調布

2017年03月20日 09時57分11秒 | Weblog
3月18日

 今日の遠足は田園調布、まず多摩川線の沼部で降りる、ここから多摩川はほどなくである、中学時代、農業の時間に個々の農場で実習に来た、昔だからありだと思うが、農業の時間があるのは珍しかったのではないだろうか、農場あとは公園になっているらしかった、

 ここから多摩川に上がると浅間神社がある、ここには数多くの工夫がみられるいい神社である、



















 多摩川に面して、広いバルコニーがしつらえてある、


 多摩川駅に面してある古い家






 住む人がなくなってジャングルと化したお屋敷







 昔から東急沿線は丘陵地を削って作ったとことなので、急傾斜が多い、田園調布までそうなっていたのだ、老人が2人、1人になった時の外出策を考えないといけない、






 田園調布の駅は復元してそれらしく作ってあるが駅そのものはその下にあるのだ、








 スターバックスでコーヒーを飲みながら外を見る、歩く人は老人が多い、東急も老人の購買力に期待したキャンペーンに励んでもらいたい、







 

春の小川

2017年03月17日 10時02分42秒 | Weblog
3月16日

 は、さらさらながる

 という歌は、きっと覚えておられるだろう、これは、原宿→渋谷間の渋谷川を歌った歌だと聞いたことがある、





 ながいこと東急東横線が上を通っていて見ることができなかったが、このところ東急線の高架がなくなってみることができる、もう少し立つときっと東京都のことだから、きれいに修復した川を見せてくれるだろう、


 せっかくだから東急線のなくなって、激変する渋谷の現状をスケッチする、











 最後の写真は東急線、効果の残骸である、


 続いて、下北沢に、

 



 日本最後の若者の街、考えてみるとここだって、あと少し経てば、高齢者だけになるのは目に見えている、若者向けに店を張っているのも今だけだよ、高齢者向けに、野菜や、古着(これはすでにあるが)の店を中心に、若者の洋服店も、老人のことを考えてやってもらいたい。



 このぶろぐでは、スマホで編集した写真にパソコンで文章をつけた、昨日の逆さになったものはたまたまパソコンにUPでき、それでスマホの写真を消してしまったからです、もーしわけない。


2017年03月16日 09時44分08秒 | Weblog
3月16日

 今日は午後からなので、見るところがないと思う(失礼)柏に行く、品川始発の快速土浦行きは大変すいており、ほとんど乗っていなかった、15両という長い編成も持て余している、15両は長すぎるが10両では立つ人が多すぎて困る、常磐線は快速区間が長いので快適だ、

 柏の道路はとても狭いおかげで、駅前に信号がなく、車の間に渡れる、これは評価されるだろう、

 うちに帰ってブログを書いてみると、写真が上下反対になっている、そこで苦労して、全部の写真を逆さに入れ替えたのだが、そうすると、ブログの写真も逆さになっている、ウインドウズは本当に意地悪だ、





 ではどうすればよいのだろうか、ブログの写真はあきらめよう、

 柏市のホームページで見ると個々の観光は手賀沼に尽きる、大きな公園や水面があり、バスも出ているらしいが、10キロも離れているので、行くのは無理だ、

 駅前にはキャバレーなどがあり、ミニ歌舞伎町という雰囲気だ、会社帰りのサラリーマンがここによって家に帰るのだろうか、そのほかパチンコ屋もあったような気がする、サラリーマンがこういうところによらないで家に帰る方策を取ったら褒められるだろうに、

 ここは、公団団地が最初にできたところで有名なのに。






wさんの死

2017年03月15日 12時17分22秒 | Weblog
3月15日


うちの最初のお客さんであったwさんが亡くなって、臨海斎場にいってきた、
 wさんは、私より少し下であったが、当時はお元気で、毎月介護費をとどけてくれた、戸越銀座が彼のお得意でほとんど毎日、戸越に行くのが日課であったという、私が戸越に行くようになったのはごく最近であるが、いい街だ、

 




私の小学校にゆく道にあったから、思い出深い、また、父親同士が、同じ職業だったのできっと父親は、知り合いだったのではないかと思う、

 一緒に住んでいた娘さんなどの主催でよい葬儀であった。
 最近は家族葬がおおい、葬儀のあり方もどんどん変わってきている

事務用椅子

2017年03月14日 08時31分05秒 | Weblog
3月13日

 昨日頼んでおいた椅子を配達してくれた、今回は800円で組み立ても頼んであるので、らくちんである、






 背もたれが大きいので、文句を言っていたが、まあ、座り心地はとても良いので、いいだろう、

 思い出せば、この事務所を開設した時に買った椅子をまだ使っていた、こういうものは最近大変安くなったので、簡単に取り換えたほうが良いと思った、昔はずいぶん高い買い物だった。


孫自慢

2017年03月13日 09時47分23秒 | Weblog
3月13日

 もう少し孫の作品を持ってきてくれたのでご紹介です、これはツボさんに衣服を着せたものらしい、






 もう一つのイラストは花に囲まれた少女、この絵、縦位置に直してあるのだが、ブログに乗せるとどうしても横位置になってしまうという厄介なもので、すみませんが横位置で鑑賞してください、





 みんなで三田飯店で食事、


 そのあと、私と妻は銀座に住んでいる M さんを訪問、彼女は最近旦那を亡くした、まだ大きな祭壇に旦那の写真が飾ってあり、何かというとお茶を入れてあげているという、幸せな旦那だ、

 そのあと、武蔵小山の家具やで、この前に下見した事務用椅子を買いに行く、息子と社員の椅子の両方具合が悪くなっているので早く手当てしないといけなかった、

3月11日

2017年03月11日 09時02分07秒 | Weblog
3月11日

 この日高3の孫と私はニュージャージーのホテルにいた、日本でただならない地震のニュースが始まったのは朝からだったろうか、それまで、アメリカでの水害のニュースを1日中放送していたテレビはこの時を境に一日中東京からの地震のニュースを放送するようになった、

 ホテルの受付の子(じゃなくておばあさん)も気がかりで聞いてくるのだが、私にもテレビ以外に何も知らない、この時から外でも人々が次々と話しかけてきて、温かい言葉をかけてくれた、そんなことで、外に出ないで、一日テレビを見ていたような気がする、

 
3月10日

 東京大空襲の日だ、寒い夜遅くなってから、街の周囲から包囲してガソリンをたくさん含んだ焼夷弾を何万発とばらまく、次第に中心に近くにきて、逃げ惑う人々の行き場はなくなってしまう、犠牲者は10万とも20万ともいわれている、日本の震災をきずかってくれている同じ人間が、戦争になるとなんと変わるものだろうか、

 このような圧倒的な、周到な、殺人方法を編み出し、市内は死体の山で、その始末は何日もかかったものと思われる、

 思い出すのだが、

 中共は、いまだに南京大虐殺で、30万人を殺したと、うそをつき、自分たちが日本人を痛めた写真などを使って見え透いたPRをやめない、もともと20万人しかいなかった南京市で、どうやって30万人を殺せるのか、ガソリンもなかったから人手で殺したと言い張るのだろうが、30万人殺すのに何日かけたというのか、

 日本人はみんな真相がわかっている(一部の人はわからないのがいるらしい)、

 世界に恥をさらすのはいい加減にやめてもらいたい。