10月31日
今日もいいお天気だった、北区のガイドブックによると、70年間、見たい、行ってみたいと思っていた岩淵水門がごく簡単に行けることが分かった、
麻布十番駅から南北線「志茂」まで、各駅停車ではあるが、31分で行くのだ、31分と言えば大したことはない、行ってみよう、13:30に出発して、13:40の電車に乗ると15:01に到着した、
岩淵水門は昭和の初め荒川放水路ができたとき、開設された、ここから墨田川に行く水量を調整する水門である、最近新しいものが作られて、赤い門は当初の使命が終わった、荒川は水門から海までの22キロ、幅500mに及ぶ放水路である、昔は荒川放水路と言われていたが、近年荒川と名を改めた、
これだけの大工事の結果、荒川の氾濫はめったに見られなくなった、私はこの水門が見たいと70年間思っていた、今日見られるのはとても感慨深い、明治44年から20年をかけて作られた、そして、この水門制作の指揮を執った青山力は、その前、パナマ運河の掘削に当たり、パナマ運河の副技師長まで務めたということである、
22キロの掘削と言えば、パナマ運河の80キロに比べて小さいように見えるけれどむ、パナマ運河は途中ガツン湖という湖があって、掘削した長さではこの荒川のほうが長いのではないかしら、
ともかく長い間見たいと思っていた、岩淵水門が南北線31分でこれるとは、まだ歩けるうちに来て本当に良かった。
今日もいいお天気だった、北区のガイドブックによると、70年間、見たい、行ってみたいと思っていた岩淵水門がごく簡単に行けることが分かった、
麻布十番駅から南北線「志茂」まで、各駅停車ではあるが、31分で行くのだ、31分と言えば大したことはない、行ってみよう、13:30に出発して、13:40の電車に乗ると15:01に到着した、
岩淵水門は昭和の初め荒川放水路ができたとき、開設された、ここから墨田川に行く水量を調整する水門である、最近新しいものが作られて、赤い門は当初の使命が終わった、荒川は水門から海までの22キロ、幅500mに及ぶ放水路である、昔は荒川放水路と言われていたが、近年荒川と名を改めた、
これだけの大工事の結果、荒川の氾濫はめったに見られなくなった、私はこの水門が見たいと70年間思っていた、今日見られるのはとても感慨深い、明治44年から20年をかけて作られた、そして、この水門制作の指揮を執った青山力は、その前、パナマ運河の掘削に当たり、パナマ運河の副技師長まで務めたということである、
22キロの掘削と言えば、パナマ運河の80キロに比べて小さいように見えるけれどむ、パナマ運河は途中ガツン湖という湖があって、掘削した長さではこの荒川のほうが長いのではないかしら、
ともかく長い間見たいと思っていた、岩淵水門が南北線31分でこれるとは、まだ歩けるうちに来て本当に良かった。